3b-1 決着
血を流しながらの逆転勝利に、観客席は大いに湧いていた。
俺は突きつけていた剣を外して、掴んでいた胸の布を放すと客席に向かって両腕を突き上げた。結果を理解した女顔が跪いて少し長めの髪を払い、細い首が露わになる。
俺は念のためちらりと審判を確認した。審判からは、捕虜上がりの闘技の時のように頷きが返って来る。
女顔の首を剣の平で叩くと、もう一度闘技場に歓声が響いた。楽士が勝者を讃える曲を奏ではじめる。
決着が付けば別に恨み辛みがあるわけでもない。俺は女顔の手を掴んで立ち上がらせた。
「負けた」
と女顔が言う。
「勝った」
とだけ俺が返す。
進行役が例の台に上がって闘技の結果を宣言している間に、俺は無事な方の手で右肩付近の傷を確認し、ついで兜の下の首回りをさすった。狭い視界を補おうと細かく首を動かしていたので、当て布があっても首がひどく擦れて痛かった。
女顔はと言えば、俺が引っ張ったせいで露わになった胸を隠して、なんとか布の位置を直そうと頑張っていた。
「受けねらい?」
「恥ずかしいんだよ」
聞いてみると意外な答えが返ってくる。え、でも俺達男だぜ。それに普段から剥き出しじゃあないか。
「野蛮人。俺は奴隷とは言え一応文明人なの。剣闘士になる前は人前で胸なんて出さなかったんだから恥ずかしいに決まってるじゃないか」
俺は拗ねたように言う女顔を笑って思い切りその尻を叩いた。飛び上がって胸を隠したまま文句を言う姿に、なぜか観客席から女達の黄色い声が響く。
生き残った喜びからそんなおふざけをしていると、ふと視界のすみにお嬢さんの姿が映った。
今回、俺はお嬢さんの目論見を潰した格好になる。さぞやお怒りかと思ったが、お嬢さんはその口許に薄い笑みを浮かべていた。その視線はまっすぐ俺に向けられているように見える。
俺知ってる。あれは少女漫画なんかで俺様キャラが浮かべる『ふーん、おもしれー女』という笑みだ。
***
なんとか自分の闘いを終えた俺は、舞台袖に引っ込んだ後でそのまま医者の所に連れていかれた。傷を洗われてちくちく縫われるが、針が太いので正直傷を負った時よりも痛い。さらに夜になって熱を出して二日ほどうんうん唸り、起きた頃には御披露目興行はその日程をほぼ終えていた。
御披露目興行の最終日には、起きられる訓練同期と、午後の部を闘っていたベテラン達全員が勢揃いして観客に最後の媚びを売った。そこで酷い怪我を負った同期がひとり、救命の許しを得ながらもそのまま息を引き取った事を知った。ベテランのひとりが闘いの最期にビビり、無様を晒して許しを得られなかった事も。
生き残った連中もあちこちをやられ、まさにその身に剣闘士としての経験を刻み込まれている。
死んだ同期はあまり絡んだことのなかった奴だったが、それでも濃密な訓練の中でその姿は記憶に残っている。所詮は奴隷剣闘士、俺達の記憶の中にしか残らないと言うべきか。
勝った側である俺は賭けで儲けさせてやった野郎共の声援を受けつつ、そいつ等を全員切り刻んでやりたいという気持ちを宥めるのに苦労していた。そいつらがまたいい笑顔なのだ。
死んだ奴は少なかったとはいえ、殺し合いをした後だ。普通ならギスギスした感じになりそうなものだが、どうもそういう心情にはならなかった。俺達三人のように死んだ奴にも仲のいい連れがいたようだが、そいつも殺した奴を恨むと言うより、むしろ剣闘士の恐ろしい運命に最初に見舞われた事に同情の視線を向けていた。
奴隷剣闘士。この世で下から数えた方が早いクソ溜まり。それを楽しむ連中と、楽しませる俺達を隔てるもの。
というわけで俺の異世界転移後の生活は、鞭打たれ、誰かに文をつけられた女子供を殺し、顔見知りと命のやり取りをする物になったわけだ。
連れは格好いい戦争捕虜上がりに、女装が似合う女顔。
なかなか面白そうじゃないか?
***
「娼婦呼ぶけど好みとかあるか?」
訓練士の言葉に食堂の音が止んだ。いや、まだここの言葉がいまいちわからん俺はそのまま飯を食っていたので、俺の食器からのカチャカチャ音だけが響いていた。
匙を口にやってもぐもぐやっていたところで流石の俺も沈黙に気付いて捕虜上がりと女顔に聞く。
「どしたの?」
「御披露目を勤め上げたご褒美だとよ」
「団が、女奢ってくれるんだって」
「へぇ」
のほーんとした俺達のやり取り。
ついで食堂を飢えた野郎共の声が満たした。
「女ぁ!?」
「マジで、マジで!」
「おっぱい!」
「おっぱいなし!」
「俺は男の子がいいな」
「イィヤッホォォ!」
剣闘士訓練生は女っ気のない生活を送っていた。家内奴隷は男女ともに仕事をするので奴隷同士でやる機会もあるらしいのだが、奴隷剣闘士は物の見事に男の世界だ。中には男でもいいという奴もいるにはいたが、さすがに殺し合うかもしれない相手とはやめておこうと皆思ったのか、女顔が自慰のネタにされてるぐらいで直接という話は今のところ聞いたことがない。
そこに降って湧いた娼婦話で食堂は大騒ぎになり、結局訓練士たちが鞭を振り回して落ち着かせることになった。債務奴隷の奴があんな大声出したの初めて見たわ。
というわけで皆餌を前にした犬状態で詳細を聞く。
御披露目興行を終えた俺達はこれからはベテラン剣闘士と同じように扱われる。ウケる闘いが出来る奴は賭け金もでかいので、それに応じて金が出る。
といっても俺達が直接持っていてもどうしようもないので、剣闘士団が個々人の金を預かっている形になり、許されている物に関してはそこから払って手に入れられるようになる。例えば、ちょっとした小物や衣類、娼婦の類だ。
そしてしっかり貯めて自分を買い戻せれば、晴れて自由民となれるわけだ。
「それでだ」
と説明役の訓練士が言う。
「お前らが金を使う先なんざどうせ油を注ぐ相手ぐらいなんだ。うちと契約している娼館をいっぺんだけ奢ってやるから、事務方への頼み方を覚えて今後は自分で払いをしろ」
財布と金玉を軽くして剣闘士生活を長引かせるか、重い金玉を抱えてさっさとあがるか。
だが、明日をも知れぬ身であれば、取りあえず金玉を軽くしたいのが人情という物だ。
「どうする?」
と捕虜上がりが聞く。
「俺はありがたく奢ってもらうが。お前らはそのあたり大丈夫なのか」
どういう心配の仕方なのか。
「俺はいいや」
と女顔が笑う。
「娼婦より俺の方が顔がいいんじゃ相手に悪いし。それに、あんまり溜まらない性質なんだよね」
「お前は? というかお前女知ってんのか」
捕虜上がりが失礼な事を聞いてくる。俺のしゃべり方が拙いせいで、心が子供のままだという誤解が解けていないのだ。
「奢ってもらう」
俺は答えた。
「好みは俺よりでっかい女」
周りから一斉にいるわけねぇだろうという突っ込みが入ったのだが?




