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神人鬼  作者: 名残雪
8/30

第七話

 ――わたしは、ずっと一人だった。

 白い部屋の、白いベッドの上で、たった一人……。


 どうして病院にいるのって聞くと、夕那は体が弱いからって、大人は皆そう答えた。

 どうすれば良くなるのって聞くと、大きくなればって、大人は皆そう答えた。

 だから、わたしは、早く大きくなりたかった。

 いつか窓から見える外で、遊べる日が来るのを、ずっと楽しみにしていた。


 何度もお見舞いに来てくれる、お祖父ちゃんと、お祖母ちゃん。

 お祖父ちゃんの頭がつるつるなのは、わたしみたいに体が弱いせいじゃなくて、お坊さんだから。

 会う度に二人とも、頑張れって言って、わたしの頭を撫でてくる。何を頑張ればいいか、わからないけど。それでも、うんって答えたら、泣きそうな顔で笑ってくれた。


 お父さんが来るのは、決まってお休みの日。

 本当は、毎日だって会いたい。でも、お仕事で忙しいから駄目。

 この前、お喋りしていたら、欲しいものはないって聞かれた。お母さんって答えると、少しだけ困ったような顔で、部屋に置いてある写真を見せた。

 優しそうな女の人の写真。わたしのお母さん……怜那(れいな)はここだよって言ってお父さんが指を指す。けれど、何度見ても、その人のことは何も覚えていない……。


 たくさんの人に助けられて、わたしの体は少しずつ、良くなっていった。

 淋しい時や苦しい時は、お母さんの形見っていう髪紐を、ぎゅっと握りしめた。そうすれば、いつも元気が出て胸があったかくなる。

 三つの誕生日がすぎて、わたしは病院から出られるようになった。

 でも、その日。笑うみんなの中に、お祖母ちゃんの姿はなかった。お母さんと同じ、遠い場所に行ったんだって、お祖父ちゃんに言われた……。


 元気になってから、わたしは、良い子になろうとした。

 もう一人になるのは、絶対に嫌。だけど、それはとても、難しくて……。


 ――どこからか、声が聞こえた。これは子供の、わたしの声だ。

 一定の間隔で繰り返される、幼い独白(どくはく)。普段は心の奥底に沈めて、見ないようにしている記憶。忘れよとしている訳ではない。そんなこと、出来るはずもない。

 でも、どうして、こんな声が聞こえているの?


 ああ、そうか。これは夢――。


 認識した瞬間、お尻の浮くような浮遊感を全身に感じる。

 気づけば、辺りに見慣れた暗闇が広がっていた。

 少し離れたところに、ぼんやりと白く発光する、何時もの画面が浮かび上がっている。そこへ意識を向けた途端、自然と足が床に着いた。同時に、体の感覚があることを確認して、さっと身構える。

 当然の如く一糸纏わぬ裸だが、悲しいことにもう慣れつつあった。

「誰に見られてる訳でもないけど……っ? 私、声が聞こえてる……?」

 これまで聞こえたり、そうでなかったりしていたものが、今回はしっかりと自らの耳に届いている。それどころか、他の感覚もやけに生々しく、俄かに夢であることを疑う。

 もう、あんまり驚かないけど、出来れば何も起きないでよ。


 そう思った時。突然、白色の画面に何かが映る。

 それは、膝を抱えてしゃがむ、子供のわたしの後姿だ。

 何時もの夢とは、また異なる夏服を着た自分だが、歳はやはり五、六才だろう。真上からスポットライトのような光に照らされ、その周りは今の私と同様、深い闇に包まれている。ただ何故か顔を伏せた状態で、ピクリとも動かない。

「ねえ、さっきまで喋ってたのは、あなたなの?」

 画面へ声をかけてみたが、わたしに反応はなく、テレビに向かって独り言を放った気分になる。無意味というか、空しくなって、どうしたものかと思案に暮れた。


 私は、重い病気を持って生まれてきた……。

 原因さえ不明だったという、その病によって、母は……亡くなってしまった。

 最初に話をしてくれたのは父か、祖父か覚えていない。ただ、母がいない理由を、漠然と理解して、意識するようになったのはちょうど、画面のわたしの頃かも知れない。


 ふと聞こえなくなった独白の声を反芻して、疑問を覚える。

 祖父達がお見舞いに来た時の様子とか、私は完全に忘れてるけど。それは、そうよ。病院にいたのは、三才より前のこと。

 なのに何故、聞こえてた声は、あんな細かい場面まで覚えているの?

 一度、首を振って、頭を切り替える。

 これは所謂……夢。全てが現実にあったことじゃない。あの襲って来る獣……犬? の正体とかだって、考えても仕方がないわ。 


 結論を出したところで、眠りから覚める訳ではないので、正直困る。

 所在無く、画面のわたしを見て、再び声をかけようとした時――。


友子(ともこ)さんまで亡くなるなんて。過労っていうのもやりきれないねぇ……)

(無理もないよ。娘が命に代えて生んだ子さ。看病と家のこと必死でやって……)

(ひどいのは、怜那の妹だ。町を出て行ったきり葬儀にも出ない。家族を何だと……)


 複数の男女の声が、画面から響いて、さっとわたしが耳を塞いだ。

 続く言葉は、容赦なく私の胸にも突き刺さる。

 聞き覚えのない台詞の数々。喋っているのは親戚の人達だろうか。

 友子……お祖母ちゃんは、確かに過労で亡くなってる。怜那は、母さんの名前。その妹だから、叔母さんのことを言ってるけど、葬儀に出なかった?


 意味がわからず、画面に映るわたしを見つめる。

 どんな状況なのか、男女の声がする度、その体が小さく震えた。小さな手で耳を塞いだまま、駄々っ児のように何度も頭を振る。


 次の瞬間、しゃがんだわたしの背後――。

 真っ暗な空間に、突如、ふわりと何かが浮かんで驚愕に声を上げる。

 画面中のわたしは、すぐ後ろの、それに気づいていない。

 幽霊……。そんな言葉のイメージが相応しい、半透明の白い影。揺らめくそれが、徐々にはっきりとした、人の輪郭をあらわにする。


 画面のわたしの背後に、誰かが立っていた。

 背中を向けているので顔などはわからないが、子供のわたしより一まわり程、体は大きい。それでも同じ、子供には違いないはず。

 確信が持てないのは、腰まで伸びた長い髪の色の所為で……。全ての色素が抜け落ちたような、白髪。光を反射するそれは、白銀にも見えた。


 身に着けているのは、着物……振袖だろうか。

 色も髪と調和した無地の白で、模様や柄はない。対して締めた帯は、鮮烈なまでの紅。裾は短く、ほっそりとした白い足が、太股まで覗いている。サンダルに似た履物は、もしかして草履?


「――くふふっ」


 含むような、あどけない子供……少女の笑い声が響いて、はっとする。

 この声って、前に夢の中で、わたしと話していた声だ。

 吸い寄せられるように、白髪の少女へ意識が集中する。

 次の瞬間、映像の様子が一変した。

 闇が晴れ、見えてきたのは黒土の地面。

 周囲には樹木が生い茂り、夕暮れ時と思われる、茜色の陽射しに照らされている。

 明らかに森の中だとわかる場所。いや間違いなく、あの場所は鳴森だ。


 ――そこに、人影が二つ。

 変わらずしゃがんだ、子供のわたしと、その後ろで佇む白髪の少女。

 一列に並んだ二人の正面に、小さなお墓があった。苔生した石を重ねた積石。掛軸で見た、賽の河原の積石とそっくりなもの。それをお墓だと思ったのは、傍にお花が供えてあったからで……。


「夕那、もういいわ」

 少女の声に反応して、ゆっくりとわたしが、俯けていた顔を上げる。

「……ホタルちゃん。本当は、わたしのこと嫌いなんだ」

「あら、どうしてそう思うのかしら?」

 そっぽを向いたわたしの横に、ホタルと呼ばれた少女が、膝を曲げて座り込む。

 長い髪が、地面に着くのもおかまいなしだ。


「嫌なのに、わたしの中に入って。病気だった時のこととか、何度も見せる……」

「……そう、また夕那にも流れてしまっていたの。ふうん、上手くいかないものね。謝るわ、もちろん、あなたを嫌ってなんかいやしない」

 だから許して、と言った少女が、わたしの頭をそっと撫でた。


 言葉もなく、そのやり取りを見つめて、思考が混乱する。

 これは夢だ。何か、現実の記憶が元になっていても。ただの、夢にすぎない。

 だって、こんな子が実在するなんて有り得ないわ。登場から人間じゃないみたい。


 ――人ではない、モノ?


 何かが頭をかすめた時、映像のわたしが首を縦に振った。

「ありがとう。それにしても、あなたとわたしは、やはりよく似ているわ」

「えー? 似てないよ。ホタルちゃんの方がおっきいし、髪も長くて綺麗で、雪みたいに真っ白。わたしのは、短くて赤くて変だもん。同じなのは、髪紐……」

 笑ったような気配がして、少女が首を横に振る。

「そういうことではないのよ。これは生まれの話」

「生まれって?」

 一呼吸置いて、画面から少女の声が響く。


「……あなた、自分のことを、不幸だと思う?」

「不幸、えと……」

「赤子の頃から一人、寝床に臥せて。己の身体を、恨んだことはなくて?」

「ホタル、ちゃん」

「母親を亡くして、淋しい? 祖母もだったわね」

 立て続けの質問に答えられず、わたしがまた、顔を俯けた。


 その様子を、唖然としたまま見つめる。

 ホタル。この子は一体……。


「お母さんと、お祖母ちゃんに会いたいなって、思うことは、あるよ。でも、わたしには、お父さんがいるし、お祖父ちゃんだっている。それに……」

 わたしが隣に座る、少女を見て微笑んだ。

「今は、ホタルちゃんがいてくれる。だから、淋しくなんてないの。ほんとだよ?」

 沈黙した少女。

 その後ろ姿に、何故か胸が切なくなった。


「……夕那。わたしと、ずっと一緒にいたい?」

 囁くような声が響いて、白髪を揺らした少女が、わたしにもたれかかる。

 沸き起こった、言い知れない感情に、思わず髪紐へ手を伸ばした。

 夢の中でも、変わらず存在していたそれを解き……ぐっと握りしめる。


「ずっと、一緒に――」

「冗談よ」

 えっ、というわたしの、気の抜けた声に重なって、少女の笑い声がした。

「くふ、あはははっ。ごめんなさい。少し、からかってみたの……」

「もー……、ホタルちゃんっ。嘘つきだと、地獄で鬼に舌を抜かれるんだから」

 自分も少女の反応に拍子抜けしたが、わたしの物騒な発言に驚く。

 多分、掛軸のことが頭に浮かんでいるのだろう。


「おお、(こわ)や、怖や。けれど、夕那。それは人の話ね。最後には、しっかりと救いだってある。わたしは……」

 一旦、言葉を切って少女が立ち上がる。

 白髪の舞う背中が茜色に染まり、地面へ影法師が伸びた。

「わたしのような鬼は、死んだって地獄にもいけないのよ……」


 ――鬼。


 聞こえた声に、息を飲んだ途端。

「うあっ。い……痛ぅ!」

 ずきんとした痛み、強烈な頭痛に呻き声が出る。

 画面の音が急に小さくなり、視界がぶれて片膝を着いた。

 冷たい床の感触すら、僅かに感じただけ。全身が麻痺したように力が抜けていく。


 その瞬間、映像に映った少女が、画面の外にいる、私の方へ振り向いた。

 しかし、同時に落ちる瞼を支えきれず、意識が闇の中に消えていった……。


「な、に。今の夢……?」

 体を起こしたベッドの上。顔を両手で覆う。

 心臓の鼓動が早い。頭が重く、霧がかかったように、はっきりとしない。

 薄暗い部屋の中。確認した時刻は、まだ早朝だった。

 転校初日から、今日で二日目。別に早起きするつもりなんて、無かったのに。

 耳に残る、少女の声。ゆらめく白髪の映像が脳裏に浮かんだ。

「病気の、記憶。鳴森で話した、女の子。ホタル、鬼……」

 憶えている限りの事を呟き、考える程、思考が空回って……。枕元の髪紐を掴み、胸の前で握る。


 私は、子供の頃……鳴森で迷子になった。大袈裟だけど、遭難と言い換えてもいい。

 森で一晩をすごして、翌日に無事保護されている。それから、現在に至るまで、私は一度だって鳴森には入っていない。絶対に、だ……。

 ――その迷子の記憶を、これまで何度も夢で見ている。

 何時もさっきと同じ、真っ暗な空間に、変な画面が浮いていて……。過去の光景を見させられた後、現実で目が覚める。

 それが最近、頻繁で。内容まで変化し始めて……今や、意味不明だ。

 少し疲れてるのかな。父さんの事故からもう三ヶ月。まだ三ヶ月? どっちなの。落ち着いてくれば、夢もそのうち見なくなるだろうって、そう思ってたけど、現実はまるで反対だ。


 部屋を出て、洗面所で顔を洗う。

 鏡に映る自分の姿は普段と変わらず、髪紐を手に取り結び直すが。どうしても、白髪の少女のことが頭に浮かんだ。

 一体、ホタルはどこから出てきたのか。私が忘れているだけで元になっている人物が、誰かしらいるのか。もし、全部、私の妄想だったら? って、考えたくない。いくらなんでも、さすがに引くわよ。


「学校行くまで、時間あるし。ランニングって、うぁ、最悪……」

 呟きつつ洗面所の窓から、灰色の空を見た時。窓ガラスに、ぽつり、ぽつりと水滴が落ちはじめる。溜息をつく間に聞こえていた音が、激しさを増していった。


 ――教室の自分の席で、ぼんやりと窓の外を眺める。


 私は、何か嫌いなモノがあるかと訊かれれば、迷わず雨と答えるだろう。

 昔から、そうだった。

 病気で、出歩けなかった反動からか。元気になった子供の自分は、外で遊べないということが、一番のストレスだった。

 そんな雨嫌いが、決定的になった今年の六月。父の事故が起きた日も、長い雨が降り続けていた。嫌がらせのように葬儀の日まで、曇天の雨。

 いけないとわかっていても、雨音を聞くと、どうにも気持ちが沈む。夢を見た原因も、残らず雨の所為に出来れば、まだ気楽なのだが……。


「いよっしゃ! ユーナ。部室いこっ!」

 隣から望の声がして、我に返ると、帰りのホームルームが終了していた。

 騒がしい雰囲気に包まれた、放課後の教室。

 すでに支度を整えた相手に急かせれ、軽く息を吐く。


「どうしたのさ? 今日は、なんか暗いぞ」

 バスで学校まで来た際、最寄りの停留所で待合せた望が、朝と同じ台詞を口にした。

 なんでもないと言って、手を動かす。

 さすがに雨が嫌いなことまでは、教えていないし、気づいてもいないようだけど。

「部室、直行でいいのね?」

 そう訊いただけなのに、満面の笑みで頷かれる。

 あたしは今日も元気一杯だ。雨なんて、農家には恵みの雨だぜ、いえーい……というテンションを感じたような気がして、一瞬怯む。

 本当に疲れているのかと頭を振り、鞄を持って席を立った時、会釈をした涼子が声をかけてきた。


「……お疲れ様です。お二人とも、これから部活ですか?」

「うん。そういう涼子もって、今日は雨降ってるから筋トレ?」

 小振り程度になった外の様子を見て、相手へ視線を戻す。

「いえ、剣道部は屋内ですから、雨はそれほど関係ありませんよ。ただ、あまり長く降られると、防具などの手入れが大変なので、困りものですが」

 怪訝そうに言われ、あっと声を出した。

「ごめん。私、ぼーっとしてて……」

 うっかりしていた。これは、冗談抜きで頭……回ってないわね。

 しっかりしろ、と反省した時。聞いていた望が、口の端をにんまりと上げた。

「おやおやぁ、らしくないじゃん、ユーナ。ほんと調子悪い? クラスも部活も、文化祭の準備で忙しくなるんだから、気合い入れてよ」

 小憎らしい顔でウインクされ呻いたが、何も言い返せない。


 C組の文化祭での出し物は、私が転校してくる前から決定していた。

 最終的に二つの案が残り、最後は多数決による投票が行われたという。

 一つは、望が提案した、和風田舎茶屋。

 簡単に言えば、喫茶店の純和風バージョンで、コーヒーやケーキの代わりに、お茶やお団子を出すというもの。なんの捻りも無いのだが、接客役の女子が、全員和服着用との条件に、男子の熱い支持を得ていたそうだ。


 方や、温厚そうな女生徒が提案した、秋祭り。

 こちらはお祭りの縁日をイメージした屋台を並べ、老若男女、幅広い年齢層に楽しんでもらうというもの。一見面倒そうだが、主に駄菓子などを仕入れてしまえば、喫茶店より準備は楽。時間も考えた堅実派と、和服着用に難色を示した女子の票を集めたらしい。

 ――結果は、僅差で秋祭りの勝利に終った。


(軟弱な祭りなんかに、投票した男子は想像力が足りないよ。着物を着崩した女子が、頬を桜色に染めてる姿とか、思い浮かばないの? まったく夢もロマンも追えないなんて……ええい、情けないっ)


 そう愚痴る、望の話を聞かされた時は、秋祭りで良かったと胸を撫で下ろした。

 ナニをしたかったのか、知らないけど。大体あんたもやることに……。

「夕那さん、何かありましたか?」

 緊張したような涼子の声に驚き、同じ様子の望と、思わず顔を見合わせた。


「なにさ、涼子。怖い顔しちゃって。ユーナなら、大丈夫だよ」

 軽い口調で喋った望に、ね? と促される。

 なんであんたが言うの、そう突っ込みたくなるのを堪えて、ひとまず頷いた。

「いえ、それならばいいのですが……」

 言葉とは裏腹に、涼子の表情は曇ったままだ。

「なんでもないから、心配しないでよ」

 単に嘘をついている訳ではないが、声をかけてうしろめたい気持ちになった。

「わかりました。しかし学校のことや……他に、気になることがあれば、私に相談して下さい。どんなことでも、構いませんので……」


 涼子の真っ直ぐな言葉に、若干焦る。

 すでに周りの生徒から、男女問わず、好奇の視線が集まり始めていた。望も気づいてはいたが、その顔はまだ笑っている。

 ところが涼子の口から、部活の相談、という単語が出た途端、元からツリ気味の目尻をさらに上げた。

「ゆ、ユーナはもうミス研の一員なの。運動部の方は残念無念でしたっ」

 小柄な望だが、その声は大きく教室中に響くようで。

 私、初日のこともあるから、なるべく目立ちたくないの。特に今日は……。

 そんな思いも空しく、すぐに反応があって天井を仰いだ。


 話しかけてきた女子二人は、席の近い陸上部の子達。

「望、あんた知り合いだからって。谷本さん、無理やりミス研入れたんじゃないの?」

「なにをっ? 人聞きの悪いこと言わないでよ」

「谷本さん、うちは兼任でも全然いいから。良かったら見学来てね」

「そこ、勝手に話を進めるなっ。とっとと筋トレにでも行きなさいっ」

 望が二人を睨んで捲し立てた。まるで威嚇する猫だ。

 向こうも慣れた感じで、軽く流すと手を振り、教室を出ていく。


「あんた、兼任でもいいとか、言ってなかったっけ?」

 訊いた望が反応する前に、涼子が私を見た。

「差し出がましいようですが。夕那さんは転校して間もないので、あまり無理を……」

 相手の気遣いは、素直に嬉しく思う。考えてみれば担任の工藤先生からも、これまで似たような扱いを受けていたが……あちらは、どうにも煩わしい。


 この差はなんだろう。私、女の子には甘くなるとか、よく言われたけど、そんなつもりは……って違う。真面目に、親切に接してくれる理由を考えないと。

 先生は叔母さんのことで、何かあると一応、推測は成り立つ。涼子の場合も、そういう性格だからと納得出来れば話は単純なのだが……。


「そうだぞ、ユーナ。やっぱ掛け持ちは大変だからさ。浮気しないで、部活はミス研一本にしといた方が賢明だって」

「確かに、そうです……けれど。望さんは、少しズルいです」

「おおっ? な、なに、涼子。あんたがズルいとか言うの、初めて聞いたよっ」

「いえ、すみません。ただ、夕那さんは、運動部を希望とのことでしたので……」

 お誘いしたのも、私の方が先だったのでは……。そう続けた涼子に、望が反論する。

 ――なによこれ。この美少女二人、なんで私を挟んで言い合ってるの?

 クラスメイトの視線が、否応なく集中して、顔が引きつる。望のフォローで収まった話が、また厄介なことになりそうな予感がした。


 その時、喋る望の背後に、人影が立った。

 鞄を片手にした呆れ顔の木戸君が、すっと空いた手を掲げる。

「――おい」

「あたっ。この! だれ、将太? あにすんのよっ」

 木戸君のチョップを、脳天に食らった望が後ろを向いた。


「委員長。こいつに使う体力があれば、他にとっといてくれ」

 望の文句には答えず、涼子へ口を開いた木戸君が、さらに肩を竦める。

「……少し聞こえたけどな。谷本が自分で決めて、ミス研に入ったことはマジだからよ。その辺だけは、勘違いしないでくれ」

 淡々とした言葉を聞いた涼子が、何かを逡巡して顔を俯ける。

 その口が小さく、すみません、と呟いた。……が。

「なにさ、偉そうに言っちゃって。 謝れ、あたしと涼子に謝れっ」

 一転して、涼子を庇うよう言った望。

 それを見た木戸君が、面倒そうに頭をかく。


「委員長、ごめんなさい。これでいいか? 谷本、先に部室行ってるぞ」

 急に話を振られ、焦りつつ口を開いた。

「うん、涼子、気にしてくれて、ありがと。でも私は、本当に大丈夫だから」

 わかりました、と顔を上げて言った涼子が、薄く微笑む。

 それを確認した望の視線が、すでに教室を出ようとしていた、木戸君へ向いた。

「待てこらっ。あたしにも、なんか言えー!」

 涼子に一声かけた望が、鞄を振って教室を出る。

 同じく言葉を交わして、自分もその後を追った……。

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