6a-1 ふたたび、殺しの時間
剣闘士興行は年に八回もやれば多いほうだという。ということは、興行を二回もこなせば季節が移り変わるという事でもある。
季節の変化は、匂いを伴ってやってくる。草木の匂いに花の香り。気温と湿り気の変化による人々の体臭。採れる、そして穫れる食い物により変わっていく料理の匂い。それらすべてが乗った風の匂い。
そして、そんな中でも変わらないのが俺達剣闘士が流す汗混じりの血の臭いだ。
***
剣闘士団の秩序を乱す『ヤバい連中』、それを何人かぶち殺す予定の剣闘士興行の日は、団と俺達臨時の殺し屋の後ろ暗い企みとは裏腹に、よく晴れた気持ちのいい青空だった。
「仕事には最高の天気だな!」
上機嫌で『色男』の自由民剣闘士が言う。もったいぶって後ろ暗いだなんだとは言ってみたが、こいつには今の所そんな気持ちはこれっぽっちもないらしい。
場所は闘技場の舞台袖、そのさらに奥の剣闘士の準備部屋だった。奥というよりはほとんど闘技場の外側で、観客用の出入り口と隔てられた、闘技場から張り出した天幕と言った方が近いだろう。闘いに出る剣闘士はここで武器係から装備を受け取り、ガチャガチャと身に付けてそれぞれの入り口に向かうことになる。
闘技場からは相変わらずの客の歓声が聞こえてくる。楽士の奏でる音楽がわっと盛り上がったので、また誰かの勝負がついたのだろう。
「そうは言うがな」
と『債務奴隷』が忠告する。
「こいつは早々、楽な仕事じゃねえんだぜ」
普段の鬱々としたものとは違う真剣な声。既に一度剣を交わしていることもあり、目には慎重さと緊張が見て取れた。
「とりあえずさ」
対照的な反応をする二人を見比べて口を挟む。
「ぶじに相手をぶっ殺して、またみんなでバカ話できたらいいよね」
こっちが殺す気ならあっちも同じ、今くっちゃべっている全員が無事に戻ってこれるとも限らない。
色男が無言で俺の背中をバシッと叩いた。債務奴隷がグッと拳をつき出して来たので、こちらも拳をつき出してガツンとぶつける。
俺達はそれぞれのやり方で、それぞれの仕事に意識を向けた。
***
「卵頭ァ!」
「『無垢なる者』!」
舞台袖から姿を現した俺を迎えたのは、すでにいくつかの闘いを見てでき上がってきている観客席からの声援だった。
卵頭というのは俺が被る頭全体を覆う兜から誰かが呼び出した渾名だろう。どこの事情通かは知らないが、剣闘士団内で呼ばれている『無垢なる者』の名前を叫ぶ連中もいた。
俺が客の前で闘うのは御披露目興行の時以来だが、剣闘士団の宣伝が上手いのか、前に儲けさせてやった連中が覚えていてくれたのか、なんとか忘れられてはいなかったようだ。
俺は客席に向かって得物を持った両腕を上げて、物見高い連中に媚びを売った。
楽士の奏でる音楽が変わり、進行役が俺が闘う相手の登場を告げた。観客席の別の連中が声を上げる。
「『木こり』!」
「薪にしちまえ!」
声に合わせてのそのそと姿を現したのは、左右に枝角を付けた兜を被り、上が丸くて下が尖った水滴型の盾、長柄の斧を持った髭面だった。
斧は俺の使う直剣ぐらいの長さの木製の柄に、手のひら二つ分ぐらいの金属の刃が付いた奴で、重さだよりにぶち込めば頭蓋骨なんざ一撃でブチ割れるような代物だ。
こいつが、俺が殺す相手。
前に闘った『女顔』と違い、力と力のぶつかり合いを期待してか、観客席の声があの時とは異なる色に染まっていく。
進行役が客の熱を確かめるように両手を広げる。そして、頃合いと見たのか審判役と目を合わせて頷いた。
「始め!」
審判役の声を聞いて、俺達は闘技場の中央へとその歩みを進めて行った。
***
両腕をだらんと下げた状態で歩を進める。頭の中で銅鑼が鳴り、『構え』の姿勢を身体が取る。
狭い視界を補う為に、俺の集中力と観察力は研ぎ澄まされている。
俺の闘う『ヤバい連中』の一人、『木こり』は斧を肩に担ぐようにして左手の盾を前に進んできた。
斧はおっかない武器だ。重さの乗った一撃は下手に受ければ盾だろうと突き抜けるし、剣で受けよう物なら刀身ごとへし折られて諸共に押し切られかねない。
慎重に距離を測ろうとする俺に対して、相手はそんな気がないのか一気に走り込んで距離を詰めてきた。斧を持つ右腕の肘をかちあげて、担いだ得物を俺に叩きつけようとする。
まともに受けるかよ!
俺は盾受けを拒否して一歩下がると、空振った斧が空を切るのを見てその右腕に盾殴りを食らわせようと前に出た。『木こり』の無防備な右肩が見える。そこで違和感、露骨すぎないか?
『木こり』の右足がガチッと地面を噛んで踏み込みの勢いを殺した。空振ったはずの斧がぐんと上を向くと、その場で一回転してもう一度右上段からの一撃が降ってくる。
俺は殴りに行った盾でその一撃をなんとか防いだ。弾いた斧が、今度は逆回転からの左中段の一撃として飛んでくる。俺は首にぐっと力を入れて、角度に気をつけて腰を落として兜で受ける。
ギャイン!と金属が擦れる耳障りな音がしてなんとか一撃を躱す事が出来た。
姿勢の崩れた俺にさらに追撃を寄越そうという気配に、俺はとっさに足払いの剣を振って距離を取らせた。
なんとか連続攻撃をいなした俺に、観客席から声援と野次が飛ぶ。
ちょっとこいつ強いんだが?
二度、三度打ち合って見てわかったのだが、『木こり』は斧を振る遠心力に任せて派手に身体を回転させて、その勢いのままに連続した攻撃を寄越すのが得意技のようだった。
勢いは強力な下肢の踏み込みで自在にコントロールし、左右の回転も思うがままだ。
そして得物の特徴からその一撃一撃全てが必殺になりうるとくる。実際、その狙いはこちらの首筋や武器を持った二の腕、骨のない脇腹など、食らえば不味い所を的確に突こうとしていた。
俺はそれらの攻撃をなんとか躱すと、逆にこちらからも何度か逆襲の剣を送り込んでいた。
守りに回った時の『木こり』は基礎に忠実な型を使いこなすタイプだ。食らうとヤバい部位への攻撃を盾で防ぎ、時に脚を使って距離を取る。動と静、攻撃と防御できっちりとやり方を変えてきて、パッと見には隙がないように見える。
確かにこいつは強い、そしておっかない。おっかないが……
俺は何度か攻撃を貰ってボロボロになった盾を構えて思った。
こいつ殺すのはそんなに難しくないんじゃないか?
2024/01/30 地の文の間違いを訂正
2024/2/15 いただいた誤字報告を参考に表現を変更




