8a-2 自由民剣闘士
自由民剣闘士の中途採用を手伝う事になった俺達に、訓練士側は二つの指示を出してきた。
一つは、真面目そうな奴は可愛がれ。
もう一つは、態度が悪い奴をうっかり殺すな。
***
沸き立つ観客を前に闘い血を流し、声援罵倒を一身に浴び、栄光か一生残る酷い瑕疵、あるいは冷たい死を手に入れる。
剣闘士の生き様は端からはそりゃあ華やかなものだが、その本質は残念ながら賎業の類だ。世間様の評価はぶっちゃけ娼婦や男娼よりも低い。なので、基本的に闘っているのは嫌々やらされている奴隷剣闘士で、わずかな自由民剣闘士達は様々な事情からその身を闘いに身を投じている。
自由民剣闘士になる奴には大雑把に三種類の手合いがいる。
一番多いのが自らを買い戻した元奴隷剣闘士だ。自由を手に入れたはいいが、他に生きていく術も知らず、嗅ぎ慣れた汗混じりの血の臭いの中へと戻ってくる。
次に多いのがどうしてもデカい額の金が必要だが、さりとて奴隷落ちはできない事情を抱えた連中だ。債務奴隷として自らを売り飛ばすをよしとせず、代わりに命を賭けて闘技場に立っている。
それから、時たまいるのが剣闘士団の宣伝文句を真に受けてしまったうっかりさんで、闘いの場でこそ男たるの何かを証明出来るとばかりに、進んで日々を死にゆく道へと歩み出す。
さて、そういう意味では中途採用に手を挙げた自由民達は最近金が必要になったということになる。元々が剣闘士なら別の売り込み方があるし、最初からやる気があるのなら訓練付きの募集の時にとっくに顔を出しているはずだからだ。
「まぁ仕事でしくじったんだろうな」
と『事情通』の訓練士が言う。
「護衛を果たせなかった護衛役、戦場で酷い無様を晒した私兵に傭兵、あるいはよっぽど悪辣な真似をして評判が地の底で、奴隷落ち一歩手前の連中とか」
世の中剣で食う術は様々だが、全ては信用あればこそだ。駆け出しならば許されるような失態もベテランともなればそうはいかず、お呼びが掛からなくなればすぐさま飯の食い上げとなる。
そこでたちの悪い連中は野盗山賊に鞍替えし、運が悪い連中は借金か犯罪に手を出して奴隷に落ちる事になる。売剣稼業からすっぱり足を洗うという選択肢もあるにはあるが、そうそう器用に生きられれば苦労はしない。
そんな中で自由民剣闘士は最後の拠り所となるわけだ。
「俺達は剣で生きてきた」
と、売剣稼業の一部は謳ってみせる。
「ゆえに、死ぬ時は剣で死ぬことを望む」
御大層な言い分じゃないか?
「それで、『可愛がれ』と『殺すな』か」
話を聞いていた捕虜上がりが得心したように繰り返した。
「真面目に稼ごうって奴には剣闘士の厳しさを教えてやって、諦めさせるなら早い方がいいと」
剣闘士稼業はさんざん述べた通りのクソ仕事だ。そいつが真面目でまともな奴であればあるほど、こんな世界には来ない方がいいと剣闘士団ですら温情を持って考える。そして、その厳しさを知った上で剣闘士を目指すならば、そいつは闘技場で剣を交わすに値する強敵となるわけだ。
と、ここまでは『可愛がれ』の話である。
「んじゃあ『殺すな』は?」
色男がわざとらしく混ぜ返すのに、珍しく捕虜上がりが意地の悪い笑い方をした。
「そりゃあお前、わかるだろ?」
候補生達は訓練士に得手不得手を確認されて、それに見合った訓練用の得物を渡されていた。俺達訓練同期側に付いた訓練士はそれを見ながら『相性のいい』現役を選んで打ち合う相手として送り出す。
例えば、今装備を整えて出てきた候補生は訓練場で周囲からの視線に居心地悪そうにしていた奴で、その格好はしっかりと防具を身に付けて大盾を構えた重装型だ。
その相手として出されたのは半ば防御を捨てた狂戦士型のイビキ野郎で、背中から被る毛皮と腕にくくりつける様式の小盾ぐらいしか防具を身に付けていない。重装型の候補生は防御に徹して次々と襲ってくる攻撃に耐える形になるだろう。
周りを睨み返していた奴は珍しい事に左右の手に一本ずつ木剣を持った二刀流だった。装備は兜を被らず他の防具も最低限に抑えた軽装型。どうやら手数勝負が得意らしいこいつの相手には犯罪奴隷の奴が当てられていた。犯罪奴隷は得物と自分の身体を思い通りに動かせる身体操作に長けた使い手なのだが、他にはこれと言った特徴のない一般的な剣闘士だ。二刀流の候補生はどれだけ犯罪奴隷の意表を突ける攻撃を繰り出せるかが鍵となるはずだ。
薄ら笑いで余裕をぶっこいていた大物はどうやら正規兵スタイルの正統派の剣盾兵らしい。得物を持たせればこれがまた外連味のない立ち振る舞いで、その所作には自信の程が見て取れた。相手をするのは女顔で、興行の時のように化粧こそしてはいないが、その薄い胸を見なければそれこそどこかの小娘が迷い込んだのかという佇まいだ。
***
こちら側の面子を出した後で
「さすがに舐めすぎじゃあないですかね」
と言い出したのは二刀流の候補生だった。その声にはわずかな怒気が混ざっている。
「舐めすぎ?」
と仕切り役の訓練士。
「わかってんでしょうが。得手不得手の相性が、明らかにこっちに有利な組み合わせだ」
重装型も口には出さないが、二刀流の言葉に同意するような仕草を見せる。
「俺は別にそこの『お嬢ちゃん』が相手でも文句はないが」
剣盾兵が肩をすくめて言った。
「俺らの相手よりどこぞのお屋敷でお大尽の相手をしているほうがよっぽど似合いそうなのはどうかと思うね。それともそういう相手をしてくれるのかい?」
出番待ちを含めた候補生側で笑い声が上がる。
それを受けて、俺達訓練同期側でも笑い声が起きた。もっとも、俺達の笑いは奴らの物とは意味が違うが。俺達はこれから起こることを想像して笑っている。
仕切り役の訓練士が面倒臭そうに頭を掻いた。
「お前とお前」
ある程度笑い声が収まった所で、仕切り役が犯罪奴隷とイビキ野郎をヒョイヒョイと指差した。
「こいつらになんか見せてやれ」
犯罪奴隷が金属の防具を身に付けて木剣木盾を構えたまま、その場で後方宙返りをして見せた。ずどん、と重い着地音が響き、付いた地面の足跡は跳ねる前とほとんど変わらない位置だ。
イビキ野郎が女顔に向かってガウガウ唸った。言いたいことを察した女顔が自分の木剣をイビキ野郎に向かって放ってよこすと、イビキ野郎はまだ空中にあるそれを剣の一撃で叩き折って見せた。
「おっと」
言葉を失う候補生達を前にして、女顔がわざとらしく困った顔をしてみせた。
「俺の得物がなくなっちゃったね」
女顔が俺達に向かって手招きする。立ち上がった俺は、捕虜上がりが渡してくれた木剣を音を立てて何度か振ると、思い切り回転をかけて女顔に投げつけた。
女顔は飛んでくる木剣に顔も向けずに柄を掴むと、勢いを殺すためにその場で剣舞のようにぐるりと旋回して見せた。
そしてぴたりと止めた剣先は、まっすぐに剣盾兵の候補生を向いている。
「で、誰がしゃぶって欲しいんだっけ?」
態度が悪い奴をうっかり殺すなよ。
2021/11/25 些細な誤字修正




