02話 陰気な日暮
「さっさと歩きな!この化け物が!」
耳の長いブロンドヘアーの女に背中を蹴られながら、私は山道を登っていた。
――様々な果実と三人の女を乗せた荷車を一人で引きながら。
クスクスという笑い声が後ろから聞こえてくる。
「まったく、使えないガキだね。
早くしないと日が暮れちまうじゃないか」
よく言うよ。なら手伝ってくれれば良いのにと思いつつも声には出さない。そんなことをすれば殴られるのは容易に想像できる。
大体、こんな時間になったのもこいつらが私が採った果実をその場で食ってたからだ。
「そのくらいにしときなよライザ~。
あんまり蹴りすぎて怪我されるとまたあの鬼野郎に殴られるよ?」
「大丈夫さ。
こいつ頑丈だし、傷だってすぐ治るんだから」
「そんなこと言ってこの前もガキの腕へし折って怒られたじゃん。
こっちまで連帯責任取らされたんだから勘弁してよね~」
蹴られた痛みに耐えつつ荷車を引いていると、後ろからそんな話声が聞こえてきた。
「ごめんって。
その代わりに今日は果実をたくさん食わせてあげたじゃないか」
「そうだけど~。
それだって本当に大丈夫なんでしょうねぇ?」
「大丈夫だって。
これが初めてって訳でもないんだ。収穫量も増えてるんだし、馬鹿なガーゴイルやオーガ共が気づくはずないって」
そう言って再び後ろの女、ライザは私の背中を蹴った。
「こいつの所為で帰るのが遅くならなければね」
……本当によく言う。
朝早くに叩き起こされてから門番との受け答え以外でこいつらが働いているところを見た覚えが無い。
森まで荷車を引いたのも、果実を採ったのも、全部私一人でやったことだ。
何もしていないこいつに帰りの時間までとやかく言われる筋合いは無いし、初めてでは無いことを嬉々として言われても苛立ちしか湧かない。
今日みたいな日はこれで四回目だ。
私が頑丈で力が強いと分かった途端、それまでも良くはなかったライザの私に対する扱いがより一層酷くなった。
私を馬車馬の様にこき使い、なにかと理由を付けては殴る蹴るの暴行を働くのだ。
「なら良いんだけど~。
それにしてもあんたがこんな化け物を産むとはね。慰安奴隷ってそんなに大変なんだぁ?」
「……そういやあんたは経験してなかったね。
あれは地獄だよ。朝から晩まで鬼どもの玩具さ」
「ひぇ~。半分はそのまま死んじゃうんでしょ?
よく生き残れたねぇ?」
胸が小さくて良かった~。という女の声が後ろから聞こえる。
ライザは昔のことを思い出したのか、「チッ」と舌打ちをしながら私の頭を蹴飛ばした。
「えっと……。
そ、それにしてもそいつ不気味だよね~?
蹴っても殴っても声一つ出さないし、いつもローブで顔隠してさぁ」
「はっ、当然だよ。
声なんて出したら殴りつけてやってるところさ。躾だよ躾。
それに顔なんて出してたらすぐにあのバカ共に取り上げられちまうだろう?」
ライザの顔が険しくなったことを悟った女が話をそらすと、すぐにライザは上機嫌になる。
この女は私が貶されるのが嬉しくてたまらないらしい。
「気色悪い角が目立つもんね~。
オーガの子供はオーガが育てるんだっけ?
確かに居住区で子供のオーガなんて見ないしねぇ」
「そうだよ。
元々人族との間には滅多に生まれないんだ。
それにこんな人間臭い見た目のオーガ。あいつらが育てたところでイジメられる光景が目に浮かぶってもんさ」
「だからこっそり連れ帰ってわたしらのサンドバッグかぁ。
見つからない様にしなよぉ」
「ははっ、見つかったところで扱いは同じなんだ。手渡して終わりさ。
それにこいつもオーガの怪力で殴られるより、あたし達に殴られてる方が幸せだろ?」
ギリッっと、思わず唇を噛んでしまう。
断じて幸せなものではない。だが、否定できる内容でもなかったからだ。
ここで軽く殴られながら労働するか、オーガの下で殴り殺される日に怯えながら過ごすか。食事にありつけている分、今の暮らしの方がマシなように思う。
「おっと、そろそろ門が見える頃だ。
おい、いつまで寝てるんだい。起きな!」
「ぅん?
もう着いた?」
二人の話し声しか聞こえないと思っていたが、どうやらもう一人は寝ていたらしい。
後ろでモゾモゾと動く音がする。
「寝ぼけてないで荷車を押すよ。
見張りのガーゴイルに見つかる前に、形だけでも取っておかないとね?」
そう言って三人は荷車から降り、軽く手を添えて歩き始めた。
全く力は込められていないが大人三人分荷車が軽くなり、蹴られることもなくなったためかなり歩きやすい。
(……ようやく門か)
あとはいつも通りに門番の鉱人族に荷車を預けて、指導監督の小人族からレーションを受け取るだけだ。
終わりが見えると頑張ろうと思えるのだから、人間とはおかしなものだ。
しばらく歩いていると、金属でできた十メートルはあるだろう重厚そうな壁の前に着く。
すると壁の中心に嵌められている球状の青い水晶のようなものから、しわがれた男性の声が聞こえてきた。
『果実班か。
チームコードは?』
「"12-3-F007519"さ、とっとと門を開けてくれ」
『ほいほい。ちょっと待ってな』
男の声が止むとすぐに水晶が緑色に変わり、金属の壁が音も無く消えた。
嵌っていた水晶だけが上空に浮くように残っている。
「ほいほい、そんじゃ荷車は預かるぞ?
これは三人分のレーション券だ。無くすなよ?」
無くなった壁の向こうから私と同じくらいの大きさの髭面が出てきて、ライザ達に紙切れを渡した。
「はんっ。
ガキは働かなくても飯が貰えるんだから羨ましい限りだね全く」
ライザがこちらに視線を向けてきたが、どうやらライザは子供だったようだ。働かずにご飯を貰えるなんて羨ましい限りである。
「まあ子供の労働は強制じゃねぇからな。
十二歳にもなりゃあ働くことになるんだ。お前らだってそうだろう?」
「お生憎様、あたしは今年で百六十二歳さ。
五十年前に捕まってからここで働き出したから、ガキの頃はあんたらより遊んでたよ」
「……ああそうかよ。
ならさっさと行け。あんまり長く“門”を開けてるとオイが怒られる」
「そうさせて貰うさ。
これ以上泥臭い男の近くに居ると鼻が曲がりそうだからね」
そう言ってライザ達は歩き出した。
私も行かなければ、遅れたらまた殴られる。
「まったく…。
昔は精樹族と鉱人族の仲が悪かったらしいが、今でも引きずってるあたり本当に狭量な種族だぜ」
去り際に髭面が小声で何か言っているが、私に聞こえるように言うあたりどっちも大して変わらない気がする。
ライザ達を追いかけて鉄臭く、至る所にある壁や地面の隙間から蒸気やネズミが湧き出ている道を抜けると広場に着く。
あちこちに灯籠が浮いており、暗いところが無いように広場全体を照らしている。
その広場の端にある他より高い台座の上に、肩眼鏡をかけた男が立っていた。
私より一回り小さくて、とても痩せ細っている。
ライザ達は真っすぐその男の下に歩いていき、先ほど受け取った紙切れを見せる。
「ほらよ。さっさと飯を寄越しな」
「……確認した。持っていけ」
男がそれだけ言うとライザ達が持っていた紙切れが膨らみ、レーションが入った袋に変わる。
「君もだ。ほれ」
ライザの後ろにいた私に気づいたのか、男は腰に付けていた小さな袋からその袋の倍はあるだろうレーションを取り出すと、私に向かって投げてきた。
慌てて私は、落とさない様にそれを受け止める。
「ふん。帰るよ」
再び歩き出したライザ達を追って、私は男が居た場所から少し外れたところにある小道に入る。
そこから先は薄暗かったが、広場に浮いていた灯籠の一つが先頭を歩くライザの前に移動して、私たちを導くかのように小道を照らしてくれた。
しばらく無言で歩き続けるが、あちこちから蒸気の音やネズミの鳴き声、カンカンという金属同士を打ちつけ合う音が聞こえるため、静けさは無かった。
街中ではどこに目があるか分からないため、流石のこいつらも無駄話はできないらしい。
できれば一生黙っていてほしいものだ。
小道を抜けると少し広い道に出る。
ここまで来ると街灯があるため道は明るく、先導していてくれた灯籠は私たちが歩いてきた小道を引き返して消えて行った。
誰が作ったのかは知らないが、私はあの灯籠を気に入っている。
いつも私のことを見守ってくれている様に感じるし、少し暗いところを歩く時、どこからともなく現れて道を照らしてくれる。
(いつもありがとう)
灯籠が消えた小道を振り返って感謝の気持ちを抱きつつ、再び前に向き直る。
するとライザの背中越しに十字架が掲げられた建物が見えた。
昔は神様?というものを崇める“きょうかい?”という建物だったらしいが、今では奴隷の子供達を育てる“奴隷児舎”だ。
ライザたちはそこの奴隷保母であり、私はライザの子供。
つまりあの建物が私の家だ。
「なんとか日が沈む前には戻ってこれたね。
他のガキどもは寝てるだろうし、夜間は監視が厳しくなるから今日の夕飯は各自の部屋で食べるように。
そんじゃあ解散!」
建物に入るなりライザはそう言い放ち、スタスタと自分の部屋に入っていった。
他の2人もライザの後を追うようにそれぞれの部屋に入っていく。
私には自分の部屋がないため、そのまま長椅子がいっぱい並んでいるだだっ広い部屋まで移動する。
一応子供達が集団で寝る部屋はいくつかあるが、誰も私みたいな化け物とは一緒に寝たくないらしく、部屋に入ることは禁じられている。
長椅子の部屋について窓を見ると、丁度夕日が沈むところだったらしい。暗くなったガラスに私の姿が映し出された。
まるで人のような肌色の皮膚に栗色の髪、ふたつある翠玉色の目が、こちらを覗き込むように見つめてくる。
ここまでなら人族だと思われるだろう。だが、決定的に人族とは違う箇所があった。
前頭部から生えた2本の桜色の角と、猫みたいな縦長の瞳孔。鏡には映っていないが、膝から下の脚は藍色をしている。
まさしく、人の姿をした化け物だ。
(……やめよう。見ていても辛くなるだけだ。)
そう思った私は長椅子の一つに腰掛け、なるべく窓を見ない様にレーションを食べた。
途中に何度か喉が渇いたため、壁の水晶に触れて水栓から出る水を飲む。
この都市はアズシュバー火山という山の山頂付近に築かれていて、昔は暑くて水が大量に必要だったため、どんな建物でもほぼ全ての部屋にこうした水の出る魔道具が設置されている。
レーションを食べ終えた私は部屋の隅に移動して丸くなる。
今日は森の中を走り回った後に重い荷車を坂道で引かされて流石に疲れが溜まっていた。
(明日もどうせ重労働だし、早く寝よう)
そのまま横になると、急激な眠気が襲ってきた。
思っていたよりも疲れていたらしい。
目蓋が重くなり、そのまま眠りにつく瞬間。向かいの壁の穴からこちらを見ているネズミと目が合った気がした。