Reality divergence 5
東京都豊島区にある池袋警察署。
学園で紗栄子の車に乗った僕は駅を西に越えた場所にある警察署まで赴いた。
ビルの立ち並ぶ交差点の一角に堂々と建設された警察署の駐車場で僕は車を降り、紗栄子共に正面入り口へと向かう。
と、そこに女性刑事らしき人物と遭遇し、僕らは彼女に声を掛けられた。
「あ、蓮常寺学園の方ですよね。お待ちしておりました。中に御案内しますね」
警察手帳を見せた女は自身を春日部真琴と名乗った。
どこかで見た風貌だと思ったが、あの時校門の前で男の刑事と一緒にいた女だと気付く。
灰色のスーツを着こなしているキャリアウーマン風の女刑事を前に、紗栄子は恐縮した様子で署内に案内された。
「? 確か今日の二年A組の面談は、生徒がお二人だったはずでは……?」
真琴は僕のほうを振り向きそう言ったが、すぐに紗栄子が彼女に返答する。
内田は後日、彼の両親と共に個別に警察署に訪れるそうだ。
事情を察した真琴は特にそのことを追及することなく、広い署内を迷うことなく進んで行く。
エレベーターに乗り四階へと向かった僕らは会議室のような場所に案内され、一番奥の席に座った。
どうやら事情聴取とはいえ重要参考人というわけではないので、こういった一般的に使用されるような部屋を貸し切り、一時間ほどの聴取をするらしい。
真琴はお茶の入ったペットボトルを二本用意してくれ、しばらくするともう一人の刑事が部屋の中に入ってきた。
「お待たせしてすいませんねぇ。増島と言います。まあ簡易的な聴取ですから、リラックスして聞いて下さい」
真琴と同じく警察手帳を掲示した男は書類をテーブルに並べて聴取を開始する。
この男も彼女と同じく学園でゾンビの対処をしていた刑事だ。
新人らしい巡査から銃を奪い、正確にゾンビの額を撃ち抜いていたのを僕は明日葉と一緒に目撃していた。
「今日は内田透君はお休み、と。他の生徒は君の後に担任と一緒に来るはずだから、まずは簡単に質問をさせてもらおうか。ええと……楠木正一君か」
「はい」
増島に名を呼ばれ、臆することなく返事をする。
紗栄子は僕とは少し離れた席に真琴と座り、聴取の様子を見守っていた。
「もう散々テレビや新聞などで話題になったから君も知っているかとは思うが、今回の蓮常寺学園の事件――。警察署内では多数の麻薬中毒者の暴走、という方向で処理が進んでいる」
増島がテーブルに広げた資料には仁田やあかね、大黒などの写真が置かれていた。
それらを一つ一つ丁寧に並べ、僕の前には計九枚の写真が掲示された。
「これが今回、加害者とされる麻薬中毒者の写真だ。教師が三名に生徒が六名。警察が到着したときにはすでに彼らは錯乱状態で、我々の制止の合図を無視し、バリケードを張った教師らに襲い掛かった。やむなく全員射殺することになったんだが、まあ上からも世間様からもえらいバッシングを受けてね。判断を下したのは現場責任者の俺なんだが、今回の件がどう転ぼうとも俺の降格は免れないっつうから、本当運が無いというか、俺からしても胸糞悪い最悪な事件でね」
「……増島さん。そんな話を学生さんにしたところでどうしようも無いんですから、早く聴取を終わらせてあげて下さい。皆さん、まだ心の傷が癒えていないんですから言動にも注意してもらわないと」
増島の言葉に早くも業を煮やしたのか、真琴が間に割って入って来る。
彼女に注意され軽く頭を掻いた増島は写真を横にずらし、細かく書かれた書面を僕の前に提示した。
何となしにそれを流し読みしていた僕だったが、ある言葉を見た瞬間に表情が凍り付く。
――『Call細胞』。
どうしてこの言葉が、警察の聴取の資料に載っているのだろう。
僕はハッと顔を上げ、増島が鋭い目つきを僕に向けていることに気付く。
最初の無駄話は僕を安心させるための罠だったのか。それとも単なる僕の勘違いなのか。
彼に気付かれないように呼吸を整えた僕は、その他の項目にも目を通す。
「……読み終わったか? まあ、ここに書かれているとおり、射殺した麻薬中毒者を司法解剖した結果、奴らの体内からは未知の物質がゴロゴロと検出されたってわけだ。血液中の各成分値も異常だったし、特にここ。脳内物質なんかは訳が分からんことになっている」
彼は注意深く僕の様子を注視し、二枚目の紙に書かれている検査結果の用紙を指差した。
そこには脳内から抽出されたドーパミンに代表される脳内物質の異常値を示した数値や、その他複雑な名称の成分名が所狭しと羅列されていた。
「最初、奴らと対峙したときに、警察官らは胸や足を銃で撃った。しかし全く効果が無く、奴らは教師らが即席で作ったバリケードの破壊を止めようとしなかった。つまり、これら脳内麻薬物質のせいで痛みを感じず、また驚異的な筋力――特に腕力と顎の力は異常値が示されている。……そういえば君のその首の傷は、奴らに噛まれた傷だそうだが、その後調子はどうかな?」
増島の視線が僕の首に当てられ、思わず僕は生唾を飲み込んでしまった。
これが本物の刑事の迫力なのだろうか。
それとも僕はまだ、さっきの単語を見て動揺したままなのだろうか。
乾いた口を潤すため、一旦お茶を口に含んだ僕はおもむろに口を開き回答する。
変に嘘を言ったら、この刑事は勘付いてしまいそうだ。
ゾンビパウダーに関すること以外は、正直に話したほうが無難だろう。
僕はあの日、図書室にいたこと。
そこで仁田とあかねの様子を目撃し、彼に襲われ首を負傷したことなどを話した。
「……ふむ。時間的にはその頃に、麻薬中毒者が一斉に暴れ出したことになるな。君以外にも負傷者は多数いるし、死亡者も九名出てしまった。俺も刑事になってから二十年になるが、こんな凶悪な事件を担当するのは初めてだよ。正直、どう対処して良いのかも分からん」
刑事は一旦そこで書類を纏め、大きく伸びをした後に真琴のほうに視線を向けた。
彼女も当時のことを思いだしたのか、怪訝な表情を増島に向けている。
「まあ、なんだ。今回の聴取は俺が被害に遭った生徒らと一度話をしてみたかったのが理由と、それともうひとつ。これから君に血液検査をしてもらおうと思ってな」
「血液検査、ですか?」
増島の意外な言葉に僕は驚きを隠せなかった。
そんな話は初耳だ。
何故、被害者である僕から血液を採取する必要があるのだろうか。
「そんな顔をするなよ。簡易的な検査だから、別に変なことをするわけじゃないさ。……それとも血液を採取されたら困ることでもあるのかい?」
「増島さん……!」
堪らず椅子から立ち上がった真琴。
傍らで大人しく見ていた紗栄子も同時に抗議の声を上げた。
「何だよ、そんな急に怒鳴るなよ……。上には俺から説明しておくから春日部、これから医療班のとこにお前が一緒に付いて行ってこい」
「そんな……! 警部補からも、まだ生徒らは心の傷が癒えていないから丁重に扱ってくれと言われたばかりですのに……!」
尚も喰いつく真琴。
だが増島は首を縦に振らない。
……どうする? この刑事の狙いは、一体どこにあるのだろうか。
僕が感染していないか調べるつもりなのか?
しかし、警察は今回の事件を麻薬中毒者による暴走と定義しているのではなかったのか?
「……分かりました」
ここで下手に断るわけにもいかず、僕は増島の提案を了承するしかなかった。
もしも僕が感染していたとしても、抗体のおかげで自我を保ち続けている。
そして僕から他者に感染していないことも、すでに明日葉で検証済みだ。
彼女との粘膜接触は、すでに何回も行っているのだから。
明日葉がゾンビ化していない以上、僕が感染している可能性は限りなく低いともいえる。
僕の返答を聞きニヤリと笑った増島は席を立った。
そして部屋を出て行こうとする彼の口元は、こう呟いているようにも見えた。
――『アタリだな』。
僕は汗ばんだ掌を握り締め、彼の挑戦を受けることにした。




