剣先は語る(2)
店に入ると辺りはわずかに暗い。窓だけではなくカーテンまで下ろしているのだから当然のことだ。それでもまだ早い時間帯だからか隙間を縫うようにして届く光で店内は十分な明るさがある。店の壁にはレプリカと思われる剣と幾つかの盾が飾られている。入り口の正面にはカウンターと思われる長いテーブルがあり、そこで商談がなされるだろうことは容易に想像がつく。
僕は初めて入る武器屋に、しかしながら多少の親近感を覚えていた。やはりゲームの中のそれと似ている点が多いというのはあるのかもしれない。どことなく安心感すらある。リリはリリで、やはり舐めるように視線を店内へ這わせている。彼女にとってこの経験は僕が思うものよりも遥かに貴重なものなのかもしれない。
ヨーイさんがドアの鍵を閉めた。挟まっていたカーテンは少し長めの暖簾のようなもので、その一部が挟まっていたようだ。確かに内側からではわかりにくいように思える。リリが言っていた通りだ。
「いやはや、なぜ盗まれたのか見当もつきません。いつものように店に入ると店内の鍵が開いていました。もしやと思って在庫確認をしてみると数が合わないことがわかり、それで発覚したのです。今日も営業しようとなんとかこちらには来たものの、やはりショックが大きくて……」
「心中お察しします」
疲弊しているヨーイさんを目にすると、なかなかどうして情に訴えかけてくるものを感じる。力のない笑顔ほど人の心に来る表情はないだろう。
僕は少し探偵らしいことをしてみようと思った。行動することで少しでもヨーイさんを元気づけられるのではないかという思い上がりもあったかもしれない。必ず確認するべきでありしかも重要な、しかしありきたりな質問を僕はヨーイさんに投げかけた。
「入り口はこちらだけですか?」
「いえ、裏口もあります」
そう言うと、ヨーイさんは案内してくれる。カウンターの隣に開閉式の扉があり、そこを通ってカウンターの内側へと移動するようだ。僕はすぐに移動しようとしたのだが、忘れ物に気がついて少し振り返る。リリは相変わらずこちらにはあまり関心を示していない。僕は「行くぞ」と促して、腕を軽く引っ張った。彼女は自分の意志で歩き始めはしたが、その意識は壁に飾られた武具に向けられているようだった。
部屋の奥にあるドアを開けると数メートルの短い通路が見える。幅は1メートルよりもう少しあるくらいだろう。そういえば、こちらの世界でもありとあらゆる単位は日本のものと同じだった。しかし言語の不思議の後では気にはならなかった。
「左手に見えるドアが休憩室で、右手に見えるほうが倉庫になります。そして正面のドアが裏口です」
「なるほど」
僕は大して何の思いつきもなかったのだが、とりあえず何かがわかってきているような、そんなそぶりを見せることにした。メモ帳を開いてペンでおおよその店内図を描いては顎の辺りに手を持っていったりもした。僕はヨーイさんの前でそうでもしなければいけないような気がしたのだ。
そして何を尋ねるべきかと焦っていたところ、ここに来てようやくリリが口を開いた。空想という世界からこちらの世界に意識が戻って来たのだろう。
「裏口はどれくらい使うんですか?」
「武器を仕入れるときに裏口を使います。だいたい7日おきに業者が来るので、そのときですね」
ヨーイさんは話し終えると困ったように僕を見ている。さすがに口を開かずにはいられない。
「えっと、何か――?」
「その、こちらの方はどなたになるのでしょうか?」
リリに手が向けられている。今までの印象を考えれば確かな疑問かもしれない。傍若無人とまでは言わないが、自由奔放な性格の持ち主は冷静に問題を解決できる種類の人間ではないと思われて然るべきだ。無論、その場合は『例外』という注釈をそこに付け、『リリ』という名前をそこに記しておくべきだと僕は助言するだろう。残念ながら、彼女の存在なくしておそらくこの問題の解決はあり得ない。僕だけならばこの武器屋に入ることすらままならなかったはずだ。
「こいつは助手のリリです」
「助手の方なのですね。お若いので、つい」
ヨーイさんは納得しているようだった。
その会話の合間にリリは裏口のドアまで歩き、カチャカチャとドアを開けようとしていた。しかし押しても引いても開かないようで、仕舞いには悲しそうにこちらを振り返った。唇を締めながら寂しそうにこちらを見ている。
「開かないです……」
「もちろん普段は鍵を閉めているので開きませんよ。鍵を開けてください」
あまりにも当然すぎる返答に、リリは顔を赤くした。そしてそれを見られないようにするためか、すぐにドアに向き直り、カチッと鍵を開けた。彼女は集中が過ぎると足元のことが見えなくなることがある。あまりにも高い位置に彼女が到達しているため、地上で起こる出来事には気づかないことがあるのだろうと僕は解釈している。
ドアが開かれると外からの光で通路は明るくなる。僕はリリの見ている光景が気になり、彼女の横に立ってその景色を確認した。
店の中と外とで少し段差があるようで、木材が横向きに一つ置かれて階段を成している。昇り降りにはこの階段を使うということだろう。その階段の下に目を向けると、辺りの土にはたくさんの足跡が散らばっている。数が多いためにそれだけでは何も判断ができない。もし侵入が裏口ならば足跡で判断できることもあるのではないかと考えていたが甘かったようだ。
「どうでしょうか? 何かわかりますか?」
「え、ええまあ」
僕は力なく返事をした。
困ったことに何もわからないのだ。今のところ犯人の手がかりになるようなものは何一つ得られていない。そもそも何が盗まれたのかすら知らないのだから、それくらいはヨーイさんに確認してみよう。
「えっと、確認なのですが、盗まれたものを教えてください」
新聞に載っていた可能性も加味して、僕は疑われないような聞き方をした。
しかし、これに答えたのはリリだった。
「とても重い剣――バスタードソード、ですね?」
「ええ、そうです。なぜそれを?」
ヨーイさんが怪訝な顔でリリをうかがっている。僕は状況がよくわからなかったが、とにかく彼女を弁護しようとした。
「えっと、どこかでその話をなされたのでは? それが新聞の記事になっていた、とか」
そうでもなければ彼女が盗品を知っている理由がない。あるいは彼女が犯人だというのならば話は別だが、その可能性はないと断言をしてもいい。
しかし、その弁護が彼女の逃げ道を塞いでしまった。
「いえ、誰にも話した記憶はないのです。記者の方には剣を一つ盗まれたということは話しましたが、盗みなどの軽犯罪は比較的多いようで、しかもたったの一つでは全然記事にならないというようなことを言われてしまって……。彼はその後すぐに出て行ってしまいました。ですので、誰にもそのことは知られていないはずです」
僕は少しだけ焦った。彼女がそのようなことをする人間だとはまったく思っていないが、店主であるヨーイさんが疑いのまなざしを止めない限り、捜査の続行が危ぶまれるどころか、彼女が犯人として仕立て上げられてしまう危険性すらある。今の平穏な日常をここで崩されるのはとてもではないが辞めてもらいたい。非常に身勝手な思いだとわかってはいるが、この状況はどうにかしなければならない。ただ、僕にはなぜ彼女がそう思ったのか、それを知る手がかりすらないのが現状だ。
「簡単なことです。こっちに来てください」
ニコッと笑ってリリはそう言い、裏口へ出た。店主と僕はドアから外を眺めた。
「ここに線があります」
彼女の指差したところには十センチ少々の細長い線がある。
「それがいったい……?」
「これは何か細いものを地面に置いたときにできた線です。足跡と違って少し深いのは、何か重いものを置いたときにできたからです。多少勢いのある状態で置かれたのかもしれません」
「そのこととバスタードソードとはどんな関係があるのですか?」
「細くて重いもの――それはさっきの部屋の中ではバスタードソードが一番該当するのではないかと思いました。重さは大きさから想像しました」
「つまり、重い剣がそこに置かれたからバスタードソードが盗まれたんではないか、ということですな」
なるほど、一理ある。彼女の推理は整然としていて、正しいように思える。ただ、決定的な箇所が抜けている。これではまるで馬のない馬車だ。車を動かすことはできるかもしれないが合理的ではない。下手をすれば邪魔なだけとも言える。
店主は僕と同じことを思ったようで、尋ねる。
「しかし、それが盗まれたときについたものだと言い切れますか? あなたが盗んだのであればいざ知らず、それが断定できるとは思えません。それに業者が置いた可能性もある」
まったくもってその通りなのだ。僕は固唾を飲んでリリの言葉を待った。
「まず、業者が置いた可能性については最も簡単に排除できます。剣というのは売り物ですよね? それを汚れる可能性のある地面にわざわざ置くでしょうか? 私なら置くにしてもこの階段の木の上に置くと思います。それに一本だけしか地面に置かないというのも状況としては変な気がします。一本だけを売りに来たわけではないでしょうから」
言われてみれば確かにその通りだ。僕が業者でもそうはしないだろう。なるほど、相手の立場になって考えてみるとわかることも増えるものなのだ。
しかし、これは前進ではなく、自ら退路を塞いだのと同義だ。前進のためには盗まれたときだとわかる説明が必要になる。
「盗まれたときについたと考えたのは、この線の違いからです」
「線の違い?」
他にも線があるのだろうかと僕は探したが、彼女が指差したのは意外にも先ほどと同じ線だった。
「ここには実は二種類の線があるのです。一つは比較的短くて深い線。もう一つは浅いけど比較的長い線」
深い線から離れるようにして浅い線が続いている。確かによく見ると二種類の線があるようだ。しかし、この線が何の理由になるというのか僕には見当もつかなかった。
「深い線が何かを置いたときにできた線なら、この浅い線はそれを持ち上げるときにできた線だと私は思います。少し引きずるように持ち上げればちょうどこのような線になるはずです。つまり、置いてから引きずって持ち上げたことをこの線は物語っています」
僕の脳裏には、見たこともない剣がその土の上に置かれ、そして持ち上げられる様子が鮮明に映った。彼女の驚異的な推理力の前に、僕は感服するしかなかった。
「浅い線はお店から離れるように続いているので、何か物が店から離れていったことになります。さっきの深い線の話と合わせれば、『重い剣がお店から離れた』ことになる。ではそのようなことをする可能性がある人物は一体誰なのか。この裏口を使用する可能性のある人物を考えると、業者の人はもちろん、店主のヨーイさんにもそれをする理由はありません。であるとすれば残されたのは今回の事件の犯人だけです。つまりこの状況を照らし合わせれば、『重い剣がお店から離れた』ことは、『バスタードソードが盗まれた』ことになると私は思いました」
僕は拍手をしようとすら考えていたが、行動に移せるほどの余裕はなかった。確かにこれまでも彼女の洞察力に驚いたことは何回もあったのだが、これほどまでに優れているものだとは思っていなかった。いや、むしろこういった推察を見せつけられるたび、毎回そのようなことを思っているかもしれない。先のカーテンの件といい、彼女はやはり何か見ている世界が違うように思える。
店主であるヨーイさんもこれには満足したようで、それは彼女が信頼を得るには十分な推理であったことがうかがえた。
こうなってしまえばもう大丈夫だろう。おそらく彼女の知りたいことをヨーイさんは何の抵抗もなく教えてくれるはずだ。彼女が少しばかり傍若無人であったとしても、得た信頼に比べればそれは小さすぎることだ。
「倉庫も見せてください」
リリは自分の推理で驚かせたことに少し満足したのか、嬉しそうに倉庫へ向かった。鼻歌でも歌いそうなほど嬉しげだ。
そして倉庫のドアの前に立つと、今度はドアノブの辺りを眺めて何かを探しているようだった。そうして目当てのものが見つからないのか、唇を弱々しく締め、切なそうに僕のほうを見つめる。
「うぅ……鍵がないです……」
解錠するための摘みがないせいで彼女はドアを開けられないと言うのだ。よほど先ほどの一件が恥ずかしかったと見える。必死にその摘みを探していたのだろう。しかし、彼女はその言動がまた恥をかいていることに気がついていない。
ヨーイさんは困ったような笑顔で言う。
「倉庫には鍵はかかってませんよ」
リリはその一言に顔を真っ赤にすると、なぜか僕を涙目で少し睨んで、その後すぐにドアを開けて倉庫の中に入っていった。まったくなぜそういうところにだけは気がつかないのだろうか。僕には彼女のことは到底理解できないなと思わずにはいられなかった。
そうして僕は少しだけ安堵すると、リリの後を追って倉庫の中に入ることにした。