1a-1 『無垢なる者』
見晴らしのいい草原を馬車が行く。見渡す限り緩やかな丘が連なる程度で、日本のように遠景に山の姿が見えることもない。
草を踏みならしただけの道とも言えぬような道を、武装した剣呑な連中に囲まれて進むうちに、何台かの似たような馬車が合流してきて隊列になる。
もちろん、合流してきた馬車の背中にも檻があり、中から俺と同じ境遇のお仲間が怨嗟の声を上げたり上げなかったりしているのだが。
やがて隊列はそれなりに整った道に出て、何日もかけて俺達獲物を運んでいく。
そうして、俺はこの世界に来て最初の街に辿り着いたわけだ。
***
後になって知ったのだが、この頃俺は奴隷狩り連中に現地の言葉で『無垢なる者』と呼ばれていた。これはかなりお上品な言い回しで、意訳すると『フルチン野郎』というのが正解に近い。
異世界転移した俺が二つの月を見ていた話は覚えているだろうか。いろいろ詳細をぶっ飛ばしていたが、端的に言うとこの世界に来た時、俺はこんなあだ名を付けられてもしょうがない格好をしていた。
つまり、なにも着ていなかった。
いやおかしいだろう。よくあるフィクションでは、異世界転移者は元の世界の物品をそれなりに身に付けており、そこから現地人に貴様何者だ的な興味を持たれて話が転がるのではないか。
残念ながら俺は夜中に全裸転移を成し遂げた『無垢なる者』だった。
二つの月を見て異世界転移したことを確信し、自分が全裸だと気付いて頭を抱え、夜に歩き回るのはまずかろうと日が昇るのを待ち、日が昇ったらその日のうちに奴隷狩りに捕まった。
もしも俺がこの世界に来たことに誰か、あるいは何かの意志が介在していたとしたら、そいつはかなり性根が曲がっているに違いない。
もちろん、奴隷狩り連中も、俺と同じように捕まった檻の中の連中も、俺が異世界から来たなどとは考えていない。俺を見るときのあの眼差し。明らかに、俺はどこかの知らない部族の残念な奴としか認識されていなかった。
つらい。
というわけでブラブラさせていた俺だったが、街につくとさすがにブラブラは不味いと誰かが思いついたらしい。俺は檻の隙間から突っ込まれた一枚のぼろ布をありがたくいただき、四苦八苦したあげくなんとかブラブラを仕舞い込むことに成功した。丸出しだった尻も隠れた。
俺氏、ふんどしを装備。異世界で最初の財産であった。
***
街はいわゆる城郭都市という奴に見えた。周囲をぐるりと壁に囲まれていて、壁の上には見張りと思われる武装した連中の姿があった。
壁や建物には石と木が使われていた。石組みの土台に木造の建屋というのが基本のようだ。俺の乏しい知識ではなんとなくヨーロッパ風に見える。ロシアや東欧のイメージだ。
街の門をくぐった奴隷狩りの馬車の隊列は、塀の高い敷地の中に入っていった。城壁が中に入れないための壁だとすれば、こちらは外に出さないための塀という感じだ。
建屋から出てきた初老の男が隊列を迎え、あれこれ指示を出していた奴隷狩りの偉そうな奴と話をはじめた。俺達奴隷は(そう、もう奴隷なのだ)馬車から下ろされ、性別や年齢で大雑把に分けられていく。
子供を抱えた母親が頬を叩かれ、親子がその手を引き離される。奴隷狩りの手荒い扱いに抵抗していた若いのが、背中を太い棒きれで殴られてうずくまる。
そんな中、そもそも言葉もわからず、財産はふんどし一丁の俺はどうしたか。
なにも。棒でどやされながらおとなしく従い、狭い奴隷小屋に押し込められた。別になにか深い考えがあった訳ではない。どうしようもないので流されるままになっていただけだ。
つらい。
***
奴隷商人の建屋に来てから何日かたった。俺と何人かが突っ込まれた奴隷小屋は初日に荷卸された敷地内の広場に面していて、そこで行われるあれこれを見ることが出来た。
しばらく観察した結果、ここの奴隷商人の商売の仕方がわかってくる。
まずは奴隷狩りがいる。こいつらは檻付き馬車をゴロゴロしながら街の外に出撃して、何日かかけてどこぞで奴隷を集めてくる。俺の時のようにどこかを襲うこともあれば、どうやら同じ文化圏の貧乏人から娘だ息子だを買って来ることもあるようだ。
次にこれも何日かに一度奴隷の競り市がある。俺とお仲間が来てからこっち、だいたいの新入りはこうして小屋から見ているわけだが、競りに掛けられているのは見たことのない連中ばかりだった。
つまり、俺より前に連れてこられたということになる。
ということはどういうことか。俺は次のように考えた。
まず、商売というのは客がいないと始まらない。競りの白熱ぶりを見るに、どうやら奴隷というのは大した財産のようなので、競りに掛けるにしても飛び込み冷やかしが買うような物ではないらしい。
ということは顧客に商品の宣伝をする時間が要るわけだ。こういう奴隷を仕入れましたよ、いついつこいつらを競りに出しますよ、というわけだ。
奴隷商人側でも、仕入れた商品をある程度値踏みする必要があるのも大きいだろう。こいつは顔がいいな、内回りの仕事に使うと映えるだろうとか、こいつは力があるな、単純労働にいいんじゃないかとか。
ついでに、競りまでにある程度見栄えを良くして少しでも値段を釣り上げようとしているのも想像できた。
飯の量が増えて、毎日身体を拭くお湯を貰えるようになったのだ。
そして最後に、奴隷商人達の言葉がわからない俺達に、最低限の言葉を教え込む為の会話の授業。
***
会話の授業は超ストロングスタイルだった。
教官役一人。助手役一人。お仕置き役たくさん。
場所は例の広場のすみっこだ。青空の下、地べたに座った俺達新入り奴隷の前に教官役と助手役が立つ。お仕置き役は後ろに待機。
教官役しゃべる。助手役答える。俺ら新入り奴隷ポカンとする。
お仕置き役俺達を棒きれでぶん殴る。
俺達はボコボコにされながらなんとか教官役達の求めるものを想像し、奴らがしゃべる言葉を繰り返したり助手の仕草を真似したりした。
正解すると殴られない。間違っていると殴られる。反応が遅くても殴られる。くしゃみをしたら殴られる。正解したと思ったら教官役達とお仕置き役達でひそひそ相談がはじまり、結局惜しいなーって顔で殴られる。要領の悪い奴が殴られすぎたのかヘラヘラ笑い出す。
地獄である。
その地獄のおかげか、俺は自分自身が競りに出されるまでに、最低限の日常会話……はい、いいえ、暑い、寒い、腹減った、お水ください、おしっこ、その他が出来るようになり、聞くほうはそれ以上にわかるようになっていた。
ついでに俺が『無垢なる者』と呼ばれている事も知ったのだが。
2020/9/22 サブタイトル修正