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炎の華  作者: 如月あい
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離れがたいぬくもり

「まあ! どこから浚ってきたの! こんなべっぴんさん!」

 オルヴァーの家に着いた時、セルマは少なからず緊張していた。自分はラクテアの軍人で、しかも不自然なほど全身濡れているし、よくみれば体中傷だらけである。

 どこからどうみても不審な人物であるセルマを見て、オルヴァーの両親がどう反応するかが怖かったのだ。

 しかし、彼の母から発せられた言葉は、あまりにも予想外だった。

「浚ってない! 彼女の意思で来たんだってば」

「でもどうしてそんな状態なの?」

「川に落ちたんだって。国境沿いから来たって言ってたよ」

 上手い言い回しだと思った。彼は意図的にこういう言い方を使っているのだ。川に落ちたのも事実で、国境沿いから来たのも事実だ。ただしビア国内ではないが。

「まあ、大変ね。とにかくこれで体をふいて、お湯を沸かすわ」

 右手で持っていた上着を左腕にかけ、差し出されたタオルを受け取った。

「ありがとうございます」

 おそるおそるビア語でそう言ってみると、いいのよと言って、バタバタとどこかに行ってしまった。どうやら方言、といって許される訛りの範疇のようだ。

「ここでは、国境沿いの小さな町から来たってことに」

 彼女が立ち去ると、オルヴァーはこそりと耳打ちしてきた。確かにその案が一番いいだろう。

「こっちに」

 居間に連れて行かれたが、この濡れた状態でソファに座るわけもいかない。この気の良い青年は構わないと言うだろうが、それは申し訳なかった。

「あれは?」

 窓に近付いて、外を見つめる。窓の外にあった見知らぬ花を指して、問いかけた。するとオルヴァーもまた窓に近づき、同じように外を見つめた。

「ああ、サクラソウだね」

「サクラソウ……」

 花の知識など無いに等しいセルマは、そう言われてもそれがラクテアにもあるものかすら分からなかった。

「綺麗」

「母が喜ぶ。母が育ててるんだ」

「あれは、観賞用?」

「そうだね」

 観賞用に花を育てられることといい、この家の大きさといい、比較的裕福な家だということが分かる。

 戦争中の今、国中が疲弊していて、心にゆとりを持てない人が多くいるのだ。

「研究用でもあるけど」

「そうなの?」

「じゃないと、今、花を育てるなんて呑気なことできないよ」

 さきほどの仮定をあっさりと覆されて、セルマは何故か安心した。

 この安心感がどこから来るものなのかさっぱり分からなかったが、あまりに裕福な人物に関わるのは経験上よくないと知っているからだろうと自分を納得させる。

「あ、そういえば」

「なに?」

「べっぴんさん、ってどういう意味?」

 さきほど彼の母親が口にしたビア語だが、意味がとれずに反応に困ったのだ。

「ああ、美人って意味だよ」

「美人? そうか、社交辞令だったのね」

 反射的にラクテア語でつぶやき、それがマイナスの意味でないことに胸をなでおろした。笑顔で言っていたから、マイナスの意味ではないだろうと思っていたけれど、自分はラクテア人だ。今は黙っているが、もしバレたら、どう思われるか分からない。

 ラクテアでは、ビアと同盟を結んでおきながらも、知らぬが故にどことなく奇怪な

 噂が飛び交っていて、ビア人と積極的に仲良くなりたいという人は少なかった。

 それに、五十を越えて生きている人間は、ビア王国と戦争していた時代を知っていて、ビア人に嫌悪感を抱く人も少なくはない。

 政治上のトップが和解しても、人々の偏見はなくならぬし、人々のわだかまりが解消されても、政治的な意味での、国同士のわだかまりが解消されるとは限らない。

「不安?」

「少し。私はこの国でもまた、招かれざる者」

 いつでもそうだった。

 風に揺れるサクラソウを見つめながら、セルマは考える。

 はじめは両親にとって、次は軍にとって、そして今度はビア王国という異国の地において、セルマは異分子、イレギュラーで、誰もその存在を望んではくれない。

「この国で、歓迎される保証は確かにできない」

「え?」

「でもね」

 ひどく優しい眼差しだった。どうしてこんな風に扱ってくれるのか、まったく検討もつかなかった。

「僕は君に興味がある。君が望むなら、いや、望まなくとも、僕は君にここにいてほしい」

 それは心地よい言葉だった。彼は誠実にそう言っているし、信じてもよいと思えるものだった。

 しかしながら、そうやって信じた部下が、セルマを冷たい川へと突き落としたのだ。打ち所が悪ければ死んでいたはずで、彼はもしかするとそれを望んでいたのかもしれない。

「私は……」

 どう言えばいいのか、そう考えていると、オルヴァーの母が部屋に入ってきた。

「お風呂、準備できたわよ」

「ありがとうございます」

「これ、使ってね」

「ご迷惑をおかけしてすみません」

 渡されたのはタオルと、服一式だった。おそらく彼女のものを貸してくれているのだろう。彼女もセルマと同じくらい小柄だったが、胸はとても豊かな女性だった。しかしそこの布が多少余ったところで、問題なく服は着れる。

「いいのよ。ほら、こっちにきて。えっと、お名前は……?」

「ルルーだよ」

 間髪入れずにオルヴァーが言った。それは奇跡的にセルマの幼い時の呼ばれ方と一致している。

「ルルーっていうの? かわいい名前ね」

「あの、お名前は?」

「私はアグネッタよ。じゃあ、案内するわね」

「ごゆっくり」

 彼女に連れられて部屋を出ようとすると、彼が穏やかにと微笑んでそう言った。セルマはそれに礼を言うと、そのまま部屋をでる。

 ビア王国の一般的な浴室は知らないが、案内され、一通り説明を受けたところ、ラクテアと変わらないことに気が付いた。物理的な距離が近いから、やはり文化も似通うのだろうか。

「じゃあ、ゆっくりしてね」

「ありがとうございます、アグネッタさん」

 礼をいい、もう一度ぐるりとあたりを見回すと、部屋にあった鏡の中に自分が写り込んでいた。

「うわ……」

 そこにいたのは、ずいぶんと汚い自分の姿だった。髪は拭いていたので水気はずいぶんなくなっていたが、まだところどころ葉がくっついているし、顔には髪や泥が張り付いていて、ずいぶんと肌が黒くなっていた。上着を脱いでいるので白いシャツが透けて、傷だらけの腕が目に付くし、丈夫なはずの軍服のズボンはところどころ破けている。

 ここでセルマはアグネッタの寛容さに感謝し、感心した。

 息子がこんな状態の見知らぬ女を連れてきて、当然のようにお風呂を準備して服まで貸してくれるなんて、天使のように心の広い人物である。自分が母親だったら許容できるか疑問だ。

 そうして泥を落とすためにいつもよりは丁寧に体を洗って入浴し、上がって体をふきながら鏡を見る。細かい傷が無数に残っているし、あざはかなり大きいものもあるが、奇跡的に大きな傷はなさそうである。もしかすると無意識のうちに何か魔術を構築したのかもしれない。

 そして自分の顔を見て、元の肌の色にもどっていることに安堵した。顔の造作は変わっていないはずだが、清潔感は抜群に上がったはずだ。顔にも細かい傷は残っているが、思ったより目立たない。

 アグネッタが貸してくれた服も、胸元が少し気になるが、着方に気を付ければさして問題はない。

 髪の水気を極力ふき、だいたい乾いたところで、いつものように結い上げようとして、結うためのひもがないことに気付いた。セルマはしばし悩んだが、てぐしできれいに整えて右肩にすべて流すことで体裁を整えることにした。黒く癖のない髪は、多少の湿り気を帯びていて、思っていたよりはきれいにまとまってくれた。軍に所属してからはまず下ろすことのなかったので、多少の抵抗感はあったが、ないものは仕方がない。






「あら、思っていた以上にべっぴんさんだわ、これは」

 身支度を整えて居間に戻ると、アグネッタとオルヴァーが二人そろってこちらを見た。アグネッタはソファに座ったまま目を丸くしてそう言い、オルヴァーはなぜかソファから立ち上がった。

「お風呂も服もありがとうございます」

「来ていた服はどうしたの?」

「あ、ここに持ってます。でももう着れないので、後で処分します」

 自分で言って、自分で驚いた。

 セルマはこんなにも簡単に軍人であることをやめられるのだ。だからこそ、簡単に軍服を捨ててもいいと思えるのだろう。階級章だけは身元証明になってしまうので、既に別にして持っていた。

「それならいいわ、洗うなら一緒にと思ったんだけどね」

 アグネッタは愛想よくそういうと、いまだに立ったまま固まっているオルヴァーを見上げて当然の疑問を口にした。

「それで、私の息子はどうして棒立ちなのかしら? 何か気の利いた言葉はかけられないの?」

「あ、その……そっち側に座って。立ったままだとつらいよ」

 どうしようか悩んで視線を動かすと、アグネッタもまた大きくうなずいていた。その反応を見て、セルマはゆっくりとソファに腰掛ける。

「気の利いた言葉としては五十点。でもまあ、私も忘れていたことだから、それでよしとしましょう」

 アグネッタが求めていた回答が何かはわからないが、オルヴァーはその言葉を聞いてとても安心したようだった。そして彼はようやく自分だけが立っていることに気付いたかのように、きょろきょろとあたりを見回して、すとんとソファに腰を下ろす。真向かいに座った彼と目があい、二人は数秒間なぜか視線をそらすことができなかった。しかし、それが妙に恥ずかしくなってきたセルマは、どうにか視線を外した。

「あらまあ」

 するとアグネッタは二人の顔を交互に見て、なぜかとてもうれしそうに微笑んだ。

「ねえ、ルルーはこれからどうするの? 国境付近から来たといっていたけれど、川に落ちたのは旅の途中で?」

 きらきらと目を輝かせてそう尋ねられて、セルマは慎重に言葉を選ぶ。

「はい。住んでいたところが、その、戦地になりましたので、もう少し穏やかなところに行こうと思って。そうしたらドジをして川に落ちてしまったんです」

 住んでいた町が戦地になったのは、ずいぶんと昔のことだ。しかし嘘ではないことを積み上げながら、ほんの少しだけ脚色を加えるだけで、相手はいろいろと勝手に補ってくれるものだ。

「そうなの。じゃあ、特に住む場所を決めているわけではないのね?」

「そ、そうですね」

 どうして彼女はこんなに楽しそうなのだろうか。

 そう疑問に思いながらもセルマは、彼女の勢いに負けてうなずく。すると、アグネッタの横で座っていたオルヴァーが、何かに気付いたように小さく声を上げた。

「どうしたの?」

「母さん。実は彼女は、人よりも強い魔力を持っていて、その制御に悩まされているらしいんだ。もし彼女がよければ、僕の研究を手伝ってもらいたいんだけど……」

 意図的なのか、彼はかなりはやいビア語で一気にそう捲し立てた。一瞬おいてその内容を理解したセルマは、彼がアグネッタに何を言わせたいのかを悟った。

 それをどうにか止めようとして、しかしそれよりも先にアグネッタが言う。

「あら、そうなの? それなら、家にいなさいよ。オルヴァーの研究を手伝ってもらうかわりに、衣食住は保障するわ」

「ですが……」

「遠慮なんていらないわ。むしろ私がお願いしたいの。ね、いいでしょう?」

 この状況に持ち込んだオルヴァーも相当のやり手だが、その母親のアグネッタも巧みだった。こうやってお願いされれば、すでにお世話になった身としては断りにくい。オルヴァーにはまだ、どうにか理由をつけて逃げることができたが、きっと彼女には何を言っても敵わないだろう。

 彼女はとても気さくで人が良く、広い心の持ち主なのだ。それはこの短い時間だけでも十分に分かっていた。

「……わかりました。ですが、もし私が研究のお役に立てなければ、その時は、違う仕事を探します」

 これでは何の解決にもなっていない。

 そうわかっていながらも、セルマは無条件に差し出された救いの手を振り払うことができないのだ。

「ありがとう!」

 ふわりと花の香りが鼻をくすぐり、やわらかく暖かいものがセルマの体を包み込んだ。

「母さん。せ、ルルーが固まってるよ」

「ごめんなさい。でも、うれしくって……って、え?」

 抱き着いてはしゃいでいたアグネッタは、なぜかとても驚いた表情になった。そのとなりにいるオルヴァーもまた、驚いて何も言えないようだった。

「どうして泣いているの?」

「泣いて、あ……」

 自分が泣いていることに気付くと、言い知れぬ感情が湧き上がってきて、胸を満たしていく。せりあがるこの思いがなんなのか、セルマにはよくわかっていなかった。

「すみません。母を思い出してしまって」

 しかし、原因はアグネッタに抱きしめられたことだ。

 セルマは唐突に気付いてしまったのだ。これがかつて、自分が母に求めたものだったのだと。そして、それはついにかなうことはなかったのだと。

「お母さん?」

「もう、いないんですけど……」

 説明しようとして、この言い方では誤解を招くことに気が付いた。母親はおそらく生きてはいるが、彼女は永久にセルマの人生から逃げることに決めたのだ。

 しかしそれを説明しようとすると、うまく声が出せなかった。嗚咽ばかりがもれて、涙があふれてくる。

「いいの。話さなくていいわ。ごめんなさい」

 アグネッタは話し続けようとするセルマを止めて、もう一度優しく抱きしめた。

 結局、のばされた手にすがってしまったことに気が付いていたが、もう引き返せないと自分でもわかっていた。

 二人の暖かい思いに触れてしまっては、たとえ未来にこれが豹変することがあろうとも、今の自分は離れることはできないのだと悟っていたからだ。


 セルマはしばらくの間泣き続けた。

 物心ついてから泣いたのは、これが初めてだった。









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