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3a-1 誰でもない

 二日目からの剣闘士興行はまぁ順調に進んでいた。話に聞いていた通り、午前は新人剣闘士同士の闘いを、午後はベテランの闘いを行っている。

 初日にさんざん血に酔わされた俺達新人は、寝食を共にした訓練同期を相手にその剣を振るい、血を流し、その命を取るか一生残る疵痕(きず)を残すべく培った技術(わざ)を競いあっていた。

「仲間じゃあないんだ」

 訓練士達が口を揃えて言っていた事を思い出す。

「相手の姿を見ろ。派手に着飾った戦士。兜で顔は隠れている。お前らが相手をするのは、仲間じゃあない。誰でもない(nobody)、ただの剣闘士にすぎない」

 客に覚えて貰うための個性的な装いは、同時に俺達本来の、仲間内でしかわからないような個性を上書きし、隠し、互いを互いと思わないようにするための装いでもあるというわけだ。

 俺達の所属する剣闘士団の闘技場はそれ程大きいものではない。待合室の類はなく、次の闘いを待つ剣闘士は暗い舞台袖から前の闘いを覗き見て、観客の反応を窺う事ができる。

 客が上げる歓声と、剣闘士がもらす呻き声。

 楽士達が奏でる勇壮な曲と、剣が盾をぶっ叩く鈍い音。

 勝者へと降り注がれる花びらと、敗者の傷付いた身体から流れ出す赤黒いもの。

 凄まじいほどの落差。これから闘う者達は、否応なくその現実と向かいあうことになった。


   ***


 おおおお、という一際大きな歓声の後で、割れんばかりの拍手が鳴り響き、勝者と敗者への賞賛が次々に投げかけられた。

 舞台袖から見る闘技場には、両の手から武器を失い、潔く跪いて後ろ首を晒す自由民剣闘士と、勝者である捕虜上がりが観客に応える姿があった。

「ヤバいな、あいつは」

 俺と同じ側から入場する順番待ちの剣闘士が言う。

「まともにやって、勝てる気がしねぇ」

 俺は無言で頷いた。

 捕虜上がりと相手の自由民剣闘士は、どちらも外連味のない正統派だった。覚えた型を高度に使いこなす二人の闘いは見応えがあり、勝敗はまさに地力の差をそのまま表した物になった。

 捕虜上がりの凄さは、その地力の差に加えて、疵痕(きず)を付けるのが当たり前という大前提をひっくり返して相手に大きな怪我を負わせずに勝って見せたことだった。

 剣闘士の闘いというのは難しいものだ。真剣でのやり取りは、勝っても重い疵痕(きず)を負ってしまえばお仕舞いで、客を歓ばせる事が出来なければそのうち受け狙いの無茶な闘いを組まれて地獄を見る。

 客を魅せる闘いをして、己は出来る限り傷つかず、相手を下す。それだけでも大したものなのだが、そこに相手に必要以上に傷を負わせないなんて事を付け加えられるならとんでもない凄腕ということになる。

 俺が見る限り、捕虜上がりは徹底して主導権を確保するように努めていた。死刑囚の指を飛ばした鋭い攻撃は的確に相手の得物だけを狙い、何度も受けにくい角度で無理をさせて疲れさせていた。反撃は円盾を使って食らうとヤバい部位(バイタルゾーン)をしっかり守り、追撃を許さず脚を使って距離を取る。

 客からは次々と来る攻撃を捌いた自由民剣闘士を賞賛する声と、反撃を受けながらもついに攻撃を緩めず相手の武器を取り落とさせた捕虜上がりを賞賛する声が上がっていた。目の肥えた客だけが、二人の間に横たわる実力差と、自由民剣闘士がそれを認めて首を差し出した事を察しただろう。

 客に応えていた捕虜上がりが腕を下ろした。審判役が頷くのを見て、傷つけないように剣の平で敗者の首を軽く叩く。

 殺しは無しの決着だ。


   ***


 捕虜上がりが戻ってきたのは俺と同じ側の舞台袖だった。奴が握り拳を作って片手を上げてくるのに、俺も拳を作って打ち合わせる。

「客を暖めておいたぞ」

 捕虜上がりが軽く笑いを含んだ口調で言う。そこにはある種の侮蔑の色があった。

「よけいなことしないで」

 その後で出るこちらの気持ちも考えて欲しい。

 客席はいい具合に盛り上がっていた。外国風の装いで悪役(ヒール)売りする予定の奴が、その腕の良さから賞賛されるぐらいなので、客層自体はそれほど悪いものではないのだろう。

 だが、その後で剣を振るうこちらにしてみたら結構つらいものがある。人間という奴は盛り上がりに水を差された時が一番激しい反応をするからだ。

 一戦終わった闘技場に整地係が入っていく。客を飽きさせないために楽士が滑稽な曲を演奏()りはじめ、曲芸師がお手玉(ジャグリング)の類を披露する。

 そいつらが片付くと、楽士が入場のラッパを吹き始めた。進行役が台にあがり、次の闘いの口上を謡いはじめる。

 俺は舞台袖から出て闘技場の中へと踏み出した。


   ***


 闘技場に出た俺はぐるっとあたりを見回した。視界に入るのは基本階段状の観客席で、あとはそれに切り取られた青空ぐらいだ。日本では陸上競技の客席なんかは客席を出来る限り平たく設置するものだが、この闘技場はむしろそそり立つ壁のように高く配置されている。

 反対側の舞台袖からは女顔も姿を現し、俺達は進行役の口上と共にゆっくりと闘技場の中心へと歩を進めた。楽士の奏でる音楽が盛り上げるように早くなっていく。

 前の闘いで暖まった観客席から、これから闘う俺達へと声援が降り注ぐ。

 女顔にかかる声は流行りの役者なんかに向けられる類のそれだ。そこには若い女の声も多く含まれ、広く人気があることが窺える。

 俺にかかる声は野太い野郎の声中心で、なけなしの金を俺に賭けたという悲鳴のようなものばかりと来たものだ。俺達が掴んでいる客層の違いが如実に現れていると言えた。

 さて。

 いろいろと御膳立てをされた結果、俺はこの闘いが半分ぐらいは出来試合だと考えていた。

 と言っても俺と女顔の間で勝負の行方が決まっているという事ではない。ただ単に女顔に有利に、そして俺に不利に仕組まれているというだけだ。

 指折り数えてみてもいい。まずは使っている得物と防具。女顔は兜こそ被らず額当てだが、他は普通の剣と盾、防具も籠手と脛当ては付けている。一方俺は視界が狭い金属兜、盾は重めでほとんど裸。ふんどしだけが最後の尊厳を守っている。

 その上で、俺は女顔への攻撃を制限されている。これは相手には知らされていないので、俺が一人で苦労することになる。

 最後に、防具の話とも被るが、女顔はその顔が見えており、俺の顔は相手には見えないという事だ。

 俺と女顔が訓練同期の中では付き合いがあるほうだというのは剣闘士団の連中なら誰でも知っている。

 金属兜の有無だけで、奴にとっての相手は誰でもない(nobody)剣闘士となるが、俺にとっては顔見知りのままだ。

 ただの八百長ならいいだろう。勝った負けたは時の運、それを売り買いした所で死にはしない。だが、剣闘士の闘いにおけるそれは、まさに俺に死ねと言っているのと同様だった。

 ふざけないで欲しいよな?


 審判役が前に出てきて、俺達に有力者席への礼をするように声をかけた。有力者席に俺達を見下ろすお嬢さんの姿が見えたので、挨拶のふりをしてこいつらにはわからない日本語(ことば)で「覚えてろ」と、「そのうち殺す」と宣言する。

 通り一遍の礼を終えて、俺は審判の「始め」の合図を待った。

2020/9/16 誤字修正等

2020/9/17 誤字修正等

2020/9/22 サブタイトル修正

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