15a-1 ファイアスターター
闘技場。
特別企画の提案と了承により、観客席にいつもの活気と喧騒が戻ってきた。
乙女たちは華やかな身振りで推しの剣闘士に声援を送り、酒を手にした野郎共は獣じみた歓声を上げる。
有力者席の最前には机が用意され、左右に剣闘士団の所有者である『お嬢さん』と、件の街の『擁護者』が座る。机の上には果実の大皿や酒の杯が置かれ、二人とも寛いだ様子で下々の様子を見下ろしている。
お嬢さんが付き人に注がせた杯を静かにすすり、擁護者が葡萄かなんかを一粒もいで、ぽってりと肉厚な唇で皮ごと咥えて、人差し指で口の中へと押し込んでいく。
眼下では、闘いの場へと下りてきた件の街の護衛連中と、俺達剣闘士が、いつぞやの御披露目興行のように闘技場のそれぞれ端に立ち、特別企画が始まるのを待っている。
もちろん、護衛連中が立つのは擁護者側で、俺達剣闘士組はお嬢さん側だ。
手にした得物は、木剣になる。
これはあくまでも力比べであり、互いを殺す意図はない、そういう建付けになっているからだ。
護衛連中の指揮官らしき男が前に出て、有力者席に正対する。
「我が主人と都市の名誉にかけて!」
びしり、と木剣を持った腕を胸に叩きつけるのに合わせて、他の護衛連中も一斉に同じ動作をする。その姿は、有力者席からは剣を正面に掲げたように見えただろう。訓練された集団の、かちりとした美。
こちらも負けじとなにか格好いいことを言うべきだが、チンピラ破落戸の集まりである俺達には荷が重い。と、お嬢さんの目がまっすぐに俺を見つめており、その目が面白そうに笑っていることに気がついた。
「おい」
前に出ようとする俺に訓練同期の誰かが声をかけてくる。
「俺がそれっぽいことを言うから」
それに構わず、断言する。
「続けて、みんなで声を上げて」
剣闘士の中でもガタイのいい俺が前に出たことで、すべての視線が俺へ注がれる。
『卵頭』のあだ名の元である兜を外す。客の前で初めて晒した顔で、観客席、次いで護衛連中を順番に睨め付け、最後に視線を有力者席へと向ける。
「日々を死にゆく剣闘士より!」
今までわざと使わなかった、『先生』仕込みの上流の発音で声を上げる。
「皆様に! 流れる血の中で鍛えられた! 本物の闘いをお見せします!」
まっすぐに突き上げた剣に合わせて、後ろで剣闘士達が雄叫びを上げる。
そして、観客席から爆発するような歓声が。
嵐のような歓声の中で、お嬢さんの満足そうな顔と、擁護者のつまらなそうな顔を確かめてから、俺は護衛連中の指揮官へと視線を向けた。
いつかの『仕切り役』に倣って作った、相手に取って敵意のある環境に、相手の顔が歪んでいる。
お楽しみはこれからだぜ。
***
観客席で踏み鳴らされる足音に合わせるように、楽士が勇壮な音楽を奏でる中で、審判役の「始め!」の声が響き渡った。
隊列もなにもなく、それぞれの歩調で進みはじめる俺達剣闘士組に対して、護衛連中は円盾持ちを前列に並べて、歩調を揃えて向かってくる。
「一対一じゃあ容易には俺達に勝てないってのは、連中だって理解っているはずだ」
と言ったのは、俺達の中で唯一まともな集団戦の経験がある『捕虜上がり』だった。
話が出たのは、闘技場の袖で最後の打ち合わせをした時になる。
「別々でやりあえば俺達が有利だ。だから、固まって防御を優先してくるはずだ」
「例えば、どんなだ?」
『色男』が素朴な口調で確認する。
「俺等が蛮族相手によくやったのが、盾の壁からの逆襲だな」
と捕虜上がり。
「盾を並べてしっかり押さえて、敵がぶつかってきたら隙間から槍や剣先を繰り出してザクザクやる」
盾を並べての戦闘隊形は、大規模なものなら何重にも縦深を持つ方陣になるが、今回は少人数での小競り合いだ。
「だから、こっちがちびちびぶつかって行けば正面から受け止められて、ちまちま削りつつ隙を見ての逆襲や各個撃破を狙ってくる」
ならば盾の側面や裏に回ればいいかと言えば、それもそう簡単なことではない。固まった相手に突っ込んで行くのだから、部分的に数で負ければボコボコにされるだけだ。
「正攻法ならこっちも盾の壁を立てりゃ済むんだが、俺らじゃ無理だ。だから、正面からぶち破る」
どうやって、とは誰も尋ねない。力任せ、気合と根性、刃の前に立つクソ度胸でやるしかないからだ。
そして、刃が木剣ならば、そこまで気負う必要すらない。
『イビキ野郎』がガウガウ唸った。
「なんて?」
「普段通りじゃないかって」
俺の通訳に皆がニヤリと笑う。
そう、結局はいつも通りやるだけだ。
***
護衛連中と剣闘士側、互いが進んで距離が近づいていく中で、剣闘士側の歩調が徐々に変わって、気がつけば俺が突出した形になる。すぐ後ろにはイビキ野郎が続いて、少し距離をおいて何人かがついてきている気配がする。
歩調を早め、駆け足になり、すぐに最高速度を求めて全力になる。護衛連中が突撃が来ると脚を止めて、盾の壁の体勢になる。
俺はイビキ野郎をちらりと見てから、大盾を横に倒して、端にもう一人入れるぐらいの余裕を作って顎をしゃくった。すぐに意を汲んだイビキ野郎がそこに収まり、訓練同期の体力バカ二人が一枚の大盾を前にして突っ込んでいく。即席破城槌の完成だ。
凄まじい激突音。
盾と盾がかち合い、身体の芯まで衝撃が走る。
あっぱれな事に、護衛連中は押し込まれつつも盾の壁を崩さず、どうやら盾裏では二列になって、前の奴を支えて壁を守りきったらしい。
「突けぇ!」の声が響いて盾の隙間から次々と木剣が突き出されるのを、あるいは避け、あるいは浅いと見てあえて受ける。
事前の予想通りなら、このままだと囲まれて潰されてしまうのだが。
「背中ぁ!」
後ろからの声に俺とイビキ野郎が頭を下げて背に力を込める。
背中への衝撃とともに、勢いよく駆けて俺達を踏み台にした訓練同期が、護衛連中の作る壁を飛び越えていく。
観客席からの歓声からして、どうやら華麗に着地を決めたらしいのは『女顔』に『犯罪奴隷』だ。身軽さが身上の女顔に、身体操作が得意な犯罪奴隷は、得物に刃があってこその強さであり、木剣での殴り合いとは相性が悪い。
だからこそ、搔き回し役としては最適だ。
構えていたならともかく、いきなりの後ろからの攻撃に護衛連中に乱れが見えた。
そこに、追いついて来た剣闘士達が突っ込んでくる。
盾の壁が崩壊する。
ぐちゃぐちゃに混ざった乱戦タイムの始まりだ。




