10a-2 はじめての尋問(見学編)
奴隷剣闘士とは奴隷の剣闘士である。人権はない。
んじゃあ自由民には人権があるかというと、現代日本のような意味での人権はやっぱりない。
奴隷と自由民を隔てるものが何かと言えば、自分の権利を自分で守る事が出来るかどうかの違いとなる。例えば、自分の食い扶持を自分で稼げるかとか、理不尽な暴力に対して自分で抵抗出来るかとかだ。
近代以前の自力救済社会では力こそパワーであり、ここで言う『力』には権力や財力、そして暴力が含まれる。
つまり何が言いたいのかというと、たとえ自由民であったとしても、自分よりも力を持つ、どこかの権力者やその一党に目を付けられたら無事では済まないということだ。
***
俺の闘いという例外をこそ挟んだが、その後の自由民剣闘士の採用試験は滞りなく進んでいった。
仕切り役の訓練士が煽った興奮が収まってみれば、残ったのは候補生側が誰一人まともに現役剣闘士に勝てていないという現実だ。
最初に立ち合いに臨んだ候補生達は簡単に大地に転がされ、次に闘った紹介状持ちは、剣闘士の間でも明らかに弟分扱いされている言葉遣いが幼稚な奴に、容易く腕を叩き折られた。
ちょっとでもまともに回る頭があれば、彼我の実力差という奴を目の当たりにして、身の振り方を考え直すだろう。
なにせ採用試験に受かればそれで終わりというわけではない。自由民剣闘士になってしまえば、やがて本当の剣闘士興行に顔を出して、俺達と本気で闘う羽目になるのだから。
というわけで何人かの剣闘士候補生が試験を辞退し、残るは自らの腕を信じて油断なく試験に臨む候補生だけとなった。
結果、そこそこいい動きをする奴も出てきて、俺達試験の手伝いをしている訓練同期も『真面目そうな奴を可愛がる』だけで済むようになったわけだ。
「んじゃあ、俺もちょいと新入り候補を可愛がってくるとするか」
と、次の立ち合いの相手役に選ばれた色男が、そう言いながら立ち上がった。
こっちの世界では使わない言い回しなのだが、自由民が追加採用されれば、色男は同じ自由民剣闘士として先輩になる。なので、それなりに気合いが入っているらしい。
色男は訓練士の指示に従って、これから闘う相手に向かって行った。
そして、しばらくして戻ってきた。
「負けた」
「油断しすぎじゃない!?」
なんでこの流れで負けるのかなぁ。
***
結局、日が斜めになって空の端が赤くなる頃、捕虜上がりが最後の候補生の木剣を弾き飛ばして採用試験は終わりとなった。
「よし」
と仕切り役の訓練士が締めに入る。
「最初に言った通り、立ち合いの勝ち負けで結果を決める事はない。候補生には辞退した奴も含めて小遣い程度は渡すんで、遠方からの者もしばらくは街に残ってくれ」
やれやれと皆が立ち上がり、一端解散の運びとなった。候補生達は訓練士に連れられ訓練場から去っていき、俺達現役組は凝った身体をほぐしながら今日の立ち合いの感想なんかを喋っている。
さてと。
「で、どうなったの?」
と声をかけた先は、捕虜上がりに女顔、理屈屋の訓練士に事情通の訓練士、そして犯罪奴隷の奴がひそひそと喋っている一角だった。こうして見ると、訓練同期の中でも考える頭がある者が手伝いをやらされていたのがわかる。
「とりあえず着てるもんひん剥いて転がしてある」
と犯罪奴隷。隣で事情通がわざとらしく肩をすくめて、
「残念な事に、こいつはお前さんの同郷の奴とは違って、紹介状の類いを持ってなかったからな」
と補足する。同郷の候補生にもその正体を隠していたことが、ここで裏目に出るわけだ。
「これから存分に締め上げて腹の中身を吐き出させる」
改めて話を聞くと、訓練士達は俺と同郷の候補生のやり取りから奴の側の採点役の存在を想定して、訓練同期の頭いい枠の三人に、怪しい奴を見繕う手伝いをさせたらしい。結果、あの場の空気に飲まれずに、妙に冷静な目つきだった重装型の候補生がとっつかまったというわけだ。
「でも、もし間違いだったら、どうするの?」
念のために確認する。これがもしも剣闘士団側の考えすぎ、勘違いだったとしたら、重装型は何の罪もないのにこれからボコられる事になるのだが。
「別に」
と理屈屋がにべもなく言った。
「運の悪い売剣稼業が一人、剣闘士団の敷地に入っていなくなった。そんなもの、誰が気にするってんだ? 気にした所で、誰がそれを指摘できる?」
この剣闘士団の持ち主のお嬢さんは、この街の有力者の娘さんだ。剣闘士団は、その権力を背景に、好きなように暴力を振るう事ができる。
たかが自由民の立場など、本物の力の前ではなんの助けにもならないのだ。
***
「んじゃあ、せっかくだから手伝わせたお前らにも、尋問の様子を見させてやろう」
と言い出したのは、理屈屋の訓練士だった。
心底嫌そうな顔をする俺達に、事情通が面白そうにニヤニヤする。
「あの、別に俺らそんなの興味ないですからね?」
困った顔の女顔が抵抗を試みるが、理屈屋はそれを気にもとめずに、
「お前らは同世代の中じゃちょいと頭が働くからな」
と話を続けた。
「剣闘士団についても、こんなもんか、と見切ったつもりになってるだろう。それなら、ちょいと深い所も見せてやろうとな」
「悪趣味が過ぎるぜ」
捕虜上がりが嫌悪感も露わに感想を述べた。犯罪奴隷の奴は諦めたように両手を上げて、ぐるりと目玉を回して見せる。
俺はふと思って尋ねてみた。
「頭がはたらくって、それって、俺も?」
皆が俺を見て沈黙した。
ねぇ、俺は?
***
せっかくだからと見せてもらった剣闘士団の尋問のやり方は、例えて言えば
「私がなんで怒ってるのか、わかる?」
の暴力版だった。
「お前ら、なんのつもりだ!」
まずは、ギャンギャンと吠える重装型にズタ袋を被せて、何も言わずにボコボコにする。
「ちょっ、おい! やめろ!」
しばらくすると文句が泣き言に変わるのだが、気にせずさらにボコボコにする。視界を奪われた被害者は、いつ痛みが来るのかわからずに、どんどん精神を削られていく。
「……! ……!?」
ズタ袋が涎だか血だかで充分湿ったあたりで、いったん脱がして様子を見る。
「……」
ここでまだ目に光がある場合は、もう一度袋を被せてボコボコにする。
これを何度か繰り返すと、やがて相手の心が折れる。現代で言うところの学習性無力感に陥って、何をしても反応しなくなる。
そこで、ボコボコ役とは別の人間が現れる。ズタ袋を脱がすと「ひどい」とか「かわいそうに」などと慰めの言葉をかけながら、涎や血なんかを拭ってやる。そして、落差にシクシク泣き出す重装型に、優しく
「話して」
とだけ声をかける。言われた方はなんの事かわからないのでキョトンとするが、そうすると尋ねた方は悲しそうな顔をして引っ込んでしまう。これから何が起きるかを理解して、重装型は戻ってきてくれと泣き叫ぶ。残念ながら、戻ってくるのはボコボコ役で、相手は絶望の声をあげる。
ズタ袋とボコボコが再開される。
学習性無力感というのは、何をやっても状況を変えられないという諦観がもたらすものだ。
その後で、優しく状況を変える手段を示された人間はどうなるか。
重装型の候補生は、剣闘士団が望む答えを言おうと、自分の知っていることを何から何まで、次から次と話しはじめた。
2023/2/12 一部表現、些細な誤字を修正
2024/1/27 いただいた誤字報告を参考に表現を変更




