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7b-2 衣食住、それから便所

 ベテラン剣闘士のひとりが自殺した。


「マジで?」

 飯の時間にそれを聞いた俺達は食堂内を見回したが、訓練同期以外となると、誰の顔が欠けているかはわからなかった。

「自殺ったって、どうやって?」

 と訓練同期の誰かがひそひそ聞いた。

 奴隷剣闘士は、団から自殺を警戒されている。『日々を死にゆく』俺達は、油断するとすぐに絶望してこの世から逃げ出そうとするからだ。

 そのため、自由民なら持っていて当たり前の小刀(ナイフ)は所持が禁止されているし、尖ったものや、首を吊れるような長い(ロープ)類や大きめの布の類まで所持を制限されている。

 小刀(ナイフ)はこの世界で日常生活をする上での必需品だ。自由民ならちょっとした小物を削ったり食い物を切り分けたりするために誰もが腰に吊っている。現代で言えば情報機器(スマホ)のような扱いで、持ち歩かないのは余程の変わり者という事になる。それを持つことが許されない奴隷剣闘士がどういう立場かわかろうものだ。

「飯の時間にする話じゃないぜ」

 話を振ってきた捕虜上がりの奴が言う。聞けば、自殺が発覚した時に偶然近くにいて、そいつを『医者』の所に運ぶ手伝いをやらされたらしい。飯の時間にする話じゃないと言いつつ、ひとりで抱え込んでもいられないで、ついつい口にしてしまったようだった。

「でも自殺なんてその場で大騒ぎになりそうなもんなのに」

「便所だったんだよ。あそこはちょっと離れてる」

 便所で自殺。確かに物を食っている時にする話ではないが、ここまで聞いたらその方法が気になるのが人情だ。

 そうやって皆で詰めると、捕虜上がりは溜め息をついて俺達に説明した。

「糞削ぎ棒だよ。あれを目に当てて奥までズブり」

 確かに聞かないほうがよかったわ。

 その場にいて話を聞いてしまった全員が、視線を落として嫌そうに飯をつつき始めた。


   ***


 異世界転移(プレインズ・ウォーク)して困った事は幾つもあるが、そのうちの一つがこの世界の便所の事情だった。

 生活する上で必要な事というので衣食住などという言葉があるが、食というのは食うだけではなく出すほうもセットであることはなかなか話題に上がらない。フィクションでよくいる大食いキャラは出すほうもたくさん出すんじゃないかとかそういうアレだ。

 話がズレた。

 さて、この世界である程度ちゃんとした便所に入って最初に目にはいるのは、木製の蓋がされた穴ぼこだろう。これは床なり地面なりに用を足すための穴が開いていて、臭いが上がって来ないように蓋がしてあるものだ。ここまではいい。

 次いで目にはいるのは、用を足す時に掴む踏ん張り棒。こいつは便所の穴より奥にまっすぐ突き刺してある手摺りの棒で、しゃがんで踏ん張る時にこれがあると無しではだいぶ勝手が違う。

 それから、箸立てのような筒が二つに、砂の入った浅い箱だ。筒の中にはこれも箸そっくりな細い棒きれが沢山刺さっている。こいつが糞削ぎ棒で、二つ筒があるのは使用前と使用後用。

 ここまで説明すればわかるだろう。糞削ぎ棒はウンコをした後にケツにこびりついた糞を削ぎ落とす、この世界のトイレットペーパーだ。紙じゃねえじゃねえか。

 砂は、出した後に穴の中の自分のに振りかけて臭いを抑えるのと、ウンコが緩い時にケツにまぶして削ぎ落としやすくするのに使う。

 俺もこの世界に来て色々なつらい目を見てきたが、この『箸で尻を拭く』のは衝撃だった。逆に、もしも俺が箸を使って飯を食ってみせれば、この世界の連中はかなりの衝撃を受けただろう。似たような道具が全く逆の用途で使われていて、あいつら糞削ぎで飯食ってるぜ、となるわけだ。端的に言って文化が違う。


 さて、ここでひとりのベテラン剣闘士を想像して欲しい。

 ベテランなのだから数度の興行を生き延びている。長い訓練と闘いの年月はその身体を鍛え上げ、ごつごつと堅い筋肉とそれを覆う厚い脂肪がつき、いくつもの古傷が全身を走っている。

 そいつがいつものように訓練を終えて、いつものように訓練同期なんかと冗談を交わす。

 それから、腹具合がどうのといって便所に向かい、踏ん張り棒を掴んでブリブリと用を足す。すっきりした顔で糞削ぎ棒を手にとってまじまじと眺める。

 あるじゃないか、尖ったもの。

 というわけで、ベテラン剣闘士は糞削ぎ棒を慎重に目に当てて、受け身も取らずに顔から地面にぶっ倒れたわけだ。

 棒きれは目玉を貫き、眼底の骨を破壊する。そのまま脳までぶっささって、ビクビク震えながらベテランは死ぬ。

 日々を死にゆく剣闘士が、その胸中に抱えるもの。それまで笑っていた奴が、ふとした思いつきで、糞を拭う棒を頭にぶっ刺すほどの絶望。


   ***


 ベテランの自殺はすぐに団内の剣闘士に知れ渡った。そしてやるせない空気と共に、上手くやりとげやがったとか、大した根性だという賞賛の声も上がっていた。

 普段は剣闘士稼業と折り合いをつけているつもりの俺達だが、やはり内心思うところがある者はそれなりにいる。仲間を傷つけ殺し生き延びるのか、仲間に傷つけられて殺されるのかの生活なのだから当然だ。

 そんな中で、自分で自分にけりを付けるのは、ある種の男らしさと剣闘士団の鼻をあかしてやったという小気味よさが感じられるのだ。

 このあたりは自由民剣闘士と奴隷剣闘士ではまた感覚が違うところで、命懸けで稼ぐつもりの志願者と、命懸けを強制される奴隷との差があった。

 そして剣闘士団の運営側では、また別の感想を抱いているようだった。


「計算が狂っちまった」

 と訓練士の『理屈屋』が言う。

「ちょいと剣闘士が欠ける配分(ペース)が早すぎる」

 元剣闘士でもある理屈屋の口調には、自殺したベテランへの隠しきれない賞賛の色と共に、運営側として今後の対処をする立場からの不機嫌さが感じられた。

「『無垢なる者(フルチン野郎)』達を舐めてた報いだな」

 捕虜上がりが皮肉そうに口元を歪めて合いの手を入れた。俺達を『ヤバい連中』にぶつけた汚れ仕事の事を言っている。

 その日はいつも通りの基本の型を軽くやって、その後は剣闘士同士で自身の工夫を織り交ぜた立ち会いの練習をやっていた。

 興行がない時の俺達剣闘士は、だいたい訓練してるか飯を食ってるか、あるいは怪我を抱えて寝ているか女を呼んで寝ているかだ。そしていつでも女を呼べるわけでもないので、訓練中の訓練士とのお喋りは、不本意ながら数少ない楽しみでもあった。

 試している技術(わざ)は最近訓練同期で流行っている『滑らせ(スライド)』だ。今じゃ皆がすっぽ抜ける事もなく、ここぞという所で使ってくる。逆に自分では使わずに、対策を学ぶために『滑らせ(スライド)』が上手い相手と練習する奴もいる。

 俺はほとんど使わない派だった。大盾を抱えた力任せが味なので、得物もぎゅっと握ってぶん回す方が性に合う。

 捕虜上がりは使いこなせるが慎重派だ。縦振り、横振りからごく自然に『滑らせ(スライド)』を織り交ぜてくるが、実際に使ってくるかは貰うまでわからない。

「指を緩める瞬間が心配でな」

 と捕虜上がりは言う。

「見破られて武器を合わせられたら、簡単に得物を飛ばされかねない」

 そういいつつも伸びて来る剣先は鋭く重く、とっさに盾で防ぐ俺からすると、とても弾き飛ばせるとは思えないのだが。

 そして速さと器用さが売りの『女顔』はさらに一工夫を加えていた。

「まぁ見てなよ」

 と理屈屋を含めた俺達三人を前に、打ち込み用の案山子に木剣を向ける。

 軽く肘を引いてからの、踏み込んで体幹をぎゅっと捻る鋭い突き。間合いが遠すぎて届かないと思ったその一撃は、きっちり握り拳一つぶんだけ伸びて案山子の喉に当たっていた。

「遠心力じゃなくて突き出す力での『滑らせ(スライド)』か」

 理屈屋が感心した声で言う。

「構えの違いわかったか?」

「ぜんぜん」

 呆れたように問いかける捕虜上がりに生返事だ。やべーよこの美人と次に当たったら勝てる自信がないのだが?


「新人を追加で入れる?」

 一通り汗をかいての休憩中に、理屈屋がそんな事を言い出した。

「剣闘士が減り過ぎたからな」

 理屈屋が肩をすくめて説明した。

 普段、ウチの剣闘士団は人員を多めに抱えて、減ったらまとめて採用する方針でやっている。興行のたんびに誰かしら欠けると言っても、長期で均してみれば例年その配分(ペース)はそうそう変わらないからだ。

 それが、今期はヤバい連中を数人まとめて片付けたのに加えて自殺者が出たことで調子が狂った。今から奴隷商人に注文を出すにしても、入荷の目途もたたず訓練時間も含めて余裕がない。

「なんで、自由民剣闘士を追加募集だな」

 余所の剣闘士団や養成所から買ったり引き抜いたりでもいいが訓練済みは金がかかる。ならばと、傭兵なりなんなりで戦いの経験がある(童貞じゃない)奴を何人か採用して、速成(OJT)で興行に突っ込む事にしたらしい。

「でも、そいつら、使えるの?」

 と俺は当たり前の疑問を口にした。『色男』もそうだが、ウチは自由民といえども最初はみっちり訓練する方針だと思っていたのだが。

「使えない」

 理屈屋があっさり言った。おいおい。

「剣闘士稼業は戦争や護衛とはぜんぜん別だな」

 戦争を経験している『捕虜上がり』が口を挟んだ。

「俺達は結局集団で戦う前提だが、剣闘士の基本は一対一で、それに合わせて鍛えている」

 捕虜上がりが使った『俺達』という言葉には、どこか郷愁が感じられた。

「その通り。だが、世の中には剣闘士興行は所詮は競技で、命がけの戦場に比べたら(ぬる)いと思っている奴がいっぱいいる。だもんで、売剣稼業を経験している奴はだいたい剣闘士を舐めている」

 理屈屋が、わかるだろ? といった表情で俺達を見た。


「ふーん」

 女顔がニヤニヤしながら俺に言った。ひさしぶりの小悪魔顔だ。

「つまり、生意気な新人の自由民剣闘士が来たら、現実をわからせる必要があるって事だね」

 やだ、凄い楽しそう。


   ***


 理屈屋の話を聞いて数日後、訓練場に面した水場でぐだぐだやっているところで、訓練士に連れられてゾロゾロ見慣れない連中が入ってくるのが見えた。

「新入りだってよ」

 どこで話を仕込んで来たのか、犯罪奴隷の奴が教えてくれる。

「自由民剣闘士、の候補生。あすこからさらに弾いて雇うんだと」

「へぇ」

 剣闘士団にはいろいろ不満があるが、こうと決めた時の動きの早さだけは大したものだ。

「それから面白い話」

「うん?」

「どこの山奥から来たのか知らないが、新人の中に、糞削ぎ棒で飯を食う蛮族がいるらしいぜ」


 伏線の回収が早いのだが?

2021/9/12 誤字修正

2024/1/27 いただいた誤字報告を適用

2024/2/15 いただいた誤字報告を適用

2024/3/4 いただいた誤字報告を適用 これ直した記憶があるんだけどな…

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― 新着の感想 ―
よいてん ふくせんかいしゅう ひとこと うっまw
[良い点] 多くの作品では「お約束」として省略する要素を誤魔化さずにしっかりと描写しているところなどとても面白いです。今回の棒は「ちゅう木」のようなものだと思いますが、ファンタジー小説で読むのは初めて…
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