4a-2 先生
「よう『無垢なる者』、ゆんべはどうだったよ」
訓練同期のひとりが声をかけてきた。
「なんか世界の謎の話、された」
「なんだそりゃ」
本当になんだそりゃだ。
***
サリヤから面白い話を聞いたはいいが、奴隷剣闘士に特に何が出来るわけでもない。とは言え娼婦から外の事情を聞けるとわかったのは収穫なので、サリヤには翌朝の別れ際に、これからもちょこちょこと会いたいと伝えてみた。まぁ実際に呼ぶときは団の契約娼館を通してだが。
「私も普段の商売があるからね」
サリヤが自分の耳先をいじりながら言う。
「『姉妹団』の方にも話を通しておくから、私以外の空いてる娘が来るかもね」
「姉妹団は他の娘も狼人なの?」
ちょっと気になったので聞いてみる。
「もう他の娘が気になるのか?」
サリヤはわざとらしく拗ねた後で、笑って『姉妹団』が狼人だけではなく、普通に人類種の女もいる、それこそ男だっている傭兵団だと教えてくれた。
ちなみに男娼株で街に入っている団員もいるそうだ。その情報いりますかね?
そんな感じで一晩楽しく過ごした後は、元の剣闘士生活が戻ってくる。
といってもその内容は、訓練、訓練、また訓練で、あとは怪我を癒やす為の休養だ。
剣闘士興行の開催間隔は俺が想像していたよりも長いらしい。
「一度興行をやれば怪我人だらけ、死人だらけだからな」
いつものように俺達の訓練を見ながら訓練士の『理屈屋』が講釈を垂れていた。
「実のところ興行自体は年に数回、八回を超えたら多い方だ」
「へえ」
俺は地面に寝っ転がって横を向き、浮かした頭を女顔にギューギュー押されながらその話を聞いていた。捕虜上がりの奴は俺の足首を掴んで、頭が地面に付かないように顔を真っ赤にしている俺の身体が跳ね上がらないように押さえている。
なんでこんな事をしているのかと言えば、前の興行で俺が盾殴りを頭で受けたのが原因だった。
「兜がしっかりしているなら、それで攻撃を受ける事自体は悪くない手ではある」
と戦争経験者の捕虜上がりも評していた。
だが、たとえ金属の兜で刃や打撃を防げたとしても、それが乗ってる屋台骨がごきっと逝ったらそれで終わりだ。そして屋台骨というのはこの場合、そのまま首の骨の事になる。
というわけで首を鍛えているわけだが、これがまた滅茶苦茶つらい。
「はいはんたーい」
「はーい」
女顔の声に合わせて寝返りをうつ。
「はいギュー」
同じ様に上から頭を押さえてくるのに抵抗する。
「うぉおお……!」
それを見て、鞭を片手に腕組みの『理屈屋』がまた蘊蓄を語り出す。時計代わりの無駄話だが、長引くと俺の首が持たないので話題は選んでやってほしい。
「さて、剣闘士の具合次第で興行の間隔は開いちまうわけだが、これは工夫次第で短く出来る」
どうするのかと言えばサッカーなんかで言うところのターンオーバー制だ。
こいつはリーグ戦に加えてカップ戦なんかにも参加する試合数が多い強豪チームがやる手なのだが、要は選手を多めに抱えて事実上トップチームを二チームを組める体制にして、リーグ戦とカップ戦で別メンバーを出したり、交互に試合に出すことで選手単位の試合間隔を広く取る手法の事だ。団が剣闘士を多めに抱えている話は覚えているよな?
「というわけで次の興行はそこでうんうん唸っているお前は休み、怪我なしの他の二人は出てもらう」
「はい」
「おう」
女顔と捕虜上がりの二人が返事をする。
こうして普段の和やかな……和やかかな? 生活の中で、剣闘士は何でもないように生き死にの話をして過ごすわけだ。
***
「『無垢なる者』、ちょっと両手を出せ」
訓練を終えて水を浴びたところで『理屈屋』が声をかけてきた。
「はい」
「念のため首も出せ」
「はい」
「じゃあ首枷付けるから動くなよ」
「はい?」
言っている意味がわからない。
木枠で首と両手首を拘束するタイプの首枷を付けられた俺は、剣闘士団の敷地内でも普段行った事のない建屋へと連れて行かれた。もちろん、奴隷身分なのだから手に鎖、足に鎖は当たり前っちゃあ当たり前なのだが、あちこちに警備の私兵がいる剣闘士団の敷地内でここまでがっちりと拘束されたのは久しぶりの事だった。
通された部屋は最近準備されたらしく、中では部屋の住民が何かの曲の一節を繰り返しハミングしながら、棚に筒状に丸まった紙や二つ折り四つ折りの紙片、細長い木片を束ねたような物を片づけていた。
「先生」
と、俺を連れてきた理屈屋が声をかける。
振り返ったのは、目が隠れるぐらい前髪が長い、少し年上の女だった。首枷の理由がわかったわ。
「それが『言葉』を覚えたいという蛮族ですか?」
言葉、の所を強調している。なんだか嫌な予感がするのだが?
『先生』はお嬢さんの家庭教師をしていたこともあるという才女で、その縁で文明人の言葉を学びたいという珍しい蛮族の教育をする事になったらしい。
珍しい蛮族の俺としては必要な事を教えてくれるなら何でもいいのだが、先生の妙に挑戦的な態度が気になる所だ。
というわけで聞いてみた。なんでそんなに気合いが入ってるんすか?
「なんで本人に聞けるんですか……」
先生が呆れたような声を出す。
「聞かないと、わからない」
「文化が違いますね」
話によると、先生は有力者子弟に中央でも通じる上流階級の文化や言葉を教える仕事をしているらしい。その評判はたいしたもので、どんな問題児でも、それこそ蛮族でも一端の紳士淑女、の雛程度には仕立て上げるという名声を勝ち取っている。
「まぁ実際に蛮族を教える機会はありませんでしたけれど。評判は評判として受け入れていました」
そこでうちのお嬢さんが、本当に蛮族に言葉を教える仕事を依頼したというわけだ。
「私はこれをお嬢さんの挑戦だと受け取っています」
つまり先生にとって、俺の教育は名声を賭けたお嬢さんとの勝負というわけだ。というか俺のせいでキャリアに傷が付きかけている。すいません。
先生の態度の理由はわかったが、もう一つ気になっている事があった。先生が言う『言葉』の意味がどうにも重すぎるような気がするのだ。
「先生って、ちゃんと言うとなんの先生なの」
「初歩の数論と修辞学です」
なんだか話が大きくなっている気がするぞ。
***
女に餓えている奴隷剣闘士に女の先生を寄越すお嬢さんの性格の悪さはともかくとして(何も考えていない可能性もある)、運用を押し付けられた誰かはそのあたりをちゃんと考えているようだ。
その結果が俺の首枷と先生の授業中に部屋の外で待機している警備の私兵なのだが、さすがに両手が使えないとなにも出来ない。
というわけで先生と警備を交えて相談して、俺は左手は首枷に入れて拘束、右腕は自由にして貰えることになった。そのかわり首枷から伸びた鎖が壁にかけられて、万が一俺が暴れ出しても先生には手が出せないようになっている。
そうして授業が始まった訳だが、しばらくは俺が何をどれぐらい出来るのか調べる為に、あれこれ初歩の勉強を見てくれるらしい。
「何か希望はありますか、蛮族」
先生は俺の事を蛮族と呼ぶ。
「数字」
少し考えて俺は言った。実は前々から気になることがあったのだ。
「数字の、数え方」
「いち、に、さん」
机に小石を並べてそれを指差し声に出す。
「しい、ご、ろく」
やっていることは小学一年生がおはじきを数えるアレだが、実際にこの世界での学力が小学生並なのでしかたがない。
「しち、はち、はちといち」
「待って」
「なんですか、蛮族」
先生が止めた俺を不審そうに見る。
机の上では小石が八個ずつならんでいた。
そしてこの世界の言葉でその数を数えていたが、八を意味する言葉の次が「八と一」だった。
つまり九を意味する独自の単語がない。
「じゃあこれは『にのはちといち』?」
俺は十七個目の石を指差して尋ねた。先生が、お、という表情をする。
「惜しいですね、『はちがにといち』です」
「八進数じゃねーか!」
思わず叫んだ俺に先生が悲鳴を上げて、駆け込んできた警備の私兵に俺はいつも通りボコボコにされた。
というわけでこの世界の言語は八進数基準だと判明した。
ちょっと考えていた数学チートは変換が面倒くさいので無理そうですね。




