序
十九世紀晩年から二十世紀にかけてはまさに文明開化だ。
蒸気技術の飛躍的発展は人々の生活に広く浸透し、ここキリエの街並みも近代化が進んでいるように思う。
北海からバルト海へそそぐ運河との繋がりは動乱の時代を経て、傷ついた街並みに徐々に華やかな色合いをつけている。
ぼくも長く居をかまているが、これほどまでに景色が変わっていくのは驚くばかりだ。
そして、劇的な変化に合わせて犯罪をもくろむ輩も気色を変えている。軍隊や警察をも手玉に取って、人々をあざ笑う様な悪党もしばしば。もっともそうした名を挙げようという手合いは、なかなかどうして相手にしていて飽きない物か。
近年は市民の中にそうした変わった才覚を出すものもいるが、世間は人と人の隔てりと摩擦とで事件を起こしてしまう。一昔前には考えられなかったほど、犯罪の性格は気難しくなっている。
それを紐解くのが私立探偵というものさ。
協力するというのなら、儲け話は身の次に考えていてくれたまえ。楽しめないようなら、踵を返して部屋に戻った方がいい。
もっとも物好きなキミなら、このような忠告はいらないかな。
* * *
ショーン・カッケスは共和国でも指折りの画家であった。
その氏が七十歳にして没したことはエウロパの広くに渡り、彼を後援していた貴族にしろ、美術評論家にしても哀悼の意を表していた。
さて、そんな彼には二人の息子。またすでに末娘夫婦は他界しており、その孫娘が一人いる。
カッケス氏が亡くなったおりには、二人の息子が遺産相続について弁護士と話していたそうだ。そこにぽつんと孫娘であるメリーナ・マルケス嬢が相席していたのは不思議な話ではない。
メリーナ嬢は十六歳。カッケス氏の周りの世話やアトリエの掃除、あるいはモデルとしても晩年の画伯の作品に貢献してきた少女である。
その彼女にも弁護士からショーン・カッケス画伯の遺産が渡されるという旨が打ち明けられた。
息子二人にはもちろん正当な相続権があり、財産を二分する話が渡されている。
しかし、メリーナ嬢が受け取る遺産は少し気色が違うらしい。
鬼才の画家が残した特別な遺産。世界にただ一つとない特別な宝物。
それが無垢な少女に渡されると聞けば、息子たちは黙ってはいられない。息子二人のよからぬ噂は本誌でも取り上げてのとおりである。
果たして、『特別な遺産』とは何か?
今後の取材にご期待されたし。
―― 一九二五年 四月一週 スコット・ミラー誌 ――