9b-1 言の葉の示すもの
「そりゃ、最初からお前さんを値踏みしようとしてたんだよ」
と、奴隷剣闘士の『犯罪奴隷』が言った。
「剣闘士団に睨まれていいことなんてありゃしねえんだから、渡りを付けるだけなら多少金がかかったって崇拝者枠で面会すりゃあ済む話じゃねえか」
得物を取りに戻った俺の事情説明を聞いて、おそらく訓練士達が敢えて触れなかった点を指摘する。
「値踏みって、なんのために?」
端で聞いていた自由民剣闘士の『色男』が疑問を挟んだ。
「そりゃ、『無垢なる者』が唾を付けておくのに値するのか、無理してでも買い取るほどか、それとも見なかった事にするかだよ」
と犯罪奴隷。
「剣闘士は奴隷の中じゃあ値が張る方だ。なんたって、食わせて鍛えているんだから」
ある意味、俺達剣闘士は技能職種だ。その技能を延ばすために、剣闘士団は才あるものを見繕い、金をかけて育てている。
俺は話を聞きながら『卵頭』のあだ名の由来になった兜を帽子のように半分被り、木剣と木盾を手に取っていた。そのまま団内で『無垢なる者の踊り』と呼ばれている、軽めの柔軟体操をする。
「じゃあ、なにか?」
と色男。その声は先ほどから徐々にこわばりはじめており、今では良くない色を含んでいる。
「その同郷って野郎は、俺達剣闘士の、興業で殺しも経験している『無垢なる者』を、わざわざご自分の手で、金を払う価値があるのか試してくださるって?」
「そう言っている」
答える犯罪奴隷の声にも不機嫌さが滲んでいる。
ふたりの言葉が浸透していくにつれ、訓練同期の間にも不穏な空気が漂いはじめた。
「はぁん」
ぼそり、と誰かが呟いた。
「舐めやがって」
実のところ、柔軟体操を終えた俺も似たような感想を抱いていた。
舐めやがって。
***
片やふんどし姿の奴隷剣闘士、片や街から街への自由民。
片やこっちじゃ剣闘士団にしか縁を持たない言葉もあやしい野蛮人、片やどこぞの偉いさんの裏書き付きの紹介状持ち。
同郷に出会った嬉しさがないと言ったら嘘になるが、こうも彼我の差を見せつけられれば思うところがないわけがない。
端的に言ってしまえば、それは妬み、小人の嫉妬の類だ。俺は器の小さい人間なのだ。
もちろん、俺にもそいつを面に出したら拙い程度の頭はある。なにしろ相手は俺を奴隷身分から救ってくれるかもしれないのだから、舐めろと言われれば足も舐めるし、貸せと言われればケツだって貸す。まぁ、実際に貸せと言われた時は「優しくしてね」ぐらいは注文をつけるだろうが。
そして同時に、全面的に信用する事もできない。
異郷に在って同郷の者に出会い、心を許したところで騙される、なんていうのは古今東西ありふれた物語だ。俺はうっかり預かった荷物に違法薬物が隠されていて国境で逮捕されたり、外泊証明証にサインしたつもりが実は傭兵契約だったなんて目には遭いたくない。
というわけで、殴り合う前に探りを入れることにした。
「相手にいくつか質問をしたい?」
俺の要望を聞いた仕切り役の訓練士が、片方の眉をぐいっと上げた。
「あとあと面会の時にでも聞きゃあいいだろう」
ごもっともな意見である。
「でも、これから殴り合うから、面会に来られなくなるかも、しれないし」
「ああ」
俺は暗に、場合によっちゃあそれどころでは無くなるかもしれないと言っていた。なにしろ、これから剣闘士団と剣闘士そのものを舐めた落とし前で相手をボコボコにする予定なのだ。
「いいだろう」
と仕切り役。
「ただし、話題は二つまで、それとお前らの『部族』の言葉じゃなく、俺達の言葉で喋れ」
きっちりと念を押すのは、おそらく訓練士達がわからない言葉で口裏を合わせ、脱走や反乱を試みるのを警戒しているのだろう。
「ボコった後で、あいつを持ち帰る奴がいるのかも、聞いておきたいんだけど」
「んじゃあ、そいつを含めて切りよく四つまでだ」
そこで、ふと感心したように仕切り役が言った。
「それにしても『無垢なる者』、だいぶ言葉を喋れるようになったじゃねぇか」
そう、そいつもまた問題なのだ。
***
装備を整えた同郷の姿は、反りのある片刃剣を模した木剣に小さめの盾、防具はしっかり身につけつつも兜は被らず顔出しの、剣盾兵を軽装に寄せたような物だった。
当たり前の話だが、防具は本来食らうとヤバい部位に優先して付けたほうがいい。次にくるのが攻撃を受けやすい場所で、頭部はその両方の条件を満たしている。
なので、俺の知る限りでは兜を被らないのはウチの『女顔』のように顔で売ろうとしている剣闘士か、先の二刀流の候補生のように手数勝負で暴れまわるのが身上で、不利を覚悟で軽量化と視界の確保を優先する奴だと思っていた。
「兜は、いいの?」
軽く世間話の体で話を振る。さすがにこの程度では質問のうちに入らない。
「当たらなければ、って奴ですよ」
同郷の候補生が笑いながら言う。
「頭を狙えば動きでわかる。俺なら充分、対処できる」
「ふうん」
たいした自信だが、俺に言わせればそんなのは兜を被らない理由になっていない。なので、要は被りたくないから被っていないというだけだろう。
「まぁ良んならいいけど。でも、うっかり怪我した時とか、連絡しといた方がいい相手、いる? こっちに」
「一応ツレが街で宿取ってますんで、なんかあったら繋いでもらえば」
四つの質問の一つを消化。これ世間話って事でおまけしてもらえないだろうか。
「仲間も来てるんだ。そう言えば、仲間と相談してこっちに来たって言ってたけど、その子がその仲間? 他にもいるの?」
二つ目の質問。言外の意味を汲みとってくれるだろうか。
「仲間のひとり、ですかね。同郷の人間が十人ばかり集まって、こっちの人の世話になってます」
世話になっているという言い方が気になるが、食客のような立場ということだろうか。つまり、俺と違ってこちらの世界の有力者にコネを繋いだ異世界転移者の集団が存在すると。
「それで俺を助けにきてくれたんだ、ありがとう」
三つ目の質問は、わざと阿呆の子の振りをして素直な感謝の気持ちに偽装する。
同郷の候補生が気まずそうに言葉を濁した。
「あー……、申し訳ないけど、俺の仕事は本当に同郷がいるかの確認とそいつの能力の確認までで、助けるってのはまだ断言できないんだけど」
能力ってなんだよ。
なんか知らん用語が出てきたので四つ目の質問はそいつにしようかとも思ったが、アドリブに自信がないので一番聞きたかった事をたずねる事にした。
「ところで」
さりげなく聞いてみる。
「今、何語をしゃべってるの?」
「え? 日本語だけど」
何を言っているんだという顔。
俺は最初から最後まで、こちらの言葉で喋っていたのだが。




