7b-1 リハーサル
『色男』の自由民剣闘士が俺に言った。
「街の外のこと? 全然わからん。興味ないし」
駄目じゃねえか。
***
剣闘士団でのいつもの訓練中に、蛮族出身の『イビキ野郎』がふと顔を上げ、風の匂いを嗅ぐような仕草をした。それから大きな声でガウガウ唸る。
「なんだってー!?」
離れた場所で訓練全体を仕切っていた訓練士の一人が大声で、いつの間にかイビキ野郎の通訳扱いされている俺に向かって聞いてきた。周りの連中も訓練の手を止めて様子を窺っている。
「雨ー!」
と俺。
「土砂降りがー! 来るってー!」
「確かかー!?」
俺はイビキ野郎の方を見た。イビキ野郎は人差し指だけを曲げて他を開いた手を俺に見せると、そこから中指をピコピコと数回曲げ伸ばしした。
「間違いないってー!」
こっちの世界の『八中六七』のジェスチャーを見てそう伝えると、仕切り役は少し考えてから、訓練を中断して訓練場周囲の建屋の軒の下で待機するようにと指示を出した。
俺達がわちゃわちゃ軒先に引っ込んでしばらくすると、生ぬるく湿った風と共にモクモク黒い雲がわいてきて、あたりはあっという間に暗くなった。
やがてポツポツと降り始めた雨が訓練場の砂地を叩きはじめ、すぐに勢いを増して反対側も見えないような大降りになった。
というわけで俺達訓練同期は軒の下に三々五々集まって(これもこっちの世界ではキリが悪いので通じない言い回しだ)、壁に寄っかかったりウンコ座りしたりしてボケーッと降り続ける雨を眺めていた。
雨の日というのは奇妙なものだ。雨の音に他の音がかき消されて、音はするのに静謐さを感じるのだ。訓練士達はと様子を見れば、今後の相談でもしているのか、何人かで集まってひそひそやっている。別に奴隷なんざ雨の中でバシャバシャ訓練をさせても良さそうにも思えるが、団にとって俺達剣闘士は財産でもあった。下手に風邪でも引いてぶっ倒れられたら大損とばかりに、その手の無駄な扱きは忌避されている。
訓練の合間に急に生まれた空き時間。皆が暇を持て余している中で、俺はふと狼髪のサリヤに言われた事を思い出して、色男に娑婆の話を、特に街の外の事を聞きたいと話を振ってみた。結果、冒頭の回答を得たわけだ。
「全然わからん!」
いやもういいって。
***
「娑婆の話ねえ」
軒から落ちてくる小さな滝を眺めるのにも飽きたのか、端で話を聞いていた『犯罪奴隷』が口を挟んでくる。
「そういや『無垢なる者』は奴隷狩りに捕まってからこっち、ほとんど剣闘士団しか知らんのだっけか」
うん、と頷いて返す。
俺がこの世界に来てから覚えた事は、剣闘士としての得物の取り扱いや闘い方、初めて見るような食い物の食い方や便所の使い方といった一般常識、『先生』の所で言葉を習うついでに教わるあれやこれや程度しかない。
ちなみに『お嬢さん』が俺に言葉を教えるために先生を手配したのは、事情を知らない同期からは動物に芸を仕込むたぐいの企てだと思われている。
「だがまたなんで街の外なんだ?」
合いの手を入れてきたのは『債務奴隷』だった。
「街中ならわかるぜ、上手いこと自分を買い戻せりゃ娑婆でやってかにゃならんのだし」
そっちはそっちで頭の痛い問題ではある。奴隷剣闘士の身から解放されても、食っていく仕事を探さねばならない。
ひとまずそれは脇に置いて債務奴隷の疑問についてだが、ここで『世界の秘密を探るため』なんて言えば頭のおかしい奴扱いだ。なので、ちゃんと言い訳は考えてある。
「なかま」
ぽつん、と俺は言った。
「もしかしたら、なかまの部族の話とか、何かわかるかもしれないから」
ああ~、と周りから声が上がり、何人かが気まずそうに視線を逸らす。訓練同期の間では、俺は心が子供のままなので部族に捨てられ、そこを奴隷狩りに捕まったという物語ができている。違うのだ。
「言やぁよ、イビキ野郎も異民族だろ?」
と、そこで空気を読めない色男が話を広げた。
「お前さんは仲間とか同族とか、そういうの気にならんわけ?」
イビキ野郎がガウガウ唸った。
「なんて?」
「その同族に売られたんだって」
周りがさらに「ああ~」という顔になる。どうするんだよこの空気。
「そういうことなら、そっちの二人に頼んだ方がいいよ」
と、それまで黙って話を聞いていた『女顔』がアドバイスをくれた。ご指名を受けたのは債務奴隷と犯罪奴隷。どゆこと? と揃って首を傾げる俺達に女顔が説明した。
「例えば、『捕虜上がり』は外国人で、俺は生まれつきの奴隷でしょ? だけど二人は元々は自由民だから、いまでも俺達に比べたらよっぽど娑婆とのコネがあるはずじゃない」
言われてみればその通りだ。
というわけで、俺は奴隷落ちした元自由民二人組に頭を下げて、街の外の噂を集めてもらうことにした。二人ともお安い御用と引き受けてくれたので、とりあえず変な死に方をした余所者や、数の数え方がおかしい奴の話があったら教えて欲しいとお願いする。
そんな話をしている間に雨足が弱くなっていき、雲の間から陽光が射し始めた。
やがて雨が止み、それまでが嘘のように青空が広がりだした。訓練士達が訓練再開を決めて俺達に木剣を取れと怒鳴り出す。
「良かったなあ『無垢なる者』!」
ぞろぞろと剣闘士が動き出す中で、隣にやってきた色男が歩きながら俺の背中をバンバン叩いた。
お前はもっと街の外に興味を持って。
***
さて。
狼髪のサリヤから、一番最初に街の外で死体が出るという話を聞いたときに、俺が思った事があった。
二つの月が出ていた夜に、突然現れた全裸の男。
この世界のあちこちに、突然現れた出所不明の死体の数々。
特に重要なのは、サリヤが直接見たという男は、最初は生きていたということだ。
つまり何が言いたいのかというと。
それら全ての死体は、俺と同じように現代の地球から異世界転移してきたのではないか。
そして死んだ理由だが。
座標が間違っていたのではないか。
複数の人間を、俺がいた元の世界から、この世界に転移させたとする。
出現した場所が空中や水中だったり、下手したら地面の下や岩の中だったらどうなるか。
上手いこと地表スレスレに出現したとして、それが文明から遠く離れた山中や無人島のたぐいだったらどうなったのか。
どうやら、俺は運命だかなんだかに『選ばれた』訳ではなく、ただ単に運が良かっただけのようだ。
そして俺が幸運だったとすれば、同じような幸運を掴んだ人間が他にもいる可能性があった。
そしてさらにもう一つ。
もしもこの集団転移が次元版の嵐だか地震だかのような自然現象ならばまだいいが、よくあるフィクションのように神様だかなんだかの意志が介在しているとしたら。
サリヤの話を聞く限り、転移は結構な長期間、広い範囲で起こっていた。
そしてそれが最近起きなくなった。
俺達が経験したものが、本番前の予行練習なのだとしたら。
2024/1/27 いただいた誤字報告を適用




