7a-1 奴隷剣闘士対空飛ぶ木剣
「あぶねぇー!」
との声に振り返った俺の視界に入って来たのは、ぐるぐると横回転する木剣が自分に向かって勢い良く飛んでくるところだった。
俺はとっさに回転を見切ると、右手を突き出して飛んでくる剣の柄を掴むことに成功した。
そこまでは良かったのだが、木剣はその勢いを止めずに掴んだ柄を支点にぐるんと回って、俺の側頭部を強打した。
その場に蹲ってしまう俺。いたい。
「わりぃー!」
すっぽ抜けで木剣を飛ばしてきた張本人が詫びつつ駆けてくるのを片手で制して、刀身の方を持って下手投げの要領で木剣を投げ返してやる。
しばらくそいつを見ていると、失敗に頭をかきながら立ち合い練習の仲間のところに戻り、付いてる訓練士から跳び蹴りを食らって見事に吹っ飛ばされていた。漫画か。
その間にも訓練場のあちこちで木剣をすっぽ抜けさせる間抜けがいて、俺のような被害者を増やすとともに、訓練士の怒りを買って同じように蹴られ、その場で鞭を貰っていた。訓練士の鞭が容赦なく振るわれる様は剣闘士訓練生時代を思い起こさせ、なんだか懐かしい気持ちになる。
なんでこんなことに。
***
『色男』が興行で食らったという剣の柄を滑らせる技術は、すぐさま訓練同期の中で共有された。上手い技術なら隠しておけという手合いもいるだろうが、理屈が簡単で太めの柄頭がある得物ならなんでも再現できそうなので、すぐにバレるネタなら隠す必要もないだろうとなったのだ。
そのあたりは俺達の世代の絆の強さであり美点なのだが、同時に問題点でもあった。
つまり、新しい技術を覚えりゃ誰でも試してみたくなる。
その結果出現したのが、皆が『滑らせ』を試しては失敗し、木剣が訓練場を飛び交うという頭の痛くなる光景だった。休憩中にそれを食らった俺の頭も痛い。これがまた慣れないとけっこうすっぽ抜けるのだ。
「なにやってんだよ」
と一緒に立ち合いの練習をしていた捕虜上がりが言う。
「あんなもん、避けるか弾くかしちまえばいいだろうが」
口は悪いが心配してくれているのは伝わってくる。差し出された手を掴んで立ち上がれば、同じく心配そうな顔をしていた女顔が「見せて」と言ってぶつけた所を改めてくれた。
「たんこぶが出来てるけど」
当たり前だがこの世界にはレントゲン写真などはない。吐き気の類がないのなら、あとで井戸水で冷やした布でもあてて様子を見るしかないだろう。
「しかしなんでわざわざ木剣を掴んだんだ?」
聞いてきたのは訓練士の理屈屋だった。いつものように俺達の訓練を見てくれている。腕を組んで鞭を脇に抱えた姿はおっかないが、この質問は責めるのではなく純粋な好奇心からだとわかる。
「とっさに」
と俺。
「かんがえごと、してたら急に目の前に来たんで」
興行の時に俺が使っている兜は視界が狭い。狭いというか、目のあたりに小さい穴が開いているだけの代物で、俺は視線をあまり動かさず周辺視野で物を見るのを普段から心掛けていた。
視界に入った。回転が見切れた。休憩中で得物は足元に置いていた。
無意識に、腕が伸びて木剣を掴んでいた。
「なるほどなぁ」
理屈屋が少し感心した様子で言う。
「そりゃ動体視力もいい感じになってんな。それで、頭で考える前に体が動いちまったんだ、それが『出来る』と」
「だけどそれで頭をぶっつけちゃあな」
捕虜上がりが笑いながら合いの手を入れた。
「気をつけないとね」
女顔も苦笑いで頷いている。うーん?
剣闘士団の訓練同期は、たまに捕虜上がりと女顔の事を『親父さん』『お袋さん』と呼ぶ。これは本人達の前では言わない類のあだ名で、例えば俺と喋っている時に「お前の親父さんが」とか「お前のお袋が」みたいな言い方をする。
要は二人が時折、俺に対して親か兄貴分のように振る舞う事を揶揄しているわけだが、そこに悪意はないので普段はあまり気にならない。
だが、時にはそれが鼻につく事があり、そうすると皮肉の一つも返したくなる訳だ。
「まぁふたりには難しいかもね」
俺はわざとらしく生意気なクソ餓鬼の口調と態度で返してみせた。
「なんだ、気に障ったのか、悪い悪い」
「ごめんね」
二人がまだ笑いながら詫びを入れる。露骨な態度に冗談だと思っているのだろう。
「おじいちゃんだと目も悪いし」
「おいおい、挑発には乗らんからな。それにそんな歳じゃない」
今度は捕虜上がりだけを狙ってみると、こんな反応が帰ってきた。ここだ。
「前髪すかすかだし」
「なんだとぉ……」
捕虜上がりが挑発に乗った。
***
しばらく俺と捕虜上がりの間で「無理だね」「できらあ!」の応酬があり、じゃあやって見せろという話になった。面白がっている理屈屋の許可を取った上で、俺が投げる木剣を捕虜上がりが掴んで見せるという段取りを付けた。
「やめときなよ」
と心配そうな表情を浮かべているのは女顔だ。なにか面白い事を始めたようだと察した周囲の連中も休憩がてらに集まってくる。
「なに、飛んでくる剣を掴むぐらいならそう難しくはない」
と捕虜上がり。これはその通りで、俺達訓練同期含めベテラン剣闘士ならそのほとんどが、出来ない奴でも数日も練習すれば出来るようになるだろう。こんなのはその程度の芸に過ぎない。その証拠に、周りの野次馬連中は捕虜上がりの後ろにも普通にいて、奴が木剣を取り損なえば自分が危険に曝される事など考えてもいない。
「そうじゃなくて、あの子凄い馬鹿力だよ?」
女顔の言葉に捕虜上がりが真顔になった。
「おい」
と捕虜上がりが俺に確認する。
「うん」
俺が素振りするたびに、木剣からはブンブンと風を切る音が聞こえてくる。
「こいつはあくまでも訓練だからな」
「うん」
「投げるにしても本気じゃないからな」
「うん」
「かるーくだぞ、かるーく」
「わかった」
俺は念押しするように言う捕虜上がりの言葉を無視して思い切り木剣を投げつけた。手首のスナップを利かせたそれには、俺が食らった奴以上の回転が乗っている。
「おわっ!」
不意打ちを受けて、それでも避けずに柄を掴んで見せた捕虜上がりはたいしたものだったが、俺と同じように勢いを殺しきれずに側頭部をしたたかに打って蹲った。周囲から笑い声と拍手が起こる。
「ほらー」
俺はクソ餓鬼モードのままで呆れた声を出してみて、周囲の野次馬達の笑いをさらに誘った。何人かは真面目に考えるような顔をしているのが剣闘士稼業の職業病だ。
「……ってえ! 加減しろ馬鹿!」
復活した捕虜上がりが俺に吠える。
「おじいちゃんごめんね?」
「てめえ!」
そこで掴み合いの喧嘩を始めた俺達は、やんやと周囲が囃し立てる中でお互いの顔をボコボコにしたあたりで訓練士達に引きはがされて、追加で訓練士達にボコボコに殴られた。訓練同期は大盛り上がりだ。
ちょっと青春っぽいと思わないか?
 




