【06.影】
~♪…………♪~
鼻歌が響いていた。
空に浮かぶ月が、長身で細身のその男の影を静かに映し出している。
廃ビルの一室。
散乱した机と椅子。
割れた窓ガラス。
その廃ビルという名に相応しい部屋の中に、男はいた。
唯一倒れなかったであろう机に腰掛け、その長い足を惜しげなく組み、鼻歌を歌う男が。
男の手はリズムを刻むように自身の膝をトントンと叩く。
部屋の中でも月明かりが届かない所にいる為、その顔を見ることは出来ないが、声を聞く限りはまだ若い男だ。
20歳を過ぎているかいないかといった所だろうか。
黒いスーツ姿だがよっぼど暑いのか首元のボタンを外している。
けれど着崩しているというほど崩れてはいなく、陽光の下で見ればやり手の営業マンのように見えることだろう。
しかしその格好でこんな時間にこんな場所にいることがかなりミスマッチである為、言い知れぬ違和感を覚える。
そして突然男の鼻歌が止まる――。
息を潜めるようにビルの外を窺い――、廃ビルに入ってくる一行を見て男の口角が少し上がった。
「――見つけた…由姫」
男が呟くと同時に男の周りを風が渦巻く。
男の興奮を代弁するかのように…。
緩やかに、けれど力強い風が砂埃を舞い上げる。
その常人なら気づくはずのない微かな音に、由姫がゆっくりと視線を男のいる部屋へと向ける。
数秒の睨み合い――といっても由姫にその気はないけれど――の間に、男の心が静まったのか男の周りを渦巻いていた風が徐々に弱まり、そして完全に消える。
風が消えたのを感じ取ってか、その瞬間に興味を失ったかのように由姫の視線は前を歩くファラスに戻る。
その様子を見ていた男の顔はとても満足そう。
冷たい印象を受けるであろうその顔に微笑を浮かべ、優しいとも見える顔で由姫を捕らえる。
「――由姫…」
まるで愛しいものの名でも呼ぶように呟かれた声を最後に、男の姿が部屋から掻き消えた。
残された部屋には風の残り香のみが残されていた。