9a-1 悪魔が微笑む時
「剣闘士は基本、興行以外は朝から晩まで訓練している」
と事情通の訓練士が言う。
「そりゃそうだ」
「それが仕事だもんな」
「休みたい」
債務奴隷、色男、それから俺が合いの手を入れる。
「そして、実のところ正規兵や売剣稼業といった連中は、お前らほど闘いの経験があるわけでもないし、訓練に時間を割いてもいない」
と事情通。
「そりゃなんで」
「それが仕事じゃねえの」
「替わりたい」
事情通が『こいつら頭悪いな』という顔を捕虜上がりに向ける。捕虜上がりが残念そうに頷いて説明を引き継いだ。
「つまりだな」
と捕虜上がり。
「戦争や護衛仕事では、実際に敵と刃を交える以外にも、やることが山ほどあるわけだ」
***
例えば、集落と集落、都市と都市、まぁその手の連中が肥沃な土地や沼鉄鉱といった有力な不動産をめぐって対立したとする。
するとまずは目的の不動産を確保するために人手を出して、それを守ったり奪ったりが始まり、やがて戦争へと至る。
そして、さあ戦争だとなったとしても、集められた兵隊はまずは現地への移動やそこでの野営、哨戒や同じように兵隊を出してきた相手との睨み合いなどに多くの時間を費やす事になる。
戦争といってもいきなりドカバキ殴り合いが始まるのはまれであり、まずはお互いに武力を見せびらかしたり、有利な位置を占めて相手の意志を挫こうとしたりするわけだ。明らかに勝てない相手と戦うのは誰しも嫌なので、この段階でどちらかが諦めて、結局戦わずに兵隊を引き上げるなんてのも別に珍しい事ではない。
これが隊商なんかの護衛仕事ともなれば、睨みを利かせることこそが主な仕事で、襲ってくる馬鹿共との闘いが起きる方が例外だ、なんてことになる。
そして、動員されたのが正規の兵隊や常雇いの私兵なら上の命令に従ってりゃあいいわけだが、これが傭兵あたりになるとさらに雇い主との契約といった手続き、交渉、駆け引きが加わってくる。
それらの非日常が日常化した果てに、最後の最後で、本当に敵味方が刃を交える真面目な戦闘が発生する。つまり、俺達が戦争と聞いて思い浮かべる情景だ。
「それに比べると剣闘士は」
と、捕虜上がりが俺達との違いを強調した。
「飯も寝床も団持ちで、些事も雑事も他人任せ、そして闘いだけは必ずやる羽目になるとくる」
実際の戦争には緩急があり、対等の敵と戦う機会など滅多になく。
それに対して剣闘士は、必ず、絶対に闘う事を定められている。
剣闘士。純粋に闘いだけを、それも正面切ってのそれだけを叩き込まれた異形の戦士。
「それがそうそう、一対一の立ち合いで娑婆の売剣稼業相手に負けるものかよ」
捕虜上がりはそう言って話を締めくくった。
「でもそれだと、集団戦を知らない俺達は普通の戦争になるとなんの役にも立たなさそうだな」
色男が感想を述べた。
「そだね」
「矢なんか射られても防ぎ方とか知らんもんな」
俺と債務奴隷が同意する。
「その場合は、まぁぶっちゃけなんもできずに死ぬだろうな」
捕虜上がりが厳しい現実を教えてくれた。
せっかく身に付けた技術も、状況次第で全部無駄。
悲しいなぁ剣闘士。
***
などと駄弁っている間にも立ち合い試験は続いており、気がつけば自由民の剣闘士候補生達は次々と泥を付けられていた。
重装型の候補生は存分にイビキ野郎にかき回されて、ついに片膝を着いた所で採点役の訓練士が鋭く「それまで!」の声を上げた。声と共にビタリ、と止まったイビキ野郎の木剣は、まさに相手の首筋に向けて振り下ろされる寸前だった。イビキ野郎もちょこちょこ痣なんかを貰ってはいたようだが、結局、重装型は訓練士が浅いと判断する程度の反撃しか出来なかったようだ。
二刀流の候補生はその多彩な攻撃のことごとくを犯罪奴隷の野郎に対応されて、焦りからか動きが雑になる瞬間があった。犯罪奴隷がそれを見逃すはずもなく、つけ込まれた二刀流は徐々に主導権を失っていった。最後は左右の剣を外に弾かれ、開いた正面の下腹に犯罪奴隷の木剣の切っ先がスッと当てられ、訓練士が立ち合い試験を止めた。固まる二刀流に対して、犯罪奴隷は切っ先を持ち上げて軽く相手の顎先に触れると、やれやれといった態度で踵を返して見せた。
女顔の玩具にされた剣盾兵は悲惨の一言だ。立ち合い前に見せた自信の通り、剣盾兵の腕自体はそこまで酷くはない。だが、女顔は僅かに上回る剣の振り、僅かに上回る見の良さ、一歩先をいく脚の使い方といった素の能力でことごとく相手を打ち負かして見せた。結果、剣盾兵は体力のすべてを絞られたあげくに膝裏を軽く蹴られ、訓練場にひっくり返って空を仰ぎ見る事になった。
ろくな反撃も出来ず、見せつけられた実力差にうなだれる重装型の候補生。
おそらくは自慢の技術の数々が通じず、悔しそうに地を叩く二刀流の候補生。
訓練場にひっくり返ったまま動こうとしない剣盾兵の候補生は、手を掴まれると無理矢理にその上半身を起こされた。
「いつまで寝てんのさ」
と引き起こした女顔が言う。
「で、どうだった? お大尽みたいに俺に相手をしてもらった感想は?」
汗に濡れた髪をかきあげながら悪戯っぽく笑いかける女顔に、茫然自失の剣盾兵が顔を向ける。そして、女顔の笑顔を映して、その目に徐々に光が戻ってきた。
「あ」「あ」
債務奴隷と事情通の訓練士が声を上げた。捕虜上がりは額に手を当てている。
剣盾兵は女顔の手を握り返すと立ち合い前の無礼を謝罪し、女顔の実力と容姿を熱心に褒めはじめた。
「どうやら俺達の実力を認めたようだな」
と節穴代表の色男。
「ちがうと思う」
と返す俺。ありゃあれだ。
人が恋に落ちるところ初めて見たわ。
***
というわけで無事に(無事に?)最初の数組の立ち合い試験が終わった訳だが、ふと見ると次の立ち合いに誰を出すかで候補生側で何か揉めているようだった。
「実力差にビビって辞退しようって奴でも出たか?」
水をざぶっと浴びて戻ってきた犯罪奴隷が予想を述べた。同じく水を浴びてきたイビキ野郎が全身を震わせて水しぶきを飛ばし、周りの訓練同期がぶつくさ文句を言っている。
確かに、これだけの実力差を見せつけられて、剣闘士なんざ無理だと諦める奴がいてもおかしくはない。
「またあいつかよ」
と、騒いでいる奴に心当たりがあるのか、うんざり口調の事情通が様子を見ようと駆け出した。
「また?」
と犯罪奴隷。
「田舎者だよ、糞削ぎ棒で飯を食うような」
事情通の訓練士が言った。
騒いでいる自由民の候補生は、どうやら闘う相手を逆指名しようとしているらしい。
「『無垢なる者』と闘わせろ」
とそいつは抜かした。
つまり、他の異世界転移者を探しているのは俺だけじゃなかったということだ。




