11、ごめんしか出ない
SUN6
それは放課後部活動の時間。大森の行動に騒然となった。
「大森、早まるな!!」
「そうだよ真理、包丁、まずその包丁置いて!」
俺と横山は包丁を振りかざす大森を説得しようと必死だった。
「いいか?大森、少し冷静になれ」
「進藤君、これは私の問題なの!」
「いいや、違う!そうじゃない!!そうじゃないんだ!!」
大森は少しも説得に応じようとしなかった。どうして……何故こんな事になったんだ?
俺はその日の放課後、教室で雨が弱まるのを待っていた。
すると突然、横山が教室に駆け込んで来た。
「真理を止められるのは進藤しかいない!!」
そして訳もわからず家庭科実に連れて行かれると……そこには、包丁を持った大森の姿があった。
あれは完全に正気じゃない。
「頼む!!頼むからその包丁を置いてくれ!!鳥の照り焼きは、鳥を絞める所からの調理はしないんだ!!」
「え…………!?」
衝撃を受けた大森は思わず鶏の首を持つ手を離した。鶏は大きく羽をばたつかせ床に降りた。
エプロン姿の大森は呆然としていた。その姿に横山が突っ込んだ。
「いや、わかるでしょ!?フツー!!」
「だって……だって……先生が一番最初から作って行きましょうって…………」
「最初ってそこから?それ、もはやクッキングじゃなくてサバイバルじゃん!」
横山は解放された鶏をひとまず廊下に逃がした。あの鶏どうするんだよ?廊下の鶏が首を傾げながらうろうろしていた。
「そっか……そうなんだ!良かった~!鳥の絞め方ググったけど、出来るかちょっと不安だったの」
本気かよ!絞め方ググったのかよ!
「それにしてもどこから連れて来たんだ?あの鶏」
「ああ、あれね、生物部!卒業した先輩が卵から孵したんだって~」
そんな殺生な……せっかく卵から孵したものを……
卒業した生物部の先輩もまさか大事に育てた鶏を後輩に食われるとは思って無かっただろうな……
「でもでも、ちゃんと生物部の顧問に断ってからもらったんだよ?」
「もらったって……用途は話したの?」
「それは……話してないけど……え?食べたらダメ?あ、もしかしてこうゆうのって食用じゃなきゃ食べちゃダメなの?」
いやそうゆう事じゃなくて……
「だって……本格的な料理、ちゃんと作りたかったの!……進藤君は鳥の照り焼き、嫌い?」
「好き……だけど……」
「じゃ、上手く出来たら食べに来てね!」
好きだけど……好きなんだけど……
だけど……大森の絞めた鶏だと思うと、かなり食欲が削がれる気がするのは何故だろう?
まぁ、その意気込みだけは伝わった。
「じゃあ仕切り直して、最初から調理開始しましょうか!」
先生がそう声をかけると調理部の活動が再開した。しばらくして大森がおたおたと準備を始めたから、横山と家庭科室を出た。
「あー良かった」
俺は廊下に残っていた鶏を見つけて話しかけた。
「確かに……良かったな~お前食われなくて」
「違うよ」
「は?」
横山は突然「違う」と言い出した。この鶏の話じゃないのか?
「進藤と真理が元に戻って良かった」
「……多分、元に戻った訳じゃない」
あれから大森が普通に話すようになった。それは何故かはわからない。
俺は大森の事がわからない。わからない事ばかりだ。ただ……
大森が家庭科室の窓から顔を出して俺に言った。
「進藤君、実習が終わるまでその鶏預かっててくれない?」
「ああ、わかった」
少なくとも、嫌われてはいないようだ。
俺は先に帰る横山を見送って、大森の鶏を抱えて教室に戻った。教室に戻ろうとすると隣の教室から話声が聞こえて来た。
「大森さん、黙っていれば可愛いんだけどな~」
「アホの横山といるからだろ?」
「横山だってバカやなきゃそこそこモテそうなのにな」
いや、横山からアホを取ったら横山じゃねーだろ?
「大森には相方がいるだろ?ほら、事故で入学の時いなかった奴」
「ああ、進藤?」
「事故の話、噂で聞いたけど……進藤の姉貴がひいた相手が死んで姉貴も昏睡状態らしいぜ?」
ごく普通のただの噂話。こんなのには慣れた。
こんなのは入学してからずっとだ。でもこいつらに悪気がある訳じゃない。それはわかってる。
「昏睡状態って植物人間って事か?」
「さぁ?」
「まぁ、そうゆう場合、死んでもらった方が楽な場合もあるよな。この前漫画で見たんだよ。延命が残された家族にとって本当にいいことなのか?みたいなやつ」
死んだ方が楽……?
落ち着け……これはただの一般論だ。ただの世間話だ。
……落ち着け、落ち着け……
「進藤君……?」
そう呼ばれ振り替えると、そこに大森がいた。
まさか、さっきの話を大森も聞いていた!?
「どうして……ここに?」
「あの、鳥の照り焼き……完成……したから……」
大森はエプロンの裾を強く握り締めていた。
「ああ……」
そう言って家庭科室に向かおうとした瞬間、大森は突然走り出した。
「どこ行くんだ?」
そっちは家庭科室じゃない。人気の無い水道の所まで走って行って顔を洗った。
じゃばじゃばと音を立てて洗い、水道を止めた。
「タオル……忘れちゃった……あははは……」
笑っているのに、声が震えている。
「さっきの……聞こえてたのか?」
「……良くある事だよね。事故の事は有名だし!」
俺は……バカだ。
噂されているのは俺だけじゃない。大森もだ。その事にどうして気がつかなかったんだろう……。
「でも、今のは嫌だったね。進藤君のお姉さんが助からなかった方がいいみたいに……それは、支える家族が大変なのはわかるけど……お姉さんはちゃんと生きてる。生きてるじゃない。梨理ちゃんは……もういないのに……」
「…………ごめん…………」
俺はただ、謝る事しかできなかった。
「凄く……嫌……」
「ごめん…………」
それでも、その胸に大森を抱きしめずにはいられなかった。
「進藤君、私顔……濡れてる……」
「ごめん…………」
大森は、胸の中で静かに泣いていた。
「言いたい事、全部吐き出せよ」
俺がそう言うと大森は震えた声で呟き始めた。
「もう……梨理ちゃんに愚痴とか恋話とか聞いてもらえないし…………」
「ごめん…………」
大森を抱きしめたまま、俺はその呟きを聞いた。
「私、女兄妹いないから……そうゆう相談とか、アドバイスとか……もらえない……」
「ごめん…………」
その人は、大森にとって大事な存在だったんだ……
「何より……会いたい。あの笑顔に……会いたいのに……」
「ごめん…………」
俺はポンコツの機械のように『ごめん』を繰り返していた。
「照り焼き……冷めちゃう……」
「ごめん…………」
やっぱり『ごめん』しか言葉が出て来なかった。
ごめん……ごめんな……
ずっと複雑な思いに気がつかなくて……本当にごめん。
少し考えればわかる事だった……
それなのに、嫌われて無い事をいい事にその肩を抱いて…………
俺だけ……俺だけが今、
大森に触れられて幸せだ。
「進藤君、暖かい」
大森に幸せになってもらえたら、きっともっと幸せだ。
「痛い!!痛い!!」
「え?どうかした?」
急に大森が声をあげたから、俺は慌てて大森から離れた。
足元を見ると、絞められそうになった鶏が大森の足をつついていた。鶏の襲撃はエスカレートして行き……
「痛いっ!ぎゃあ!やめて!」
「おい、こらやめろって!」
鶏は飛び回りなかなか捕まらず、そこらじゅうに羽が飛び散ってパニックになった。
それでも何故か二人で笑った。俺達は二人で笑っていた。