11a-2 はじめてのお嬢さん
俺が暮らす剣闘士団の敷地内には、普段剣闘士が入らない建屋という奴がいくつかある。
それは例の尋問部屋の設えてある建屋だったり、書類仕事の事務所や警備の私兵の詰め所といった、いわば剣闘士稼業の裏方、あるいは背骨にあたる業務で使用されている。
背骨があるということはもちろん頭脳もあるわけで、それが『お嬢さん』のいる建屋となる。
そして、お嬢さんは街の有力者の娘さんであり、普段は街にある一族の屋敷で暮らしている。
つまり、団の敷地内にあるお嬢さんの部屋は仕事専用の執務室、現代社会で言えば職場の上司の部屋というのが一番近い。具体的に言えば社長室となる。
お嬢さんに呼び出しを食らった俺は、剣闘士を取りまとめる現場側のトップの一人である仕切り役の訓練士に連れられて、その部屋を訪れていた。
「おお、慈悲深きご主人様! 日々を死にゆく野卑な奴隷剣闘士が、貴き御前にある事をお許しください!」
「これは?」
お嬢さんは俺の挨拶をごく自然に無視して、傍らにいた仕切り役の訓練士に質問した。
「暗記ですな。口にしている内容を理解している訳じゃあ、ありません」
「では、暗記なしで喋らせると?」
「おい」
仕切り役が俺に向かって顎をしゃくる。
「お嬢さん、えらい。俺、奴隷。俺、お嬢さんの、いうこときく」
この世界の言葉を頑張って覚えている俺だが、端的に言って接続詞や助詞がまだまだ拙い。そのため、油断するとたやすく『オレサマ、オマエ、マルカジリ』のような単語の羅列になってしまう。
俺の返事を聞いたお嬢さんは、急な頭痛を覚えたかのようにこめかみに指を当てた。
「よろしい。無理をせず、奴隷語で話すことを許します」
奴隷語というのはこの国──四都市同盟の文化圏で本来話されていた言葉と、商人や奴隷としてやってくる外国人だの蛮族だのの言葉が混じって生まれた交易語が、時と共に母語化したものを指す。今では俺達奴隷を含めた一般人が普段遣いしており、共通語だの市民語だのとも呼ばれている。
つまり、四都市同盟では上流階級たる有力者と下々で、喋る言葉まで違うわけだ。
うーんこの。
***
というわけでお嬢さんと普段通りの言葉で喋る許しを得た俺は、普段通りに疑問を覚えた事をそのまま本人に聞いてみた。
「なぜ、剣闘士団を侮った者を採用しようとするか、ですか」
お嬢さんが値踏みするように俺を見る。
仕切り役の訓練士が顔に警戒の色を浮かべたのは、俺が余計なことを言わないかの心配からだろう。
「端的に言えば、嫌がらせです」
嫌がらせかぁ。
「彼ら──あなたの同郷の者達が、あなたの存在を探る為に剣闘士団を侮った振る舞いを見せた。それについては十分に思い知らせた旨、報告を受けています」
とお嬢さん。まぁ骨折ってやったしな。
「それと併せて、彼らの擁護者が、探りを入れる目的で人を潜り込ませようとしていた事も」
お嬢さんの目つきが厳しくなった。
お嬢さんの言葉に、俺と仕切り役はちらりと視線を交わす。
確かに、例の採点役がそのまま団に採用される可能性はなくはなかった。
俺達は、採点役を見破ったが故に、事が露見しなければ、奴は団入りを辞退するだろうと踏んでいた。
お嬢さん視点では、それは俺の同郷を見張るだけではなく、団に人を潜り込ませようとしていたとも取れるわけか。
「つまり、件の街から、剣闘士団が、この私が、二重の意味で侮られた」
一に人捜しぐらいの軽い気持ちで採用試験を受けに来られ、さらにそいつを見張るついでとばかりに、もう一人採用試験を受ける奴がいた。
そして件の街の有力者が、その両方に噛んでいる。
「件の街は、以前にも私の剣闘士団に害を与える振る舞いをしています」
お嬢さんが宣言する。
「私は、件の街がこの街に、この剣闘士団に、この私に敵対的であると判断しました」
お嬢さんはこの街の権力者の娘さんだ。
お嬢さんがその権力を持って決めたのならば、それはその瞬間から事実となる。
「件の街には相応の報いを受けさせます。手始めに、あなたの同郷の方々を引き抜くための工作を仕掛けましょう。まずは、あなた達が痛めつけた相手に採用を持ちかけます」
俺と同郷の自由民は、剣闘士団が自分に敵意を抱いた事を身をもって知っている。
そこで『採用してやる』と言われても、素直に頷けるわけがない。何かグダグダと言い訳はするだろうが、元は向こうが募集に手を上げたのだ。そこに付け入る隙がある。
おしとやかに微笑むお嬢さんを前に、俺と仕切り役は揃って嫌そうな呻き声を上げた。
***
さて、お嬢さんによって今後の方針は示されたのだが、そうすると一つ困った事があった。
件の街が潜り込ませようとしていた、尋問部屋で絶賛接待中のあいつをどうするかだ。
「そりゃあ、行方不明になっていただくしかないだろう」
と仕切り役の訓練士。
確かに、これでシャバに出そうものなら、なんだかんだで件の街に逃げ帰って、黒幕に洗いざらいを報告するだろうというのは目に見えている。
というわけで行方不明にするしかないのだが、それにもやり方というものがある。
一つは、もうこの街にも件の街にも関わるんじゃないぞ、と言い含めてなるべく遠くへ行くように諭す。
もちろん、相手が頷いてもそんなもん信用できる訳がないのでこれはない。
一つは、お嬢さんの権力で奴隷扱いとし、なるべく遠くへ売っぱらう。
自由民の自由って奴が如何に儚いものかわかるってもんだ。
そしてもう一つが──
「処分しましょう」
お嬢さんが断言した。仕切り役がものすごい苦渋の表情を浮かべている。
「死者は何も喋りませんから。それと、せっかくの機会ですし、処分は私にやらせていただいても?」
仕切り役の苦渋がさらに深くなったのだが?
2024/1/27 いただいた誤字報告を参考に表現を変更
 




