04話 ハーフオーガの少女
《いや、もうね。何なのあのおばさん達!
私何も悪いことしてないじゃん。全部言われた通りにしてるのに、何でことあるごとに蹴ってくるの!!?》
開口一番に叫んでいるところを見るに、相当我慢していたらしい。
正直、僕もあのおばさん達の行動はどうかと思うし、彼女が怒る理由は痛いほど分かる。
見ていただけの僕ですら軽い殺意を覚えるのだから、実際に暴力を振るわれた彼女の腸は煮えくり返っていることだろう。
「そうだね……。
特に君をサウンドバッグ呼ばわりした時は、本気で殴りたくなったよ」
《え……。あ、ありがと……》
僕が相当怒っていることが伝わったらしい。
さっきまで自分も怒っていたのに、僕が彼女のために怒っていることが嬉しかったのか、恥ずかしそうに御礼を言ってきた。
……いや、君はもっと怒っていてもいいと思う。
「……やっぱり殴るだけじゃ足りないね。
ワサビとカラシとタバスコをたっぷりかけた、下ろしたての大根おろしを口いっぱいに頬張らせてあげなきゃダメだ」
《えっと……。
よく分からないけど、それはあんまり酷くない気がする》
僕が密かに恐ろしい罰を考えていると、彼女が話しかけてきた。
(な、なんだって?
あんな辛味のオンパレードを食べさせる仕打ちが酷くないなんて、もしやエルフは皆辛口?
い、いや、この子はワサビやカラシなんて知らないだろうし、きっとどれだけ恐ろしいことか分かってないだけだ。そうに違いない)
思わぬ発言に動揺した心を落ち着かせ、再び彼女の方を見る。
先端が少し赤く見える淡い栗色の長髪に、小ぶりな鼻と口、翠玉を連想させる透き通った緑色の瞳は神秘的で、おでこから桜色の角が2本生えている。
膝から下は藍色で足の爪は鋭いが、見回りに来るオーガのような禍々しさは感じない。
身長は百二十センチほどで、正直かなり可愛らしいと思う。
(この子が化け物とか、この世界の人間の目は腐ってるの?
まあ僕が現代日本の何でも擬人化する風習に慣れてしまってるだけかもしれないけどさ)
《な、何かな?私の顔に何か付いてるかな?》
どうやら長く見過ぎたようで、照れくささと不安が入り混じったような顔で、彼女が下から僕を見上げてくる。
僕の心に四千のダメージ。
これはまずい。初手で残りライフが半分になってしまった。
「いや。なんだかもう怒っていない様に感じたから。
大丈夫なのかなって思ってさ」
そう言いつつ僕は右に視線を移動させる。
緑と黄色と赤色のソースがかかったカキ氷のようなものが目に留まる。
(…………ああ、そういえばさっき想像したっけ)
消えろ。
《ふふっ。
大丈夫だよ。だってセロが怒ってくれたもん。
それだけでも嬉しいし、それにこれ以上セロとの時間をあいつらに取られたくないから》
そんな僕の行動が面白かったのか、彼女が笑いながら話しかけてくる。
セロ。
それが、彼女が決めた僕の名前だ。
名前を聞かれて答えられなかった僕に対して彼女が言った言葉は、今でも鮮明に思い出せる。
“《”わからない”?”おもいだせない”?
んーと、”ない”ってことは0(しぇろ)なんだよね?なら、あなたのことは“せろ”ってよぶね!》”
まだ発音が完璧ではない彼女に、数字を教えていたところだったからだろう。そんな理由で僕の名前はセロになった。
発音が完璧になった今でもそのままセロと呼び続けられているけど、大した問題じゃない。この子がセロと呼ぶなら僕はセロなのだ。
「そ、そう。
なら今日も二人で何かしようか」
《うん!》
とても嬉しそうな彼女を見ていると、本当に、生まれてきてくれて良かったと思う。
学生だった僕に子供は居なかったが、生まれてからずっと見てきた所為か、まるで自分の子供のように感じてしまうことがある。
生まれてきた――――――そう。あの日、崩壊した立方体から出てきたのは、まだ赤子の彼女だった。
当時はとても驚いた。それこそ鳩が豆鉄砲を食った瞬間大鷲に変わって豆鉄砲を撃った人に復讐しに行った光景を見ているようだった。
(うん。自分でも何を言ってるのか分からないな)
当時の僕の慌てふためき様は相当なものだったのだろう。
なにせ僕は高校生で、一人っ子だ。赤子の面倒なんて見たことが無い。
オムツは想像で出せるとしても、ミルクがダメだ。想像で出したものでは栄養がどうなってるのか見当もつかない。
いや、それ以前に角の生えた黒い足の赤子なんて知らない。
しばらく頭を抱えていたが、そんな考えは杞憂に終わった。
時間が経ち、いつ彼女が泣き出すか不安でずっと見ていた時、突然目の前で彼女の姿が掻き消えたのだ。
(あれは本当に驚いた……。
しばらく息を呑んだまま唖然となって、初めてこの空間では息をしなくてもいいことに気づいたんだっけ?)
その後、空間にぼやけた映像が映し出され、聞き取り辛い音声がどこからともなく流れ出したことには、驚きよりも恐怖を感じたが……。
(それから更にしばらくしたら赤子が急に出現して……、消えて……、出現して……。それで初めてこの真っ白な空間がこの子の夢の中だって気づいたんだっけ……。
そりゃあ何でも出現させられるよね。夢の中なんだもん)
赤子が消える度に映像と音声が鮮明になり、まるで赤子の視点みたいな映像と鳴き声が聞こえ、その映像が消えると赤子が出現する。しか映される光景は大抵ミルクかオムツ交換。
どれだけ僕が馬鹿だとしても、あれだけ見せられれば嫌でも気づく。
(まあ問題は、なんで僕が彼女の夢の中に居るかなんだけど)
この疑問はあれから三年経った今でも解けていない。
彼女が起きている間は外の光景が見れるため、ここが異世界であることや時間の流れ、彼女がオーガとエルフのハーフだということは知ることが出来た。
しかし、地球や僕がここにいる原因に関するような情報はほとんど入ってこなかった。
彼女があのおばさん達に酷使され始め、暗い道を行き来するようになるまでは……。
(だからこそ、いつかあの灯籠を作った人に会ってみたい。
いや、会わないといけない気がする)
《どうしたの?
今日は何するか決められないの?》
考え事をしていることが伝わったのだろう、不安そうに彼女が話しかけてきた。
(そうだった。今は彼女と遊んであげる時間だ。
考え事は、彼女が起きている間にしよう)
「うん。君は何かしたいことある?」
《あるよ!
またセロと想作ゲームがやりやい!》
想作ゲーム。
彼女の言いているその遊びは、この空間でのみできる”やり取り”のことだ。
することはシンプルで、僕が考えているものを彼女が想像し作り出す。それだけだ。
というのも彼女の夢であるこの空間では、彼女が出したものは僕にも見て触ることができる。それなのに、僕の出したものは彼女には“彼女が認識しているもの”に見えるらしく、僕の作ったものを彼女にも作ってもらうと大抵別の物ができあがるのだ。
初めてこのことが分かったのは彼女に数字や、日本語を教えようとしたとき、僕はノートと鉛筆を出して数字や文字を書いて見せた。するとこの子は自分でも書いて覚えると言い、透明なガラスみたいな板とデザインナイフのような刃物を出して、僕が書いた文字と同じものを書き出したのだ。
(書いたものは分かるし、なんとなくの概念は伝わる様で良かったよね。
それが無かったらこの子に物事を教えるのは大変だった……)
それ以来彼女は定期的にこの遊びをして、自分の認識と僕の考えていることが同じか確認している。
最終的には、“人の形をした黒い靄”にしか見えない僕の姿を見ることが目標だそうだ。
自分の姿なんて上手く説明できないし、描けないから相当に難しいとは思うけど……。
いつか彼女がその夢を叶えられることを願いつつ、僕は彼女の提案を受け入れた。
「分かった。ならこの前話した“飛行機”を出してみようか?」
《うん。
確か“たくさんの人を乗せて空を飛ぶ、金属でできた大きな鳥を模した機械”だったよね?
待ってて。えい!》
突然、彼女の目の前に鉄でできた荷車が出現する。
両サイドに鳥を模した巨大な鉄の翼と、前方に水晶玉が付いている。
「残念。違うよ。見た目はこんな形だよ」
それを見た僕は苦笑しつつ、人差し指で空中に絵を描いていく。
ここは夢の中であるため、ペンやノートは必要ない。”指先で空中に跡を残している”と想像すれば、空中にものを書くくらい簡単なのである。
気分はさながらT.M.リド〇だ。ヴォルデ〇―トの方が分かるだろうか。
《へ~。こんな見た目なんだ。
えい!……どうかな?》
「うーん。惜しい。
羽は鳥みたいな翼じゃなくて、蝶みたいにこう――――――――」
僕が軽く教えると、すぐに近い形や機能にしてくれる。
流石だな、と感心する。
生まれてから僅か数年でここのまでやり取りできるのは、彼女がオークのハーフで成長が人間より早いということだけではない。
彼女はとても頭が良いのだ。それそこ高度なコンピュータなのかと思えるほどに。
(算数を教えて一週間で二十桁の素因数分解を解いてたし、その後も僕には理解できない数式をたくさん書き続けたなぁ……)
当時は空間を埋め尽くさんばかりに、数字や文字が浮かんでいたものだ。
“《nが三以上の自然数なら、x^n + y^n = z^nの (x, y, z) は自然数じゃなくなるんだね!》”
とか言い出したときはさっぱり意味が分からなかったが……、彼女が言うことだからきっと正しいのだろう。
因みに、もう二度と彼女とチェスや将棋はやりたくない。
別に負けることが嫌なわけでは無く、初めてチェスをしたときに勝った彼女に号泣されてしまったのだ。
(しばらく落ち込んでいるようだったし、口数も減ってきて……。
勉強ばかりで疲れているのだろうと思って遊んだんだけど)
持ち上げて”たかいたかい”をされたのが怖かったのだろうか。
結局、なぜ泣いたのかは教えてもらえなかったが、もう二度と彼女のあんな顔は見たくない。
(仕方ないじゃないか……。
まさか教えたばかりのゲームで、それも一歳児相手に一つも駒を取れずに負けるなんて思わなかったんだから)
しかも、こちらは全ての駒を取られた。
あの手際には驚きを通り越して感動してしまったほどだ。
(まあ、その後から笑顔が増えて良かったとは思うけどさ……)
最近の彼女は僕と話すとき、いつもニコニコしている。
無理をしているようには見えないし、僕もそんな彼女の笑顔が好きだ。
そう思って彼女の方を見ようとしたとき、目の前に飛行機が出現した。
少し小さいが、僕の覚えている飛行機で間違いないだろう。
「そうそう。これが飛行機だよ!……あれ、どうしたの?」
いつもなら僕と同じものを想像できたと知った瞬間、彼女はとても嬉しそうな顔をする。にもかかわらず、今日は彼女の表情が変わらなかった。
どうしたのかと少し不安になっていると、彼女が僕の方に振り向いた。
《……うん。やっぱり、セロはかっこいいなって考えてた》
とても可憐な花が咲いた。
僕の残り半分のライフが一気に削られると同時に、頭の中までが真っ白になる。
(…………はっ!いや、違う。断じて違うぞ。
これは……親心、そう親心だ。そうに違いない)
断じて僕はロリコンじゃない。そう思うことで心を落ち着かせつつ、なんとか彼女と向かい合う。
「あ……えっと……、…ありがとう。
つ、次のお題に行こうか?」
《うん!》
動揺していることがバレバレな口調に恥ずかしさを感じつつ、逃げるように次のお題を考える。
まだ夜は始まったばかりだというのに、もう瀕死にしてくるのだから、彼女の才能は恐ろしいものである。
(この時間が少しでも、彼女の支えになってくれればいいんだけど……)
僕が教えて、彼女が答える。
そんなやり取りを繰り返しながら、僕たちの夜は更けていくのだった。