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5b-1 再び殺しの準備

 問題のあるベテラン剣闘士を殺してしまおうという俺の提案は、訓練同期に様々な反応を呼び起こした。

 乗り気になっているのは色男の自由民剣闘士に蛮族出身のイビキ野郎だ。色男は喜色満面、待ってましたとばかりにニコニコしているし、イビキ野郎もわかりやすい解決策にうんうんと頷いている。

 逆に乗り気じゃなさそうなのは債権奴隷と犯罪奴隷の二人組だ。債権奴隷はいつも通りのこの世の終わりのような顔で肩を竦め、犯罪奴隷の奴は酸っぱい物でも食ったように口をすぼめて、眉をひそめて俺を見た。

 他の同期も様々な反応を見せる中で、捕虜上がりがすっと表情を消して俺に聞いてくる。

「それはもちろん、剣闘士興行で?」

「もちろん、剣闘士興行で」

 俺は鸚鵡(オウム)のように捕虜上がりの言葉を繰り返した。女顔が悪臭を嗅いだように口元を片手で覆う。


 世の中には生き残りの罪悪感(サバイバーズ・ギルト)という奴がある。戦争や災害、事件に事故。大勢が死ぬような騒ぎの中で生き残った奴が、死んだ誰か、助けられなかった誰かを思い出して、なぜ自分は生き残ったのかと苦しむ問題だ。

 俺はベテラン剣闘士の中にいるヤバい連中、余所の街から来た酷い客に当たった生き残り達がこいつに苦しんでいるのではないかと考えていた。

 ただ死の恐怖に脅えているだけではなく、死ななかった事への罪の意識。本当なら心の医者が必要なそいつがまともに知られるようになったのは、俺のいた世界ですら20世紀も半ばからだ。この世界で奴隷剣闘士がクヨクヨ悩んでいたところで、誰も手を差し伸べてなんてくれやしない。


「だから死なせてやった方がマシだって?」

 捕虜上がりが、俺がなんとか伝えた生き残りの罪悪感(サバイバーズ・ギルト)の話を聞いて、少し不快そうな声を出した。

「結局は想像の話で、俺達が奴らを殺す理由をでっち上げているだけじゃあないのか」

 誰かを殺すときに理由があると楽になる。捕虜上がりは俺がその理由を作っているだけではないかと言っていた。

「けどよ、いい線いってる話だと思うぜ」

 実際にヤバい連中の一人と闘っている債務奴隷が間に入った。

「やりあった感触だが、言われてみれば連中、妙に投げやりな部分があった。ありゃあ、実は自暴自棄(やけっぱち)になってるのかもしれないな」

 それに、とこちらも少し不快そうに付け足した。

「向こうが殺す気で来るんなら、こっちもその気の方がいい。でなきゃ本当に殺される」

 捕虜上がりが不機嫌そうに黙り込んで、気まずい沈黙があたりを覆った。剣闘士興行で相手が死ぬなんていうのは、言ってみればいつかは起きる当たり前のことで、結局は心持ちの話でしかない。

 だがそれでも、奴隷剣闘士にとって、仲間を()るというのはそれだけの重みがあることなのだ。

「『無垢なる者(フルチン野郎)』」

 と、犯罪奴隷が目に別の色を浮かべて俺に言った。他の訓練同期が普段とは違う声音に顔を上げる。

「お前、親父さんの事も考えろよ」

 あっ、という顔をする奴らが何人かいた。捕虜上がりが戦争で負けてこの場にいるのは皆が知っていることだ。生き残りの罪悪感(サバイバーズ・ギルト)の話は、そのまま捕虜上がりにも当てはまるのだ。


「で、次は誰が連中と当たるわけ?」

 色男の自由民剣闘士がウッキウキの声で聞いてきた。

 お前本当に空気読まないな。


   ***


 突き出される木剣をひょいと首を捻って左に交わすと、それで伸びた腕が小さくぐるっと回って鞭のようにしなる一撃が襲ってきた。鍛えられた筋の柔軟性と、剣の重心を把握した遣い手の技術(わざ)とが合わさり、交わしたはずの危機がすぐさまこちらに迫ってくる。

 俺は自分の木剣でそいつを下から上に跳ね上げると、開いた相手の懐にするりと入って鳩尾深く蹴りをお見舞いした。

 がふっという呻きと共に相手の唾の類が飛んでくるのを意にも介さず、俺は続けてよろけた相手の手首を強打して、持っている盾を取り落とさせた。

 訓練士が上げる止め、の声に構えを解く。

「クソ痛え」

「ごめん」

 腹と手首を交互にさすりながら盾を拾う犯罪奴隷に詫びを入れつつ、見ていた債務奴隷の方を向いた。

「どう?」

「蹴り入れるのおっかねぇな。真似していい?」

「そうじゃなくて」

 債務奴隷は肩をすくめて見せた。

「その速さなら連中には通ると思うぜ。あいつら周りとの付き合いを避けてるからその手の小技はよく知らんだろうし」

 確かに、俺の蹴り技のようなのは剣闘士個々人の工夫で剣闘士訓練生の訓練では教えていない。俺達のようにわちゃわちゃやっている世代はともかく、同期でも距離を取っているような連中は誰かが思いついたような動きは、自分で喰らうまでよく知らない可能性が高い。

 問題のあるベテラン剣闘士の奴らも、こちらが()る、と覚悟を決めて対策を練れば、結構簡単に始末がつけられるかもしれなかった。

「しかし、俺ら堂々とあいつらを()る話をしてんのに、団からの突っ込みとかがねぇな」

 手首の具合を確かめていた犯罪奴隷が言いながら、俺達に付き合っている訓練士の方を見た。

 普段から元自由民組についている訓練士が、なんでもないかのように肩をすくめた。

「俺もお前らの算段(たくらみ)は後から聞いたが、まぁしょうがない話だと思ったからな」

 それに、と訓練士が付け加えた。

 もう連中は剣闘士団に取っても重石になっている。


 剣闘士団に所属する奴隷剣闘士というのはその持ち主、つまり主人から見れば金を稼ぎ出す、あるいは街に暮らす自由民の人気を取るための貴重な財産だった。そこそこ高い金を払ってかき集めて、受ける闘いをやってくれなければ話にならない。

 例のベテラン剣闘士達の身に降りかかった災いは、剣闘士団にとっても災いで、新入りの訓練を終わらせてさぁこれからだという所で想定外の出来事で財を失った形になる。

「それでも、生き残った連中はいるんだから少しでも稼いでもらいたいところなんだが、連中、あの通りだろ?」

 やれやれとでも言いたげな顔で訓練士は説明した。

「あの気迫だから興行に緊張感をもたらしてはくれるし、実際名勝負がいくつか生まれちゃいるが、それを差し引いたって他の剣闘士が潰れる原因になってるのはいただけねえよ」

 余所(よそ)の剣闘士団に売り払うという手もなくはないが、こんな訳ありでは足下を見られるのは容易に想像がつく。

 というわけで団でも半ば問題が放置されていたようだが、そこで生きのいい新人達が興行で始末する算段をつけているという。

「団としちゃあ、興行で死ぬなら文句はないさ。別に叶わなくとも現状維持だ」

「ほーん」

 どうやら、反乱の算段(たくらみ)とでも思われてはかなわないと、自由民剣闘士まで交えて割とおおっぴらに話していたのは無駄ではなかったようだ。

「だからよ、次の興行じゃあ結構お前ら世代と奴らの組み合わせを多く取ってるぜ。お嬢さんにも俺達訓練士から話を通してある。お前もだぞ、『無垢なる者(フルチン野郎)』」


 さらりと言われた事の重要さに気がついたのは、休憩を終えて木剣を構えたあとだった。


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ブーメランはパンツだけだと思ったかフルチン野郎(そんなパンツではない)
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