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よく晴れた空のもと、わたしは辻馬車に揺られながらキエルの街並みを眺めていました。
「こんな話をご存知ですか、お嬢さん?」
御者が気を利かせたのか、何やら嬉しそうに問いかける。
「どんなお話です?」
「いやね、遺産騒動があった画家の一族の話がありましたでしょう? そしたら、亡くなった画伯の遺言通り『特別な遺産』ていうのが見つかったそうで」
「あら、初耳です」
わたしは向かいの席に移動しながら、のぞき窓から御者の浮ついた顔を見る。
心底面白いネタを拾ったと感じてのことか、彼のしもぶくれた顔がゆるみきっている。そんな彼の顔を見て、わたしも思わず口元が緩んでしまう。
「これはまだ新聞にもまだ載っていない話でしてね。文屋の友人が賭け事のカタに教えてくれたんですよ」
「それはご友人も災難ですこと。あなたがお話を広めてしまったら、どこの出版社も取ってくれそうにありませんもの」
「だから、情報が広まるのか先か、友人が記事を仕上げるのが先か競ってるんですね」
悪いお人、とわたしは付け加えながらも気分上々な彼の話に耳を傾ける。
「ハハハッ。それでその遺産、お嬢さんなら何だと思います?」
「さて、何でしょうね?」
「聞いて驚いてはいけませんよ? 第二帝国時代のさる名家が残した財宝だっていうんです」
「まぁ、びっくり」
わたしはうまくもない演技で驚いてみました。
すると、御者は機嫌よく笑うのです。
「驚くなというのが無理なお話です」
「それは同意しますよ。そして、財宝は画伯の仕事場近くの湖から引き上げられまして、関係者は口酸っぱく権利を共和政府に訴えているって話です」
「お気の毒です。その一族もさぞてんてこまいでしょうに」
「それを受け取るはずだった孫娘さんは財宝などには目もくれず、家を出ていったそうですよ。婚約話も家のイザコザで破綻して、踏んだり蹴ったりなお嬢さんですね」
わたしは御者の意見に静かに同意しながら、小窓のむこうに広がる家々を眺める。
「その人、新しい人生を歩むのでしょうね」
「わたしは芸術にはとんと疎いのですが、いや、見目麗しいお嬢様だと耳にします。ショーン・カッケス画伯が愛でた見目麗しい女の子。友人は『あの憂いのある顔はとても惹かれるものがある』と称賛してましてね」
「そう。けど、そのお嬢さんはそんな顔ばかりをしているわけではありませんよ、きっと」
心にはかつてほど暗い影はありません。
今はこの空の様に晴れやかに、前に進んでいる。
「新しいことを始めるんですもの」
そこで話しは終わって、馬車は目的地の前に止まった。
「ヴィンセント通り一二二番地、到着です」
御者がドアを開いて、わたしは舗装の崩れた道に降り立つ。
そして、軽い足取りでこれからお世話になる下宿のノッカーを叩いた。