Closed world 4
神社を抜け池袋駅方面に向かい大通りをゆっくりと進む。
明日葉をゾンビ化させた今、優衣を助けに行く名目も無くなったのだが、僕は足を止めずに大学へと向かった。
先ほどから鼻を突いている煙の臭いが徐々に強くなっていくのを感じる。
やはりあの黒煙は大学の敷地内から発生しているものだった。
ここからでも火の勢いが増しているのが分かる。
すでに近隣住民は避難をしているのか、大通りはあまりにも静かすぎた。
そしてゾンビも、神社にいた遺体以外は全く見当たらない。
しばらく歩くと通りの左側、僕がゆっくりと歩いている歩道の脇にコンビニが見えてきた。
自宅からほど近い場所にあるので、部活を辞めてからはアルバイトとして僕が雇ってもらっている場所だ。
週に三日の勤務だが、特にお金に困っているわけではないので高校生にしたら十分な賃金だろう。
まさかこの非常時に通常営業をしているとは思えないが、店内の灯りは煌々と辺りを照らしていた。
「……?」
急に遠くからクラクションの音が聞こえ、大通りを乗用車が逆走してくるのが見える。
そのままコンビニの前で急ブレーキをし、中から金属バットを持った二人組の男が降りてきた。
彼らは周囲に視線を向け、誰もいないことを確認したのか、そのままコンビニへと走り込んでいった。
あの位置からでは暗がりを歩いている僕には気付かないだろう。
恐らく火事場泥棒かなにかなのだろうが、非常時に食料や水を確保することは生きる上で必要なことだ。
余計なことに関わりたくない僕は、彼らに見付からないようにコンビニの裏にある道から大学に向かうルートを選ぶ。
しかし、僕は不意に足を止めた。
裏通りを抜ける途中に聞き覚えのある悲鳴が耳に入ってきたからだ。
『な、なんですか貴方達は……! きゃっ! や、やめて下さい……!』
声の主はアルバイトの同僚の島雪乃だろう。
年齢は不詳だが、店長が言うにはもう十年ほどこのコンビニでバイトをしているらしい。
気立てが良く、僕も彼女に色々と仕事を教えてもらっていた。
少し悩んだが僕は裏口に周り鍵が開いていることを確認し、中に入ることにした。
「ちっ、うるせぇ女だなこいつ……! あんまり騒ぐと犯すぞ!」
「いいから黙って水と食料を運べ。せっかくゾンビ共が火に呼び寄せられて少なくなってんだから、今がチャンスだろう? おい、そこの姉ちゃん。死にたくなかったらレジの金を全部抜いて、この袋に入れろ」
「は、はい……!」
男共に命令され、恐怖に顔を引き攣らせているだろう雪乃の姿が背中越しに見えた。
ゾンビが火を好むとは知らなかったが、もしかしたら僕が大学に向かおうとしているのもそのせいなのかもしれない。
レジからお金を出そうとしている雪乃は背後に気配を感じたのか、一瞬だけ振り返った。
そして僕の姿を発見して、声を上げそうになるのをどうにか堪える。
僕は人差し指を口に当て彼女に黙るようにジェスチャーを送る。
小さくコクリと頷いた彼女は、何事も無かったようにレジを開けて金を袋に詰めていった。
「一旦、食料を車に積め。あと十往復ぐらいは出来るだろう?」
「マジかよ……! 弁当は軽いから良いけどよ……。水ものは重いんだっつの……!」
レジの大袋いっぱいに食料を詰め込んだ男は、もう一人の男の指示に従い自動ドアから外に出る。
僕はそれを見計らって、しゃがみつつ雪乃の背後まで接近し、余所見をしている男の足にスタンガンを当てた。
「……あ?」
男は足に視線を落としたが、もう遅い。
僕がスイッチを押すと乾いた悲鳴を一瞬だけ漏らした後に、男は倒れて泡を噴いてしまった。
「ス、スタンガン……? 凄いのを持ってるのね、楠木君……」
手際よく男を気絶させた僕を見下ろし、呆気に取られている雪乃。
僕はもう一人の男が戻って来る前に気絶した男を引っ張り、そのままレジ後ろの事務室まで運んだ。
そして雪乃もそこに呼び、身を隠すように指示を出す。
何も知らずに再び自動ドアを開き中に入ってきた男。
しかし男はギョッとした表情に代わり、目を泳がせていた。
それもそのはず。僕はレジの前で男に向かいボウガンを構えていたからだ。
「ちょ、どうなってんだよ……! 俺の相方は……?」
完全に油断していたのか、男は金属バットを車に置いてきたようだ。
この距離では素人でもボウガンの矢は相手に当たる。
僕は男を睨み、彼の質問にこう答えた。
「殺したよ」
「こ、ここ殺した……? 待てよ……! いやいや、だって俺達食料を貰いにきた――」
ヒュン、という風を切る音が男の言葉をかき消した。
矢は男の頬をかすり背後に陳列してあった雑誌の一部に突き刺さる。
少し遅れて男の頬に一筋の血が流れ床に落ちた。
男は青ざめた表情で頬に手を当て、そこでようやく僕がボウガンから矢を放ったのだと気付く。
「ひ、ひひひ、人殺しいいぃぃぃぃ!!」
喚き散らした男はそのまま開き切っていない自動ドアにぶつかりながら外に飛び出し、車にも乗らずに神社方面へと逃げ走って行った。
軽く溜息を吐いた僕はボウガンを降ろし、雑誌に突き刺さった矢を引き抜く。
少し遅れて先ほどの男の悲鳴が遠くから聞こえてきた気がしたが、明日葉にでも襲われたのかもしれない。
彼女もまだ近くをうろついているだろうから、ここに長居するのは危険だろう。
「お、終わった……?」
事務室からおずおずと顔を出して来た雪乃。
足元には相変わらず泡を噴いているもう一人の男がいたが、しばらくは目を覚まさないはずだ。
彼の所持品は中身が空の財布と車の鍵、それに店内に転がっている金属バットしかない。
財布以外を持ち出した僕はそれらを雪乃に預け、こう言った。
「ここは危ないから、僕と一緒に出ましょう。雪乃さん、車の運転は出来ましたよね?」
「へ? あ、うん。免許は持ってるけど……って、え? もしかして車って、あの車……?」
彼女は外に停車したままの車を指差した。
車種は分からないが異様に車高が低く、黒塗りの平べったい車だ。
だが移動手段としては申し分ないだろう。
徒歩でウロウロ歩き回るよりも安全だろうし、優衣を助けた後も車があればすぐに自宅に引き返すことができる。
彼女の問いに頷いた僕は倒れたままの男を引き摺り、裏口から店の外に放り出した。
「雪乃さん、店長はどうしたんですか?」
裏口の鍵を掛け、店内を消灯した僕らは最後に自動ドアの鍵を掛ける。
しかしまたいずれ、先ほどの奴らのように食料を狙う者が鍵を壊して侵入する可能性は高い。
だが開け放しておくわけにもいかず、他に選択肢がない僕らにはそうする以外に方法が無かった。
「うん……。警察署の事件があった直後に店を飛び出していって、それっきり帰って来なくて……」
彼女は申し訳なさそうな顔で僕に話す。
つまり彼女は、この非常時にも勝手に店を無人にすることなく、ただひたすら店長の帰りを待っていたわけだ。
せめて鍵だけでも掛けておけば良かったのに、それをしなかったのは食料を買いに来たお客が困らないようにとのことだった。
確かに非常時に水や食料を提供するのはコンビニの務めであることは間違いないが、街がゾンビで溢れることは想定外だろう。
どこか抜けた所がある雪乃だが、責任感だけは人一倍強かった。
だから、僕は彼女を助けたのだろうか。
それともまた、明日葉のように見捨てるのだろうか――。
車に乗り込んだ僕らは、火の手の上がる大学へと向かうことにした。




