14a-2 トレイター
朝から晩までぶっ叩かれているように語った剣闘士生活だが、実は休みの日という奴が割とある。
いつだかのように雨が酷くて訓練にならん時もそうだが、何もなくても数日に一度は訓練なしの日が設けられている。
これは別に剣闘士のためというわけではなく、剣闘士を相手にする団側の者達のための休みとなる。
各部署は当番を残して最低限となり、奴隷剣闘士が武器を持たないならと警備の私兵も最小限。剣闘士達は女を呼んだり崇拝者と会ったりと、それぞれ思い思いに過ごす。
ちなみに私兵が少ないからと奴隷剣闘士が騒ぎを起こすと、普段の制圧モードではなく最初っから処刑モードになった私兵達が応援が来るまで粘るのでお勧めできない。
死んでしまいますよ。
***
というわけで自分の価値を売り込もうと思いながら休みを迎えた俺は、早速訓練士の当番が詰める建屋に向かう事にした。
だるそうにしている入口の私兵に挨拶しつつ建屋に入ると、中には『仕切り役』に『理屈屋』、ついで『事情通』と言ったお歴々が揃って何事かを話し合っている。おや?
「どうした、『無垢なる者』」
と、気がついた理屈屋が俺に声をかけてきて、皆がうんざりした様子で俺を見た。
「奴隷剣闘士のお前は、次の興行に出たくないは通じねえぞ」
「何のはなし?」
なんだかこっちも拗れてますわね。
キョトンとした俺の態度に、俺が連中の悩みとは無縁らしいとわかったのか、構えていた訓練士達が息を吐いた。
「次の興行が荒らされるくさいって話が広がっちまってな」
と事情通の訓練士。
「一部の自由民剣闘士から、興行に出ないって申し入れがあった」
以前『色男』が訓練のために休んだように、自由民剣闘士は興行に出る出ないをある程度自分で決める事ができる。
「それで、こちとら休み返上で興行の組み直しだ。まったく、次から次へと」
続けて愚痴る理屈屋の顔には、露骨にお前の相手をしている暇はねえぞ、と書かれていた。
「噂は聞いてたけど、次の嫌がらせって、そんなにヤバいの?」
俺が理屈屋の顔に気付かないふりをして聞いてみると、訓練士達がお互いの顔を見合わせた。
「まぁ、こいつには言ってもかまわんか。何が出来るでもないしな」
仕切り役が空気を変えるように提案して、周りが消極的に同意する。
そうして俺は、お嬢さんが婚約を破棄された話を聞かされたわけだ。
これ、俺が聞いてもいい話なのかな?
***
当たり前の話だが、近代以前の社会において、ある程度有力な家、一族の婚姻は多分に政治的な意味を持っている。
これはもちろんお嬢さんにも当てはまり、なんでも生まれてから一度も会ったことがないうちに決まった婚約者がいたとかいなかったとか。
現代日本で育った俺にはピンと来ない話なのだが、ある程度まともな自由民であれば、好きな者同士の結婚というのは普通はしないらしい。
むしろ結婚してから相手を愛するよう努力するのが当たり前であり、恋愛結婚は犬猫や貧民蛮族の野合扱いで、どちらかというと眉をひそめられるものだという。
あ、ちなみにこの世界にも犬猫というか似たような動物がいるにはいます。
「色恋での婚約や結婚なんてのは、お前、不誠実だろ」
と物知らずの蛮族に教える口調で理屈屋が言う。
「恋した相手への親切心は、それで靡いて欲しいという打算的なもので、熱が冷めれば悲惨だぞ。その点、元は恋心のない相手への親切心は、責任感とそいつの性根から出た誠実なものだ」
文化が違い過ぎるのじゃが?
「まぁ実際のところ、俺達下々の自由民は、好きあってからお互いの家に認めて貰うってのもなくはないがね」
と事情通が補足する。
「お嬢さんのような有力者一族じゃあ、有り得ないが」
「じゃあ、なんでその婚約が破棄なんてされちゃったの?」
そのあたりがよくわからないので、率直に聞いてみる。
「結局は面子の話だ、くだらねえ」
仕切り役が吐き捨てるように言った。この人はお嬢さんに心酔しているので、声には隠しようのない怒りがある。
「お嬢さんが優秀過ぎて、自分が切られる前に切る事にしたんだろうよ」
***
剣闘士団の所有者であるお嬢さんはとにかく仕事の出来る少女である。
潰れかけた地方巡業の剣闘士団を買い取って、その経営状態を改善し、周辺都市に名前が売れるまでに育て上げた。
部下の声には耳を傾け、それでいて周辺を支持者で固めて歯向かうものには容赦せず、所属する剣闘士も無茶な興行で無闇に使い潰す事をしない。むしろ、奴隷剣闘士に対しては、上がり──自らを買い取っての解放を夢見させる程度には公平に扱っている。
そして実のところ、ほんの数年で団は街の暴力要員の供給機関としての側面を持ち始めている。上がった元奴隷剣闘士の再就職先として、実家のコネで都市警備隊や有力者私兵の職を斡旋しているからだ。
もちろん、自由民剣闘士なり団の私兵、団側の人間としても剣闘士団で押さえている。
そんなお嬢さんの実績を見て、ご実家は『今の婚約者では、申し訳ないがあの子には釣り合わないんじゃないかな?』と考えてはじめていた。
結婚すれば剣闘士団の事業は世襲財産として、やがて生まれる子供に託される。その子供の父親として、もっと相応しい婚約者を持つべきではないか。
もちろん、こちらの都合での婚約破棄となるのだから、充分な詫びは入れるつもりだったのだろう。
だが、言われる側にしてみれば、お前は格下だと断じられたに等しいわけだ。
***
「ならばと、相手は先にお嬢さんに難癖をつけて婚約破棄をすれば面子が立つと考えた。というか、そう吹き込んだ奴がいた」
「あー」
理屈屋の説明を聞いて思わず声を上げる俺。まぁ、ギリギリ理屈はわからんでもないが。
「つまり、その難癖の内容と、吹き込んだ奴が問題ってこと?」
訓練士達が深刻そうに頷いた。
「吹き込んだ奴は、お嬢さんの一族の非主流派だ。いわば身内からの裏切り者」
と事情通。
「難癖の内容は」
しゃべっているうちに怒りがぶり返してきたのか、仕切り役の顔色が酷くなる。
「血に狂った小娘との婚約など願い下げだと、きれいに飾った修辞まみれの文言で伝えて来やがった」
「血に狂った?」
事情通が説明した。
「この剣闘士団の通称だよ。お嬢さんは剣闘士狂い、血に狂っているから剣闘士団を抱えていると」
というわけで、この剣闘士団は悪意のある連中からはこう呼ばれているそうだ。
生死を賭して闘って、勝てば生き残り名誉を得られる、人を人とも思わぬ火花散らす修練の場。
──狂嬢の試練場。
2025/5/16 意図せぬ空行を修正
2025/5/20 本筋に絡まない些細な表現を修正
2025/7/24 混乱を避けるために、休日に会う相手の例を擁護者から崇拝者へ変更




