宝石の輝きについて
「クラリスさん、検温を……」
204号室に入院している患者の元へ向かい、もう起きているだろうか、なんて考えながらノックから扉を開ければ驚きで足が止まる。
キラキラと朝日を受けて光り輝いているのは、この病室の人物ではなく、この病室の人物を囲む宝石だった。
まず最初に浮かんだ言葉が「何だこれ」で、如何に自分が奇病に対する免疫がないのかが分かる。
手に持っていた体温計が音を立てて落ち、ハッと我に返れば小さな笑い声。
ふふっ、といった上品な笑い声を漏らしたのは、当然この病室に入院中の人物で「おはようございます」なんて、のんきな挨拶までされた。
「えっと、お早う御座います」
体温計を拾い上げながら挨拶をすれば、小さく顎を引くように頷かれる。
この病室に入院中のクラリスさんは、病院内でも皆のお姉さん的存在で、その奇病はなかなかに特異的で驚くものだ。
「寝てただけ、ですよね?」
「えぇ。さっき起きたんです」
にこっ、と効果音の付きそうな笑顔を浮かべるクラリスさん。
クラリスさんの奇病は体内から分泌されるもの全てが、宝石に変わるもの。
だからこの場にある宝石も全て、彼女の体内から分泌された何かがそうなった結果だ。
ベッドの下にまで落ちている宝石を避けながら、体温計をクラリスさんに手渡す。
素直にそれを受け取ったクラリスさんは、体温計のスイッチを入れて脇の間に挟んだ。
サラリとなびく寝癖のついていない金髪を見ながら、気になっていたこの状態について聞いてみる。
一体何が宝石に変わったのか。
すると、クラリスさんは小さく笑いながら「寝汗はどんな人でもかきますよね」と言う。
これが寝汗、と眉を寄せて一つだけ宝石を拾い上げる。
大きさも色もバラバラのそれが、どうやって出てくるのか。
そもそもどんな風に体内で構成されるのか。
グルグルと回るようにそんなことを考えていると、まるで奇病大好き気狂い病院長になった気分だ。
そう思った瞬間に嫌悪感に似た何かが湧いたので、そっと宝石を元あった場所に戻す。
「少し持って行っても良いんですよ?どうせ、院長先生の研究材料になるだけですから」
「持って行ってどうしろって言うんですか」
「本物の宝石ですから、売れますよ」
「……しがない看護師がそんな物売りに行ったら、色々と怪しまれて警察を呼ばれるのがオチだと思いますけどね」
人のいい綺麗な笑顔を浮かべたまま、本気とも冗談ともつかないようなことを言うクラリスさんに、私は静かに眉を寄せて言う。
丁度言い終わったところで体温計が鳴ったので、受け取ってそこに表示されている数字をカルテに記入する。
宝石の物質に関しては興味はないのだけれど、きっとそこまで病院長は調べたのだろう。
実にご苦労なことだ。
医者なのか科学者なのか錬金術師なのか、ここだけ聞いたら微妙なところだけれど。
「先生は欲がないんですね」
体温計をケースに戻して、白衣のポケットに入れているとそんな言葉がかけられて、私はポケットに手を入れたままの体勢で顔を上げる。
そこには変わらずにクラリスさんの笑顔があった。
ここの人達はよく笑う人が多い。
それか表情を変えない人とか。
クラリスさんが何を言いたいのか分からなかった私は、そのまま続く言葉を待った。
朝日に照らされて光る宝石達のせいで目が痛い。
キラキラチカチカ、と私達には価値があるんだと騒ぎ立てているようだ。
正直宝石とかアクセサリー関係に魅力を感じたことのない私には、それがどんな価値があるかなんてどうでも良かったりする。
「いや、怪しまれるのは嫌でしょう」
「そうじゃなくて」
私の反論に対して軽く首を振るクラリスさん。
その深い海と空の色が混ざったような青い瞳は、水面のように私を映していた。
欲のない人間なんていないと思うのだが。
私にだってそれなりにある。
美味しいものが食べたいとか、好きなだけ寝ていたいとか、普通に人間にはよくある欲で願い。
だが、クラリスさんはそうではないと言うように、綺麗な笑顔から苦笑に変える。
形のいい眉を下げて笑うクラリスさんは、実年齢よりも幼く見えた。
「奇病に対する嫌悪感を見せないし、普通こんなの見たら一つくらいって思いますよ」
「……はぁ」
自嘲気味に言うクラリスさんに、私は緩くそして良く分からないと言うように頷いた。
少しだけ言葉が乱暴になったような気がして、この人もこの人で自分の奇病を嫌悪しているんだと感じる。
見た目に変化のないクラリスさん。
だけれど、その体内から分泌される物は人と違う。
そのことで好奇の目に晒されたことだろう。
特にこの手の奇病は利用されることもあったのだろう。
それは全て私と出会う前の話であって、私が一切関与していない話だ。
「いや、その、ぶっちゃけどうでもいいですね。変わってると思うならそう思って頂いて良いですし。人並みに欲くらいありますけど、でも一時的な衝動や欲望でその先を潰す必要なんてありませんから」
カルテを小脇に抱えながら言えば、クラリスさんは特徴的な青い目を見開く。
この人の容姿はとても整っている。
きっと奇病がなければもっと煌びやかな世界にいられたような気がした。
本人がそれを望んでいるかなんて、私には分からないし理解出来るとも思わない。
ただ分かるのは、ここの入院患者は皆上辺だけを取り繕って、平気なふりをしているってこと。
それじゃあ、と言いながら身を翻す。
遅れて白衣の裾が揺れる。
「私も無欲だったら良かった」なんて声が聞こえたけれど、私は何か硬いものが床に落ちる音を聞きながら病室から出た。
人間は皆欲があって当然なのに、なんて言えるわけもない。
人の欲を得て宝石は輝く、なんて。