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ゾンビ・パウダー  作者: 木原ゆう
心的外傷のアコンプライス
24/48

Traumatic dependent 3

「もう! 一体どうなってるのよ……!」


 階段を上り一階に到着するや否や真琴の叫び声が聞こえてきた。

 彼女は拳銃を構えているが、左右から迫って来る同僚に発砲せずにいる。

 真琴の背後には紗栄子が怯えた表情のまま蹲っていた。

 目視で確認できる限りでは、ここ一階にいるゾンビは二体。

 地下にいる新人刑事と増島を含めれば四体ということになる。

 僕が増島に尋問室に閉じ込められてからの時間を逆算すると、明日葉がゾンビパウダーを新人刑事に盛ったのは彼が上司に告げるために階段を駆け上がった直後なのだろう。

 とするならば、現在四階で聴取を受けているだろう京子や担任の御園には現時点の状況は伝わっていない可能性もある。

 別に彼女らを助ける義理はないが、京子には一応恩のようなものを感じている。

 彼女までゾンビ化してしまっては、正直あまり良い気分にはなれない。

 僕はこの場を真琴に任せ、そのまま四階まで階段を上ることにした。


「明日葉。君は今のうちにここを逃げるんだ」


「え……? 嫌だよ……! 私、正一君とずっと一緒にいたい……!」


 懇願する彼女の頭を撫で、僕は彼女の手に自分の部屋の鍵を握らせた。

 そして彼女の耳元でこう囁く。


「すぐにこの場所はゾンビで溢れ返る。君をそんな危険な場所に一秒たりとも居させたくはないんだ。今日は美優が家にいるから事情を説明して、その鍵で僕の部屋に入って、そこで良い子に待っていてくれ」


「正一君の部屋の……鍵?」


 鍵を受け取った明日葉はじっとそれを見つめ、そして嬉しそうに握り締めた。

 彼女を自室に招き入れるのは初めてだが、すでに共犯者となった彼女であれば問題ないだろう。

 美優が不思議がり彼女に根掘り葉掘り聞いてくる可能性があるが、それも想定内だ。

 じきに池袋はパニックになり、再び地獄のような一日が始まるだろう。

 それに先ほどゾンビ化した新人刑事が発砲したのも、新しい収穫だった。

 捕食以上に強力な武器を得たゾンビにより、事態を収拾させるのはより困難となるはずだ。

 僕が求めた新世界に、また一歩だけ近づけたという感覚――。

 生ぬるい日々はもう飽き飽きだ。

 生と死の狭間に立っているスリリングを、これから先もずっと感じていたい――。


「何をしているの! そこの二人、早く逃げなさい!」


 真琴の怒号と共に署内に銃声が鳴り響く。

 それとほぼ同時に地下からゾンビ化した新人刑事と増田が這い上がって来た。


「そ、んな……。増島さんまで……」


 増島の姿を見た途端に戦意喪失した様子の真琴。

 彼女を尻目に僕は明日葉の背中を押し、ここから逃げるように合図を送る。

 明日葉が走り出したと同時に手を伸ばしてきたゾンビ刑事を蹴り飛ばし、僕は上階へと走り出した。

 背後から真琴と紗栄子の声が聞こえてきたが、それは僕を心配しての声なのか、それとも二体のゾンビに襲われた悲鳴なのかは確認できない。

 一階に残っている警察職員はざっと見積もっても真琴を入れて四人ほどだから、もしかしたら全員喰われて奴らの仲間になってしまう可能性がある。

 そうなれば退路が断たれてしまうため、京子と落ち合ったら屋上側に逃げて、非常階段から地上に降りるほか方法が無いだろう。


 二段飛ばしで階段を駆け上がり、あっという間に四階まで到着する。

 その間にすれ違った警察署職員はおらず、無駄な足止めを回避することができた。

 署内には警報があるはずなのに、まだそれらは作動していない。

 一階の職員は皆動揺し、冷静さを失っているのだと予想できる。

 四階の廊下に出て京子が事情聴取を受けている部屋まで走り、扉を何度も強く叩く。

 案の定、聴取をしているだろう刑事の返事が中から聞こえ、僕は勢い良く扉を開いた。


「け、刑事さん……! 一階が大変なことに……!」


 わざと声を詰まらせて、動揺してるかのように慌ててみせる。

 その様子に青ざめた刑事は部屋を飛び出し、大急ぎで階段を降りていった。

 彼を見送った僕はキョトンとした表情で座っている京子の元に歩み、彼女の腕を掴む。


「へ……? あ、ちょっと、正一……? 何かあったのか? そんなに強く掴んだら、痛いだろう……!」


 言葉ではそう言っても、僕の腕を振り払おうとはしない京子。

 むしろ何が起きているのか分からないという、この異常な状況を楽しんでいるかのようにも見える。


「いいから、僕の言うことを聞いて下さい。京子先輩」


「あ…………はい」


 真面目な顔で僕がそう言うと、頬を染めて軽く頷いた京子。

 担任の御園はオロオロと部屋の中を歩き回っているだけで、何か行動を起こす様子はない。

 彼女は放っておき、京子だけ連れて屋上に向かうのが得策だろう。

 腕を引っ張り部屋を出ると、思いのほか言うことを聞いて僕に付いてくる京子。

 その間はずっと頬を染めているだけで何も聞こうとはしない。

 廊下を抜け、反対側にある階段を使い五階、六階へと駆け上がっていく。

 今度は先ほどと違い階段の途中で何人かの警察職員とすれ違ったが、僕らには目もくれず皆慌てた様子で階段を降りていった。

 そろそろ情報が行き渡ったのかと思った直後、署内に警報が鳴り響く。


「これは……警報? おい、正一……! やっぱり何かヤバいことが起きてるんじゃないか?」


 ようやく我に返った様子の京子は最上階の八階に上りきったところで僕の腕を払い、状況の説明を求めてきた。

 僕は軽く溜息を吐き、彼女の問いに応じる。

 ここまで来れば、後は屋上の鍵を開けて非常階段を降りるだけだ。

 外の非常階段は裏手側に回っていることを一番最初に警察署に到着した際に確認したから、地上に降りた途端ゾンビらと出くわす危険性は低いだろう。

 入口から裏手に回るには建物の構造上、一旦大通りに出ないと駄目な造りになっていることも確認済みだ。


 僕は一つ一つ丁寧に、彼女に説明した。

 説明が終わるころには当然彼女は青ざめ、まだ記憶に新しい先日の学園の様子と現在の状況をダブらせているかのようにも見える。


「……まさか、またあのゾンビが……」


「はい。しかも今回は警察署内での事件です。奴らは拳銃も扱えるみたいですし、京子先輩のことが心配で、居ても立っても居られなくて……」


「正一……」


 僕がそう言うと、感極まった彼女は僕の頭を自身の胸に押し付け抱き締めた。

 京子の甘い香りが鼻腔を擽り、一瞬だけ眩暈のようなものを感じた。

 程よく実った胸は驚くほど柔らかく、僕の顔は完全に彼女の胸に埋まってしまう。

 その直後、またドクンという衝動が全身を突き抜けていった。

 性欲とはまた違った感情が脳髄の奥深くから這い上がり、全身を侵食していく感覚――。

 これは、一体どんな感情なのだろう?

 恋でも愛でも無い。憎しみの感情も無い。

 喜怒哀楽とは全く別次元の、それでいて自我では押さえ切れないほどの激情――。

 目が霞むほどの快楽を越えた快楽。

 でも、僕はこの感情を・・・・・知っている・・・・・


 一体いつ? どこで?

 

 ――僕は無意識に彼女の胸の中で、大きく口を開いていた。




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