1b-1 剣闘士訓練生
「貴様らは」
と俺達の前に立った訓練士が言う。
「まだ闘技に出せるような出来じゃあない。それどころか、一端の戦士とすら言える物じゃない」
訓練士は右手に剣を、左手に盾を持って俺達を睨め付ける。どちらも木製の訓練用で、俺達も同じ物を持たされている。
「まずは剣と盾の構え方を教えてやる。俺の構えをよく見ろ。それから真似ろ」
俺達訓練生は言われたとおりに剣と盾を構えてみせる。姿勢が悪い奴はその場で直され、態度が悪い奴はその場で殴られる。たっぷりと時間をかけてなんとか全員がそれっぽく構えを取れるようになると、次は『脱力』と『構え』が始まった。
「脱力!」
訓練士の声に合わせて武器を持つ手をだらんと下げる。
「構え!」
習った通りに武器を構える。
ここで習った通りにいかない奴は直され、その間他の訓練生は『構え』の姿勢で待たされる。
「脱力!」
腕を垂らす。
「構え!」
武器を構える。
「脱力!」「構え!」「脱力!」「構え!」……
何度もそれを繰り返すうちに、『構え』で姿勢を直される奴がいなくなってきた。
「へっ」
訓練生の誰かが馬鹿にしたように小声で呟くのが聞こえてきた。
「こんなもの、大したことねぇじゃあねえか」
確かにこれ自体は簡単で単純な訓練だ。変化と言えばそのうち掛け声の替わりに銅鑼が鳴らされるようになったぐらいで、俺は拍子抜けした気分で銅鑼に合わせて『脱力』と『構え』を繰り返した。
だが、その単純な作業がいつまで経っても終わらないと気付いた時、俺はこの訓練のヤバさを理解した。
最初は軽かった木剣と木盾がだんだんと重くなってくる。腕が徐々に熱を帯びだし、全身をじっとりと汗が流れ出す。
簡単だったはずの構えの姿勢がどんどん難しくなっていき、姿勢が崩れた奴は容赦なく訓練士達に殴られた。
銅鑼が鳴って『脱力』する。
銅鑼が鳴って『構え』を取る。
俺は心の中で悪態をつきながら、こいつが少しでも早く終わることを祈っていた。
残念なことに、数時間後も俺は同じ事を祈っていた。
***
剣闘士団に入る事になった俺だが、それがどういうものかはいまいちわかっていなかった。
俺が剣闘士と聞いて思い浮かべるのはもちろん古代ローマの物だが、それだってせいぜい映画や漫画で見た事がある程度で、奴隷を戦わせる見せ物ぐらいの知識しか持っていない。
問題は、俺が転移してきたこの世界の剣闘士が、映画のように敗者の死をもって決着とするタイプかどうかだ。
以前なにかで聞いた話によると、剣闘士を死ぬまで戦わせるようになったのはその長い歴史の中でも割と後の方であり、それまでは負けても客を楽しませる闘いをしていればそこそこ生き残れる目があったらしい。
プロレスや相撲で想像してみるといい。試合の度に負けた奴を殺していたら、あっという間に人材が枯渇して、ベテランが育つ余地も、選手同士の因縁といった盛り上がる要素もなくなってしまう。流れる血が多ければ多いほどいいという連中には受けるだろうが、長い目で見れば興行としての自殺にしかならないだろう。もしもこの世界の剣闘士興行がそんなタイプだったらたまらない。
と、いかにも深刻そうに言ってはみたが、実の所俺はそれほど心配してはいなかった。理由は、俺を競りにきたお嬢さんが連れていた、護衛の自由民剣闘士の存在だ。
自由民というのはその名のとおり奴隷ではない人間の事で、それが剣闘士をやっているということはわざわざ志願してやっているか、自分を買い取るなりなんなりで奴隷から解放されたということだ。
ということは、この世界の剣闘士はチャンスやスリルを求める自由民が挑戦したり、奴隷が自分を買い取る金を貯められる程度には生存率が高いということになる。
闘技についても、いきなり素人を闘わせるような真似はしないだろう。高い金を払った財産でもある奴隷を無駄死にさせても勿体ないので、ある程度の訓練はしてくれるはずだからだ。
とまあちょっと安心していた俺だったが、一点だけ見落としていたことがあった。
奴隷を剣闘士として訓練するにしても、別にまともな人間扱いをするとは限らないということだ。
***
剣闘士団に買われた奴隷達は最初は訓練生という身分にされた。文字通り剣闘士としての訓練を受ける身で、日が昇ってから沈むまで訓練士にしごかれて、ぐったりして眠る生活をする事になる。
剣闘士団の敷地は街の外、と言っても街からは子供の足でも歩いていけるようなほんのちょっとの距離にあった。興行の時には客が街からこちらに出向くらしい。
最初は、奴隷商人の館は街の中にあったのになんでこっちは外かと思ったのだが、実際に見てみて納得がいった。とにかくだだっ広いのだ。
まずは闘技場がある。これは例えるなら奴隷の競り市で見た客席と舞台の拡大版で、周囲に段差のついた観客席がある四角く整地された大広場だ。
闘技場の周りには興行の時に屋台でも開くのか、こっちもかなり広めに取った通路がある。あちこちに看板(俺は読めない)が立っているので、客はそれを見ながら動くのだろう。
闘技場から通路を挟んだ周りにも様々な建屋が並んでいる。こちらは上客向けの休憩所や、剣闘士団の関係者用の施設だそうで、書類仕事の事務所やら、武具を管理する武器係やら、警備の私兵の詰め所があった。
それから、闘技場からは周囲の建物が邪魔ですぐには見えない程度に奥の方、塀に囲まれた一角が、実際に闘技場で血を流す事になる奴隷剣闘士とその訓練生が暮らす場所だった。
訓練生と言ったが、もちろん俺一人だけではない。俺がいた奴隷商人の所以外からも奴隷を買い付けていたらしく、さらには予想通り自分から剣闘士になろうという自由民もいたからだ。
聞いた話によると、やはり闘技で毎回人が死ぬような事はないらしい。と言っても、いくつかの剣闘士団が共同で行うような大きい興行では、とびきりの剣闘士をまさに命懸けで闘わせて、敗者を神へ捧げると称して殺すこともあるという。やめてくださいそういうことは。
そこまではいかなくとも、日々の興行の中でどうしても死ぬ奴は出てくるし、二度と剣を持てないような大怪我をして引退を余儀なくされることもある。
俺が入ることになった剣闘士団では、普段からある程度余裕を持って剣闘士を抱えておいて、その数がそこそこ減ったあたりでまとめて訓練生を採るという運営をしているようだった。
訓練生の顔触れも、見世物としての側面からかこれがなかなか多彩だった。どこでやってるかは知らんが戦争で負けたとかいう捕虜上がりの外国人。異民族を相手にした奴隷狩りの戦利品(俺は一応この枠に入る)。元自由民の犯罪奴隷に債務奴隷。もっとマシな仕事をしていたはずが、主人の都合で転売されてきた一般奴隷。それから、自分から志願した頭のおかしい自由民。
そういう一癖もふた癖もありそうな連中に囲まれて、俺の剣闘士生活は始まったわけだ。
2020/9/22 サブタイトル修正
2024/1/27 いただいた誤字報告を参考に表現を変更