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ゾンビ・パウダー  作者: 木原ゆう
閉鎖世界のアイソレイション
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Closed world 5

「ああもう……! なにこの車……! きゃあ! ちょっと、どうしてこんなにスピード出ちゃうの……?」


 急発進。急ブレーキ。

 喚き散らす雪乃の運転は最悪で、大学に到着するまでの数分間で二度も電柱に擦り上げる始末だ。

 それでも無事に到着できただけ有難いと思うべきか。


「げほっ、げほげほっ……! ほ、本当にこんな中を進むの……? これだけ煙が充満してたら、私達のほうが危険じゃない……?」


 大きな校門の前に車を置き、降りた瞬間に猛烈な煙の匂いでむせる雪乃。

 門は開け放たれたままとなっており、大学名が書かれている看板は誰ものとも分からぬ血の付いた手形で濡れている。

 先ほどから優衣にLINEを送っているが既読にはなっていない。

 どこかでアイフォンを落としたか、それとも壊れてしまっているのか。

 電話を掛けても繋がらず、彼女がまだ大学内にいるかの確認も取れなかった。


「雪乃さんは車の中で待っていて下さい。何かあったら連絡しますから」


 ボウガンとスタンガンの入った鞄を肩にかけ、僕は校門を潜ろうとする。

 が、すぐに服の裾を掴んだ雪乃はイヤイヤと子供のように首を横に振るばかりだ。

 ここから先は火に呼び寄せられた池袋中のゾンビが蔓延っている可能性がある。

 車で待機していれば何かあった時にすぐに逃げ出せるし、彼女のお守りをするのも御免だ。

 むしろこのまま自宅に帰れば良いのにとさえ思う。

 車でここまで送ってもらえれば、もう僕に関わる必要などないのだから。


「こんな場所に一人でいるのも怖いけど、それよりも楠木君を一人になんて出来るわけ無いじゃないの……! 幼馴染の子を助けに行くんでしょう? わ、私だってやる時はやるんだから……!」


 車の荷台から金属バットを取り出した雪乃は震える手でそれを握り締めた。

 どこからどう見ても頼りないのだが、自分で自分の身を守るというのであればこれ以上彼女に何かを言うつもりもなかった。

 僕は鞄からスタンガンを取り出し彼女に投げ渡す。


「わっ、とっ、え? 私が持つの?」


「使い方は簡単です。しっかり握ってボタンを押すだけ。ゾンビに効くかは分かりませんけど、またあの男達みたいなのに襲われそうになったら使ってください」


 敵はゾンビだけではない。同じ人間同士が殺し合う可能性もある。

 強盗。強姦。殺人。狂気に駆られた人間のほうがゾンビよりも性質が悪い。

 目を合わせお互いに頷いた僕らは、黒煙の立ち上がる校舎に向かい歩いていく。


 まず初めに、右手側に大きな建物が見えた。

 左手の道路を挟んだ先にある大きな校舎は小学校だ。

 僕らは慎重に校舎の通路を進み中腹ほど差し掛かったところで広い場所に出た。

 前方に大きく建っているのは大学内に設置された図書館だろう。

 火の手はその隣の建物から上がっていた。

 窓ガラスは割れ、中からもの凄い勢いで爆発音が鳴り響く。

 いずれ図書館にも火が回り、全焼してしまうことは容易に想像が付いた。

 僕らは一旦その場から退避し、火の手が上がっていない校舎の中通路を進もうとする。


「……あれ? 楠木君、今受信音が鳴らなかった……?」


 雪乃に言われ僕は鞄からアイフォンを取り出した。

 確認してみると確かにLINEにマークが付き、優衣からのメッセージが届いていた。

 僕が助けに来たことを喜んでいるが、事態は思わしくない方向に進んでいる。


「なんて書いてあるの?」


 雪乃が顔を覗かせ、LINEの内容を確認する。

 しかしすぐに青ざめた表情に変化し、口を押えて震えあがってしまった。

 優衣は今、数人の同級生らと共に図書館の奥に避難していた。

 隣の棟で火の手が上がり脱出しようとしたが、周囲はゾンビで溢れてしまい出るにも出られずに閉じ込められたままとなっている。

 大学側に雇われている警備員が出動したが、これが仇となったらしい。

 火に寄せられたゾンビ共に一斉に喰われ、彼ら自身もゾンビと化した。

 警棒を振り回し学生を襲い、捕食。あっという間に大学は混沌の渦に巻き込まれた。


「ど、どうするの……? ゾンビが大量にいるのに、このままだと図書館にも火が回って……」


「助けに行きます。そのために来ましたから」


 ――ドクン。

 そう答えた直後、僕の心臓が高鳴った。

 興奮が止まらない。やはり眼前に火を見たからだろうか。

 早く雪乃から離れないと、僕はまた溢れ出る食欲に逆らえずに彼女を捕食してしまう。

 柔らかそうな胸。耳。眼球などはどんな味がするのだろう。

 全身に鳥肌が立つくらい、僕は魅力的な彼女の虜になる。

 舌なめずりをした僕は唇を強く噛み締めた。

 いけない。食べては駄目だ。これから・・・・いくらでも・・・・・食べられるから・・・・・・・――。


「……? 大丈夫、楠木君? ……! 左の目が真っ赤だよ……!」


 僕の様子がおかしいことに気付いた雪乃は慌てて駆け寄って来る。

 目が、赤い? ……ああ、そういうことだったのか。

 あの時・・・窓ガラスに・・・・・映った赤い目は・・・・・・・ゾンビの目・・・・・だったのだ・・・・・

 左目だけ赤い理由は、僕が半分だけ・・・・感染しているから。

 抗体薬は完全ではなかった・・・・・・・・

 でもそれは、僕からしたら神様に与えられたご褒美のようなものだ。


 彼女の温かい手が僕の頬に触れる。

 僕は彼女を突き飛ばし後ろを向く。


「あ……。ごめん……なさい。嫌だよね、急に顔を触られたら」


 しおらしくなった彼女は僕に謝罪の言葉を発する。

 僕はなるべく彼女を見ないようにして、彼女にこう言った。


「……他の棟にも避難している生徒がいるかも知れません。雪乃さんはそちらを回って下さい。僕のことは心配しなくても大丈夫ですよ。絶対に無理はしないと誓いますから」


 雪乃の返答を聞く前に、僕の足は図書館へと向かっていた。

 後ろで何か騒いでいる彼女だったが、僕の意識は半分朦朧としている。

 今また僕を掴もうものなら、そのときは我慢をしない。

 彼女を喰おう。満足するまで、骨の髄まで味わってやろう。

 頭蓋骨、首の骨、はらわたさえも気絶するほど旨いのだろう。

 想像するだけで達してしまいそうになる。

 

 だが、雪乃は僕を見送った。

 運の良い女だ。明日葉もこうであればゾンビにならずに済んだかもしれないのに――。


『…………ウゥ。ウウゥゥ…………』

『グルルゥ…………』


 火に呼び集められたゾンビ共のうめき声が聞こえてくる。

 彼らは図書館の扉をこじ開けようと犇めき合い、お互いがお互いを押し潰していた。

 数はどれほどいるだろう。数えきれないほどのゾンビが図書館の前に集結している。

 彼らを尻目に、僕は火の上がっていない側に回り込み、内部に入れる場所がないかを観察する。

 しばらくそうしていると再び優衣からLINEが飛んできた。


「……上?」


 そこに書かれた文字を見て、僕は上に視線を上げた。

 何かキラキラと光るものが図書館の裏手の窓から僕を照らしていた。

 目を凝らすと、そこには優衣の姿があった。

 彼女の背後には彼女の同級生らしき数人の男女の姿も見える。

 僕は笑顔で彼女らに手を振った。

 こんな場面で、しかも閉じ込められた彼女らに、笑顔で。

 

 優衣らは知るはずもないだろう。

 僕が何故・・・・笑顔でいたのか・・・・・・・を。




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