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午前2時に眠る町

作者: 白春




 ただの思い付きで、衝動的な行動だった。いつもなら考えるだけで絶対に行動に移さないような、そんなもの。

 あてもなく田んぼのあぜ道を歩く。深夜の空気の冷たさは身に染みる。いつもと同じ道なのに、深夜というだけで神聖な気がしてくるから我ながら単純だ。

 田舎だから街灯の数は少ない。けれど今夜は非常に良く晴れていて、月と星の明かりが降り注ぐおかげで怖くなんてないから平気だ。


 何をしてるんだろうな、って歩きながら考えてる。最初からずっと。



 勉強していて、ふと時計を見ると午前1時を回った頃だった。そろそろ寝ようと思ったけれど眠気は全く来なくて。家族は22時にはいつも眠ってしまうから家の中は非常に静かだった。

 自分の息遣いと、時折自分の座っている椅子が軋む音がするくらいだ。ふと、閉め切っていたカーテンを開け、窓の外を見た。窓から見える限り、どの家にも明かりはついていない。寝静まっているようだった。

 ここで何を思ったか、真冬の深夜に窓を全開にした。寒いのは予想できたはずなのに、吹き込む風の冷たさを感じてからなんでこんなバカなことをしているんだろうと思った。眠くはないと思っていたけれど、脳は休息を求めていたのかもしれない。

 冬の風は私の顔をあっという間に冷やし、頬に冬特有の痛みが走った。吐き出す息が白くなって昇っていく。冬の当たり前の光景なのだけれど、魅入ってしまった。私の呼吸が、静けさを汚しているようだと思ったから。

 相変わらず窓を全開にしたまま、凍えるような寒さに体を震わせながら、この静けさの中を歩きたいと、唐突に思った。午前1時過ぎにだ。もうちょっとすれば2時になる。こんな時間に出歩くなんて一度もしたことがない。親にばれたら危ないだろうと強く叱られるだろう。


 でも、まあ、いいか。みんな寝ている。ばれなければ良いのだ。迷いは一瞬だった。

 そうと決まれば、部屋着のスウェットの上にダウンを着て、マフラーを巻いた。手袋と鍵を持って、大きな音をたてないようにゆっくりと扉を開ける。普段は気にならないような扉の軋む音が、嫌に大きく聞こえて怯えた。扉を閉めてから、両親の寝室から音が聞こえないことを確認して、できる限り静かに階段を降りる。とても悪いことをしているような気がして、親にばれないか気が気じゃなかった。この難所も無事通過し、ようやく玄関にたどり着いた。

 履き心地の好いスニーカーを履いて、玄関を開ける。鍵を回す時が一番緊張した。ガチャっと音が出るのが分かっていたから。必要最小限に扉を開け、そこからするりと体を外に出した。冬の空気の突き刺すような痛みに、満足感を覚えたのは初めてだった。




 そこから当てもなく近所を散歩している。

 どの家にも明かりはついておらず、車も通らない。夏にはうるさいカエルの鳴き声も、秋を彩る虫の声もない。ありきたりだけど、まるで世界には私一人なんじゃないかってそんな気分になる。

 自分の足音、衣擦れ、呼吸の音しか聞こえない。

 眠っているのだ、この町は今。私以外のすべてが、眠っているのだ。


 何をしているんだろうなあって考えてる。特に何の目的もないから、どこまでいこうかなあとも。

 深夜に徘徊するなんて、褒められたことじゃないだろう。未成年ならなおさら。ましてや私は女だ。いくらここが善良な田舎町だと言っても、危ないものは危ないのだから。

 そう思いつつも歩き続けていると、小学生のころ良く通っていた駄菓子屋の前まで来ていた。自宅から30分近くのところにあるお店で、もうそんなに経っていたのかと驚く。いつもよりゆっくり歩いているから、おそらく40、50分近くは経っているだろう。

 そろそろ帰らないと、と思って立ち止まる。シャッターの閉まった駄菓子屋をしばらく見つめて、ここに来なくなってからどのくらいなんだろうとぼんやりと考えた。



 ふと月を見上げる。半月だ。月が綺麗ですね、を、愛しています、と正確に受け取れる人は果たしているのだろうか。そんな曖昧な台詞で濁さずに、ちゃんと言えばいいのに。私にその感性は理解できそうにもない。

 でも、本当に月が綺麗だ。綺麗な月だ。綺麗な夜だ。

 いつもの町なのに、どこか知らない遠くの町にいるように思えてくる。

 どこか遠く。そんな場所に行ってみたかった。この体一つで。

 行こうと思えばどこにでも行ける。電車で切符を買って、行先も確認せずに飛び乗れば良いのだ。現代社会はとても便利に出来ていて、大抵どこにでもすぐに行けてしまう。

 ただ、私は思うだけだ。遠くに行きたいなって。実際に遠くに行きたいわけじゃない。私という人間をすべて捨て去ってしまえたら、と思うだけだ。

 嫌いじゃない。私は私が嫌いじゃない。私は私が好きだ。けれどそういうのとは違って、そんな願望がたまに顔を出してくる。誰もが持っているんじゃないだろうか。遠くに行けたならって。

 でも、誰もそれをしない。だって遠くに行ったってどうやって生活していったらいいの?何も持たない自分に何が出来るって?分かってるのだ。どこか遠くに、この体一つで行けたなら、なんてことがただの夢物語なんだって。


 私にはここが精いっぱいだ。この駄菓子屋に来るので精いっぱい。

 それにしても美しい夜だ。邪魔する光がないから、月も星も輝いて見える。


 そういえば、小学生の頃にも夜の美しさに感動した気がする。初めて流星群を見たときだ。本当に星が流れてはあっという間に消えていき、願い事を3回唱えるなんて無理に決まってるでしょ、と母に文句を言ったのを覚えている。でも、そんなことがすぐにどうでも良くなってひたすらに魅入ってしまうくらい美しい夜だった。

 私、何にも変わってないんだなあ。このまま、ことあるごとに夜の美しさに魅入られるのだとしたら、と考えると可笑しくなって月を見上げながら笑ってしまった。


 首も痛くなってきた頃、ようやく顔をそっと戻して、来た道を戻った。








 自分の部屋に帰るとすぐに暖房をつけた。手袋をしていても指先が冷え切ってしまっている。

 オイルヒーターに手をかざしながら、机の上の時計を確認した。4時か。2時間近く散歩していたのかと少しだけ驚いた。もっと短いような、長いようなそんな気がしている。不思議な感覚だった。

 幸い、私の深夜徘徊は親にばれなかったようだ。ぐっすり眠っているようで何よりだ。

 だんだん温かくなっていくオイルヒーターのおかげで、指先の血流が一気に巡り始めてむずむずする。

 椅子に座って暖を取っていると、いかに体が冷えていたのか良く分かる。もう少し温まってからベッドに行って寝ようと思った。




 ぶろろろろろ…と遠くで音が聞こえる。はっと目を覚ますと、時計は5時を指していた。どうやら椅子に座ったままうたた寝していたようだ。

 今の音は車の音だろう。起き始めた人がいる。この町も目覚め始めたのだ。カーテンを開けると、まだまだ空は暗いが、ぽつぽつと明かりの灯る家が見られる。徐々に起きてきている。だとすれば今の音はこの町の欠伸かもしれない。

 そう思うと途端に車の音が可愛らしく思えてきた。



 さて、そろそろ町が起き始める頃のようだし、逆に私は眠りにつくとしようかな。

 親には深夜まで勉強していたと言えばいい、嘘じゃないのだから。

 ベッドに入って眠気にあらがわずに身を任せる。



 次目覚めたら、全くいつも通りの町が戻ってきているのだろう。

 夢うつつになりながら、ぶううん、と家の前の道を車が通る音を聞いた。







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