6b-1 闘いの後に
『木こり』は倒れるのを防ごうと手をつくでもなく、頭から地面に突っ込んだ。首からはドクドクと血が流れて、みるみる身体の下に広がっていく。
審判役が告げる俺の勝利の宣言は、爆発するような歓呼の声に迎えられた。
俺達の剣闘士団は客層がいい。滅多な事では剣闘士の死を望まないし、声援もかなり『お上品』だ。
けれども、あるいはだからこそ、闘いで死者が出たときの盛り上がり方は凄まじかった。俺には割れんばかりの拍手と惜しみない称賛が降り注ぎ、死んだ『木こり』にすら健闘を称える声が上がっていた。賭け札を精算する頃には渋い顔になっている奴もいるかもしれないが、それはまた別の話だろう。
俺は血に濡れた剣を突き上げると、ぐるりと観客席を見回しながら雄叫びを上げた。最後に有力者席を正面にぴたりと動作を止めて、勢いよく剣を右に振り下ろす。剣に付いた血が飛んで地面を叩いた。
見得を決めた俺に再度歓声が上がった所で、案内役の口上を背に俺は舞台袖へときびすを返した。
舞台袖で俺を迎えたのは観客席とは全く別の対応だった。出番を待つ剣闘士達はそっと俺の肩に手を置き、あるいはわかっていると言うように頷いて見せる。普段は俺達をどやしつけるのが仕事の警備の私兵すら、見なかった振りをするように無言で自分の仕事を勤めていた。皆が何を言うわけでもなく、俺が自分の感情と向き合う事を尊重してくれている。
頭を覆う兜を外し、いつものように擦れて痛む首回りをさする。ふと気づいて二本の指を首筋に当てれば、太い血管がドクドクと凄い速さで脈打っていた。闘技場に流れた血を思い出し、鼻腔に汗混じりの血の匂いが蘇る。
結局、その日の剣闘士興行では俺を含めた臨時の殺し屋全員が生き残る事ができた。そして俺達が相手をした連中は全員がお亡くなりになった。
剣闘士団が俺達全員を同じ日に闘わせた理由はわからない。日をずらして、誰かが先に返り討ちにあった時に残りが怖じ気づくのを嫌ったのかもしれない。
まぁ、日に三人も剣闘士が死ぬのは『ヤバい連中』の御披露目興行以来だというから、今回の興行を見にきた観客にとっては大当たりだったんじゃないか?
クソが。
***
剣闘士興行は金が動く。貧乏人はささやかな小遣い銭を握りしめて賭け札を買うし、金持ちのお大尽は活躍した剣闘士にポンと賞金を与えて名前を売る。
下々の人気が欲しい有力者が、飲み食い奢りの持ち出しで自らの名を冠した興行を開催する事もあるし、特に活躍した剣闘士なら社交の場の余興に呼ばれたり、個人で会いたいという崇拝者の私室で茶を飲んだりという機会もあるらしい。
そこから先は自由恋愛ということで、噂ではどこぞの街の有名剣闘士は奥様方を相手に竿が乾く暇もないとかなんとか。
「まぁ、『無垢なる者』にゃ縁のない話だけどな」
「ひどい」
頭全体を覆う兜を被って『卵頭』などと呼ばれる身としては羨ましい話ではある。
俺が馬鹿話をしている相手は例の興行で殺し屋仲間となった『債務奴隷』だった。二人して手には草を編んだ袋を持っていて、中には興行で稼いだ金で贖ったちょっとした食い物なんかが入っている。訪れる先は、奴隷剣闘士とは別になっている自由民剣闘士の寝起きする建屋で、剣闘士団の敷地内でも少し離された場所にある。
「いるかー?」
建屋の入り口で声をかける。気がついたベテランのひとりがさらに奥に声をかけてくれて、すぐに『色男』が顔を出した。その胸には血がにじむ布がぐるぐる巻きになっている。
俺達は、例の興行で傷を負った色男の見舞いに来たわけだ。
「胸元で剣が伸びやがってよ」
と『色男』の自由民剣闘士がぶつくさ言った。
色男の左肩の方から入った傷は斜めに胸の前を走っていた。縫い合わせた痕は派手なものだが、筋肉をズタズタにするような深いものではなく、大半は脂身を削っただけですんだらしい。流れた血の量はともかくとして、剣を握れなくなるようなことはないという。
「脂は付けとくもんだな」
「ね」
三人して頷きあうと、無くした血肉を取り返そうと持ってきた土産を片付ける事にした。
場所は自由民剣闘士の建屋の外壁だった。日陰になっているそこに、色男と債務奴隷が寄りかかって地べたに座り、俺は向かいにあぐらをかいた。三人の間には持ってきた食い物飲み物を全部広げて、駄弁る合間に摘まんでいる。
「何持ってきたんだ?」
と色男。手には自分で持ってきた酒の皮袋が握られている。
「俺は甘味」
と債務奴隷が広げたのは何かの果肉を干した奴といくつかの小さい果実だった。その見た目から、俺は勝手に干しアンズとリンゴと呼んでいる。
「俺は、しおからいの」
俺が取り出したのは煎り豆に塩を振った奴に、細く切った歯応えのある干し肉で、日持ちはいいが喉が渇く。
「完全に俺の酒が目当てじゃねえか」
色男がうんざりした顔で煎り豆を口に放り込んで皮袋を呷る。手渡しで回ってきたのを飲んでみれば、薄いがワインの味がした。
三人でぺちゃくちゃ駄弁りながら食い物を片付ける。
豆や肉を食っては酒を飲み、アンズを食って歯にくっついたのをほじり出す。リンゴに爪で小さい傷を付けて手で半分こにして回しあい、どっちが大きいの小さいのとガキのような言い合いをする。地べたに座っているせいで太ももに上がってきた蟻を指で弾き飛ばしたり、逆に物は試しと食ってみたりする。口の中でもがく蟻がぷちりと潰れて、かすかに酸味が舌に残る。
一通り腹が落ち着いたところで、話題は自然にあの日の剣闘士興行に移った。
つまり、俺達が相手を殺した闘いだ。
2024/2/15 いただいた誤字報告を適用




