Reality divergence 4
「それでは、本日の授業はここまでです。佐倉さん、お願いします」
担任の日向紗栄子が学級委員長の佐倉知加子の名を呼ぶ。
クラスメイト全員が起立、礼をしてホームルームが終了し、僕は机の中身を鞄に入れ椅子から立ち上がった。
「内田君、楠木君。ご両親から許可は得ているから、このまま警察署に向かうけれども、それでいいかしら?」
黒板の文字を消し終えた紗栄子が教室に残ったままの僕と内田に声を掛けてきた。
これから僕らは紗栄子の車で警察署に立ち寄り、任意の事情聴取を受けることになっている。
僕は無言で首を縦に振ったが、内田は俯いたまま何も返事をしない。
「? どうしたの、内田君。今日は都合が悪いの?」
内田の顔色が悪いことに気付いた紗栄子は彼の元に歩み寄って来る。
まだ二十代の紗栄子は少女のような笑みを彼に向けたが、顔を背けるだけで何も反応を返す様子はない。
それを見て悲しそうな表情に変わった紗栄子。
あのゾンビ事件以降、内田のように心の病を負った生徒は少なくなかった。
すでに転校してしまった生徒は数十名、今日から始まった通常授業に参加できなかった生徒は各クラス三、四名はいるらしい。
自身の友人が奴らに殺される様を目撃した生徒が心の病を負ったとしても、それは当然のことなのだろう。
うちのクラスからは並木とあかねが命を落とした。
しかもあかねはゾンビと化して、警察に射殺されたのだ。
二人とも内田と仲が良かったため、余計彼の心に負担を掛けているのだろう。
「……まだ事情聴取は早いかしら。いいわ。私から警察の方に内田君のことは説明してみましょう。……楠木君は大丈夫?」
鞄から手帳を取り出した紗栄子は内田の両親に電話をするようだ。
ついでに僕も事情聴取を避けられるのであればそれに越したことはないのだが、いずれまた呼ばれるのであれば先に済ませておいたほうが良いように思う。
少し考えた僕だったが、彼女が電話を終える頃には二つ返事で彼女の質問に答えることにした。
「内田君、これからお母さんが迎えに来て下さるから、それまで職員室で待っていてくれる? 楠木君はこのまま私と一緒に警察署に向かいましょう」
紗栄子はクラスの中を見回し、まだ残っていた佐倉に声を掛けて内田の事情を説明した。
彼女に内田を託した後、僕らは教室を出て廊下を歩く。
まだわずかに廊下に残る血の匂い――。
しかし紗栄子はそれを感じないのか、淡々と廊下をまっすぐに進んで行く。
すぐ脇の階段は使わずに、二階の廊下の保健室とは反対側、トイレがある方向にある階段を目指す。
中央階段の一階は惨劇が起きた場所ゆえ、まだブルーシートで仕切られており立ち入り禁止が解除されていない。
学園にはまだ至る場所にこういう箇所が存在し、物々しさが残っている状態だ。
「……楠木君。君は、あれを何だと思う?」
「……あれ、ですか?」
トイレを通過し廊下の端にある階段に到着したところで不意に紗栄子が声を掛けてきた。
階段の手すりに掛けた手は若干震えているようにも見える。
「君も目撃したと思うけど、私も放送室で……いや、いいわ。ごめんなさい。これから事情聴取だというのに、何を言っているのかしら、私……」
眉間に人差し指と親指を押さえ、首を軽く左右に振った紗栄子。
よく見ると目の下に隈が出来ていて、まともに睡眠が取れていないようにも見える。
一部のメディアではゾンビ化した三名の教師にスポット当て、『教育の崩壊』などと謳い、蓮常寺学園を揶揄する報道をしているのを見た記憶がある。
麻薬中毒となった(メディアに出ていた司会者の予想だが)教師らが生徒を襲う姿も動画投稿されており、恐らくそれが原因なのだろうと思う。
今回の警察の事情聴取は、そういった類の麻薬を何処から入手し、そしてどう学園内に広まっていったのかがメインと思われる。
だが警察があのゾンビ事件を麻薬事件として捜査してくれれば、迷宮入りになる可能性が高い。
そう考えれば僕の持つゾンビパウダーは早急に破棄したほうが無難なのだが、僕にはまだ計画が残っていた。
「大丈夫ですよ、紗栄子先生。早く事情聴取を済ませて、ゆっくり休んで、明日の授業に備えましょう」
偽りの笑みを浮かべ、僕は紗栄子より先に階段を降りる。
彼女の脇を通り過ぎたときに、若干彼女の頬が赤く染まったようにも感じたが、恐らく気のせいなのだろう。
――このゾンビ事件は、まだ終わらない。
階段の上にある窓ガラスに映った僕の目は、太陽の光を反射して真っ赤に染まっていた。




