その手をとるまで
「セルマ・エクダル……!」
テディは驚いていた。彼のみならず、オルヴァーもまた突然のこの発言にとても驚いているようだった。
「どうしてそれをばらすんだ!」
「どのみちばれたことだわ。私はもうここにはいられないもの」
ビア語でそう返すと、セルマはテディに一歩近づいた。彼は何かに納得し、しかし何かに疑問を持ったようだった。
「死んだはずの人間がどうしてここに?」
「死んだはず?」
その口から出てきた予想外の言葉に、セルマはうろたえてしまう。
しかし不思議なことに、すんなりと納得できる自分もいた。あの部下の行動は、きっと上層部もグルだったのだ。否、彼はもしかすると、セルマを抹消するために自分の隊に所属されたのかもしれなかった。
「どうやって死んだことになっていました?」
間抜けな質問だとは分かっていた。それでも聞かずにはいられないのだ。その答えによっては、これからの身の振り方が変わってくる。
そんな質問に、テディはいぶかしげな表情をしながらも答えてくれた。
「国境沿いの戦いにて命を落とした……と。そして彼女は最後まで勇敢に戦い、散って行った」
どうやらセルマは英雄として死んだことになっているようだ。ラクテアとしては、セルマがビア王国との同盟に一役買っているので、彼女の名誉を落とすことはしたくなかったのだろう。
そうなればひとまず安心だ。もし上層部の人間がセルマの死体を探そうと思っても、大半の人間はセルマを探す理由がない。セルマが生きていて国を裏切った、そういうシナリオであれば、セルマは非常に生きにくいことになっていた。それに比べれば、彼らの用意したシナリオはずいぶんとセルマにやさしい。
「それは今日の新聞?」
「国境で広まった噂を拾った商人が、町中に触れ回っていた。ただ、どうもラクテアのほうでは政府が公式に発表しているようだが」
新聞でないのなら、この噂の伝達速度も理解ができる。それに、戦争が小休止している今が最もいい時期でもある。セルマが知らなかっただけで、ラクテア軍の上層部は全員敵だったのだろう。彼らはこの時期にあえてセルマに国境沿いに行かせ、そしてセルマの部下ブルーノ・バーリフェルトに始末を命じたに違いない。国境沿いの事件ならば、不自然なく両国にその”事実”を触れ回ることができる。
ラクテア軍でセルマを崇拝してくれていた下層部の人間たちは、きっとセルマの名誉のために本当の死因は墓場まで持っていくに違いない。公然の秘密として、溺死であるということをほかの兵士たちは知っているはずだ。
「セルマ……大丈夫?」
オルヴァーの気遣わしげな声に、セルマは顔をあげた。そう問いかけられてみると、自分が案外平気であることに気が付いた。死んだことにされていたことが全く気にならないといえば嘘になるが、少なくともこの計画がブルーノの独断でなかったと分かっただけでも良かった。
「大丈夫。大丈夫よ。軍の上層部が厄介払いしただけ。もしかすると殺されなかったのも、ブルーノのやさしさかもしれない」
ここまで来て彼を信じようとするのはばかげているが、それでもそう期待したいのは、彼とともに戦った日々がすべて虚飾――ひょっとすると憎悪も――に満ちていたと受け止めたくないからだろうか。
「どうして上層部が絡んでいると?」
「もし上層部が絡んでいないのならば、私は行方不明になっているはず。そして、ラクテア軍が私の捜索をするにきまってるわ。私を今回の戦争の旗印として掲げてきたのだもの」
「ブルーノというのは、セルマを川に突き落とした張本人?」
「そう。まあ、やさしさなのか、単純に私に勝てる自信がなかっただけなのか。泳げない私を川に突き落とすという案は、とても効果的だったと思う。もし真正面から戦えば、あの一帯の森は全焼していた可能性がある」
感情の揺れ幅が大きければ、魔術の構築ももちろん乱れる。そうなれば魔力量もコントロールしにくく、暴発の危険性は極大まで高まる。
「ちょっと待て。君は本当にあの、セルマ・エクダルなのか?」
一応ビア語を使っていたのだが、やはりテディにはまだ信じがたいことのようだった。
「本当よ。ブルーノに、部下に裏切られて川に落ちて……気が付いたら国境を越えてビア王国のこの町に流れ着いていたの」
セルマはそういうと無造作にシャツの袖をまくりあげた。そこにある無数の傷を見て、テディは小さく息をのんだ。
「研究を手伝うことになったのは、たまたま手を差し伸べてくれたオルヴァーの家に滞在しているからなの。彼のお母様に頼まれてね」
「ラクテアに帰りたいとは思わなかった?」
「そうね……私はどこにいっても居場所がないの。みんな私が嫌いなの。私の強大すぎる魔力は、ただ人を傷つけるだけなのよ」
自嘲気味にいうと、テディは納得してくれたようだった。そして彼は先ほどよりは少し柔らかい声音で質問を重ねてくる。
「なぜ君は、ビア語をこんなに話せるんだ? もっと下手だったら、最初からラクテア人だと推察できたのに」
「それは、魔術構築において、複数言語を混ぜて使用したほうがいいから――」
そこまで言って、はたとあることに気付いた。
この話はたしかオルヴァーにもしたはずだ。彼はその言葉を受けて、今回新しい魔術構築をしたと言った。しかしこれは冷静に考えればおかしい。彼にはきちんと話したはずだ。セルマの魔術公式はあえて無駄を作っている。無駄に大きな魔力を消費して、できるだけ小さい結果を生み出しているのだ。
「オルヴァー」
意識的にベルシュ語に切り替える。
「彼はベルシュ語は?」
「単語は拾えるかもしれません。概要はわからないはずです。特にこの速度では」
ふと、彼はベルシュ語では敬語になるのだと気付いた。
「私はただのきっかけだったのね。確かにアイデアはあげて、あなたは満足する形に整えた。でも、本当はあれはほかの人間でも成功した。今まで失敗してきたのは、すべて魔術公式をあえて不完全にしていたんでしょう? あなただけは、この研究の終点にずっと立っていたんだわ」
テディが聞き取れないようにできるだけ早口でまくしたてる。すると、オルヴァーはかなわないねとだけつぶやいて首を縦に振った。
「あなたは、世紀の嘘つきになるつもりなのね? あなたの研究を、軍の兵器として利用されないように」
これが、セルマの出した結論だ。
彼はすでに魔石精製法にたどり着いていた。しかしそれにはひとつ大きな問題があった。魔石に閉じ込めた魔力をそのまま放出すると、セルマのような人間が作った魔石は、兵器となりうる強大なパワーを持つ。そうなれば、当然兵器を作らざるを得なくなるだろう。だが、もしその理論を少し捻じ曲げて発表すればどうなるか。成功をおさめ結果を見せている研究ならば、きっとみなそれを信じるはずだ。
それにこの時代、魔術に二か国語を混ぜて扱える人間はほとんどいない。つまりオルヴァーの理論はしばらくは信用される。のちに間違いが発見されても、それはきっと戦争が終わったころ。
つまり彼の発明は、兵器にはパワーが足りないが、有用なものとして扱われるだろう。彼の思惑通りに。
「その通り。僕は世紀の大詐欺師になる。僕の嘘は、この先、この分野の研究を五十年遅らせるだろうね」
彼はビア語でそう宣言した。その言葉に、隣にいたテディが意味の分からないという表情をしている。
しかし彼に聞かせたのは、オルヴァーが彼を信頼している証なのだ。
「複数言語混ぜて使えば、魔術の起動に無駄に膨大な魔力を必要とするんだ。でもテディは黙っていてくれるだろ? 僕の理想に賛同してくれてたよね」
オルヴァーは声を潜めてそう言った。テディはしばらく考えて、そしてどうやら事態を理解したようだ。彼は小さく悪態をつき、そしてセットされた髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。
「お前はすでに詐欺師じゃないか! だましてたんだな!」
「ごめん。でも、どうしても引き伸ばしたかった」
「つまり、俺は君に感謝しなきゃいけないわけだ。君が現れなければ、終戦までこの研究は完成しなかっただろうから!」
彼はもう一度髪をかき乱して、しかしふっきれたように笑い出した。
「かなわないよ。お前は見事に共犯者にしたわけだ。俺も、彼女も」
「そうだね。僕たちは詐欺集団だ。でも誰も裏切らない。違うかい?」
「いいや。違わないな。……酒を飲みなおしてくる。ルルーのことは、俺はなにもしらない。そして、セルマ・エクダルは死んだ。それが俺にとっての事実だ」
テディはそういうと、大股で歩いていき、建物の中に入っていった。
彼の言葉を反芻する。つまり、彼はセルマを信用するということだろうか。
それを見送っていた二人は、同時に顔を見合わせた。
「少し、歩かない?」
「ええ」
二人は無言で歩き、研究所の外に出た。道を歩いていると、ふと遠くの星が目に入る。
足を止めて空を仰げば星が輝いていた。今日は月は姿を隠しているようだ。
「ビア=ラクテア」
斜め前を歩いていたオルヴァーが振り返った。
「え?」
「星降る日、という意味がその由来だって知ってるだるう?」
「ああ、そうね」
言われてみれば、今日は星が降ってきそうなくらいに明るく輝いている。その集まりはまるで川のような模様を描き、空を華やがせているのだ。
「彼は黙っていてくれる。セルマは死んだ。それならば、君がここにいたって、誰にも迷惑にならないんだよ」
「でも……」
ためらうセルマだったが、どんどんと彼に引っ張られていることに気付いていた。
「一緒に、嘘をついてくれないか?」
オルヴァーはセルマの顔を真正面から見て、そして手を差し出してきた。
「僕はこの国に、この国の未来に嘘をつく。君は、君の国と、その過去に嘘をついてくれたらいい。そうすれば僕たちは一緒に大詐欺師になれる」
そしてセルマは、のばされたその手を取った。
「待って! お父さんの口説き文句はそれなの? 一緒に嘘をついてほしいって!」
信じられない、そんな口調で言ったのは、自分と同じ黒髪を持ち、彼と同じ緑色の瞳を持つ自分の娘だ。
十二になった彼女にせがまれて、自分と夫のなれそめを語ったのだが、どうやら納得がいかないらしい。
「口説き文句だったのかしら? ちゃんと告白されたのは、もっと後よ」
「どういうこと? 今の流れで、付き合うまでにまだ時間がかかってたの?」
「そうね、二年ぐらい? 」
「二年! お父さんのヘタレ!」
研究所にいるオルヴァーがこれを聞いたら、きっと困った顔をするに違いない。
「お母さんも、ふつう気づくでしょう! どう考えても好かれてるじゃない!」
「そうはいってもねえ……。まあ、その話はいいの。それよりも、お父さんがついた”嘘”のほうが大切よ」
「わかってる。私は黙ってればいいんでしょう? 複数の言語を混ぜて魔術構築するのは非効率だって」
「そのとおりよ。うっかり使わないでね」
「私はお母さんと違って、三つも”うっかり”使えたりしないわ」
細かい言葉をきっちり拾って返してくる。
誰に似たのか、気の強い娘である。
「ねえ、アスタ」
「なあに?」
「あなたは、やりたいことをやりなさい。私は、必要に応じて、その役割を全うしてきた。でもあなたにはオルヴァーのように、やりたいことを見つけて、それを成し遂げてほしい。世間はアッペルグレーンの娘に期待するでしょうけれど、適性があるからやらなければいけないわけではないわ」
十二歳の娘は、父親にそっくりな目でこちらをじっと見つめてきた。
「やりたいこと、かあ」
「まだ、なければ探せばいいわ」
「しいていうなら、ブルーノっていう人に会ってみたいかな」
「え?」
予想外のことを言われて、セルマは動揺した。
「できればその人が今、不幸であればいいのに!」
「アスタ。やめなさい。人の不幸を祈るなんて!」
ぎょっとすることを口にする娘をたしなめれば、彼女は不満そうに口をとがらせた。
「そりゃ、その人のおかげで私は生まれたけど……なんだか悔しいじゃない」
「そうねえ……もし、もしよ、あなたが私の代わりに復讐してくれるのなら、こう言いなさい」
復讐という単語に、アスタは好奇心とかすかな戸惑いに揺れる瞳でこちらを見つめていた。
そんな娘に、セルマは穏やかな笑顔で言った。
「私は今、あなたのおかげで幸せよ……ってね」




