第六話
「神高ー、ファイッ! オー! ファイッ、オー。ファ……、オー……」
遠くから運動部の喧騒が聞こえた、部室棟二階の一番奥にある部屋。
大神町ミステリー研究部(現・同好会)
扉の横に掲げられた表札には、確かにそう書かれていた。
プラスチックのプレートに、しっかり印字されているのは研究部の文字まで。後の括弧書きの部分は、黒のマジックで付け足されたものだが、そんなのは些細なことだ。
扉のあちこちにテープで貼りつけられた、やはり藁人形にしか見えない物体が十数個、力なく垂れ下がっている。大きさ十センチ程のそれらで囲まれた扉の中央に、これも貼りつけられた一枚の紙があった。
関係者以外、立ち入り禁止。入ると呪われます。
「私、帰っていい?」
「ちょい待ち、どこへ行こうというのかね?」
回れ右した肩を望に掴まれ、抗議の声を上げる。
「世の中、何事も見かけで判断しちゃダメだよ」
それは、その通りなんだけど……。
だって、と切り返して、貼られた紙を指差す。文字全体は黒マジックの手書き。ただ、呪われますの部分だけ、わざわざ赤で強調してある。
「私、関係者じゃないし、関わり合いたくもない。呪われるのもいやだから」
「うわっ、ばっさりだ。説明くらい聞いてよぉ」
縋りつく望をいなして、様子を確認し直すも、感想は変わらない。
何なのここ? 扉からして、十二分にミステリーだ。
「ここは大神町ミステリー研究部……通称ミス研の部室で何を隠そう、あたしはそのメンバーなのさ」
「ミス研? あんたのやってる部活って、新聞部と似たようなところじゃないの?」
聞いていた情報を口にすると、それでも躊躇なく、望が頷いた。
途中、通り過ぎた部室にも、怪しげなものはあったけれど……。
ここに比べたら、もう全然普通よ。
「ミス研が何かは、中で話すからさ。取り敢えず、騙されたと思ってついて来て」
笑った望が、扉をノックして不意に向き直る。
「入るけど、そんな怖がらないでよ。取って食われる訳じゃないんだからさ」
「べ、別に怖がってなんかないわ」
心外な言葉に、再び抗議する。
例えば今が夜で、この場に一人きりなら、話も変わっただろうが……。
「またまた、無理しちゃって。そうだよね、いくら見かけが格好良くても、ユーナだって女の子だもん。いやー、ゴメンゴメン」
つらつら喋る態度に違和感を覚えたが、その物言いに、カチッと怒りが込み上げた。
「……バカにしてる? 何なら私が開けましょうか?」
すでに帰るという選択肢は、頭から消えている。
なおもからかう望に代わって、ノブへ手をかけた。……女は度胸だ。
深呼吸してから、扉を一気に引き開ける。
「――失礼しまっ」
「いらっしゃいませー」
パンッと響いた、軽い炸裂音と穏やかな声に、思考が一瞬停止する。
陽が差す部屋の中に、二人の人物がいた。
一人は、屋上から再会になる木戸君。何故かその手に箒を持ち、無言で佇んでいる。
もう一人、椅子に座ったまま、クラッカーを手にした生徒……は見覚えがない。
「やぁ、始めまして。そしてミス研へようこそ、谷本さん。僕は二年A組の佐々木 真。ここの代表者をしています」
そう挨拶して、立ち上がった男子生徒が、ペコリとお辞儀をした。
およそ、二年という言葉からは連想出来ない、少年の言葉に面食らう。
華奢で線の細い体、身長は望と同じくらいだろうか。少し目にかかった、柔らかそうな黒髪。無邪気な笑みを浮かべる、整った童顔はまるで中学生のよう。下手をすれば、小学生に見えなくもない……。
これ、何かドッキリとか、そういう騙し?
一瞬浮かんだ考えに疑ってみても、相手はニコニコと笑っている。
本当に上級生なら、挨拶どころか、返事もしていない私は、とても失礼なのだけれど。まだ、状況に頭がついてこない。
「嘘じゃないですよ。生徒手帳もあるので、よかったら見ますか」
「い、いえ。そんな、すみません」
何も言ってないのに、手帳を差し出されて思わず焦る。
一応確認したそこには、確かに佐々木さんの写真と学年が記載されていた。
再び謝って、丁寧にお返しすると、後ろから望の声が聞こえた。
「あははっ、やっぱり驚かれちゃいましたね、先輩」
「もう慣れっこだよ、畑中さん。学校以外じゃ簡単に信じてもらえないし」
軽口に答えて、佐々木さんが肩を竦める。
その横でクラッカーから出たらしき、床に落ちた糸くずなどを、木戸君が黙々と箒で掃く。あれを鳴らしたのも佐々木さんのようだ。
「そんなもん持ってると、余計子供に見えるんで、とっとと寄こして下さい」
「ん、ありがとう。木戸君は挨拶しなくていいの?」
佐々木さんから、クラッカーを受け取った木戸君が、私の顔をちらりと見た。
「木戸 将太だ。あんたのことは望から……色々、聞いてる。そっちは?」
「知ってるのは……望と小、中学校が一緒だった、友達ってことくらいかな」
「まあ、そうだ。以後よろしく頼む」
言い終えた木戸君が集めたごみを、まとめてごみ箱に移す。
それを見ていた望が、私の前に出て、両手を腰に当てた。
「大変、お待たせしてすみません。将太のお陰でユーナ達と、すぐに会えました。どうも、ありがとう御座います」
慇懃無礼な口調の望を、木戸君が一瞥する。
「……いいから、はやく説明してやれって。あ……谷本、さんが困ってるだろ」
呆れたように言われ、ムッとした望が、掃除用具をしまう木戸君の背中に、無言で舌を出した。
それから、遠慮がちに私を見る。
「ユーナ……。ゴメン、驚かせちゃった?」
「色んな意味でね。とにかく、話を聞かせて」
言ってから腕を組み、改めて周囲を見渡す。
狭い部屋の中央で机が四つ、くっつき合って並んでいる。その上に、一台のノートパソコンと、何枚もの風景写真、新聞や週刊誌などが無造作に置かれていた。
扉のすぐ横に、大神町の地図が張られ、壁際には隙間なく、スチール製の戸棚が並ぶ。どの段もファイルや古びた本が、ビッシリと収められていた。
戸棚の上のスペースには、何かを入れたダンボール箱や、観光地で見る土産物の類が、雑然と配置されている。中でも壁に掛けられた、白い能面は……ちょっと怖い。
机を挟んだ窓際の一面は、ホワイトボードに占拠され、そこに「ユーナ歓迎 君の居場所はここだ 目指せ全国制覇」……と誰が書いたかは明らかだが、意味不明なメッセージが残されていた。
――えと、うん。やっぱり、何なのここ?
ひとしきり見終えた時、佐々木さんが望を制して口を開いた。
「まずは、僕から話をするよ。えー、谷本さん。ここは、大神町ミステリー研究部。今は同好会なんだけど、その活動拠点になっている場所なんだ」
望からも聞いていた言葉に、相槌を打つ。
「僕達の活動を簡単に言うと、大神町の歴史や、文化にまつわる民間伝承、神話、おとぎ話、怪談や都市伝説などを調査し、その真相を解明することが主なものかな」
「民間伝承に怪談……。オカルト研究会みたいなものですか?」
「そうとも言えるね。ただ、調べる範囲は、あくまでこの町に限られてる」
「そんなに不思議な話が、この町にあるんですか?」
訊いてから、俄かに鳴森の鬼のことを思い出す。
すると、質問に迷うことなく、佐々木さんが頷いた。
「それがあるんだ。怪しい都市伝説とかの類は、むしろ年々増えてるくらい」
「名前は伏せてあるけどな。こういうオカルト系の雑誌じゃ、怪奇スポットとかで有名な町なんだよ」
佐々木さんに次いで、会話に加わった木戸君が、机に置かれた雑誌の中から、付箋の張られたものを数冊渡してきた。
最初の一冊には、大神町の観光地を風水の観点から見たという、胡散臭い解説が書かれている。別の雑誌では、望からも聞いたパワースポットの特集が。他に、恐ろしげな書体で、怪奇現象多発地帯と銘うった、見覚えある場所の写真が掲載されていた。
霊魂が漂う川って、これ霧重川じゃない。山の精の祟りか、妖怪の仕業か、遭難者続出! Y山の怪。目撃者多数、深夜O神社で謎の発光体を激写! UFOの秘密基地との噂もあり……。
「ね? 大神町がオカルトと、縁がある土地だって言ったこと、信じてくれた?」
「う、ん。内容自体は、眉唾もいいとこだけど。こんな話題がある場所だっていうのは、わかった。……私、全然知らなかったな」
横から覗き込んできた、望に答えて考え込む。
「谷本さんは、ずっとこの町に住んでる訳じゃないんだから、それでも無理はないよ。こんな感じで、大々的に取り上げられるようになったのは、最近のことだし。昔から伝わってる伝承だって、少なくはないんだけど……」
佐々木さんの言葉に、また鬼の話が思い浮かんだ。
でも、この記事に比べたら鳴森に鬼がいたって話の方が、まだ真実味があるような気がする。戒道さんは、周辺に伝わってる話じゃないって言ってたけど、実は案外知られてたり? ってなんで私、そんなこと気にしてるのよ。そもそも、ここに来たのって……。
気配を感じて雑誌から顔を上げると、何時しか全員の視線が、自分に集まっていた。
「えと、もしかしなくても……私に、ここへ入れと?」
「お願いっ! もうユーナしか、頼める人いないのっ」
教室に続き、また頭を下げた望。
二の句が継げないでいると、佐々木さんが困ったような顔で話しかけてきた。
「急な話でゴメンね。もちろん、無理にとは……」
「こらっ! そんな弱腰で、どうするんです? 時間ないんですよ、時間がっ」
佐々木さんに食ってかかった望が、机をバンバン叩く。
印象としては、完全に後輩男子をいじめる先輩女子だ。
止める気もないのか、木戸君が机のパイプ椅子を二つ引きずって並べ、一つに座る。立ちっぱなしだった私も、座れよ? との言葉に従った。
「ここも去年まではな、部として成り立つくらいには、人がいたんだと。元々、校内でも古参の、歴史ある部活だったらしいんだが……」
低い声で話し出した、横の木戸君を見る。
「異様にやる気のあった先輩達が卒業した後、一人、二人って感じで部員が減っていって。今年まで残ったのは、佐々木先輩だけ。まっ、幽霊部員やるにしても他にいいのは、いくらでもあるしな。そんな有様で、部は今年から同好会へ格下げされた……」
何も訊かず、淡々とした言葉が続く。
「けど、先輩には部だろうが、同好会だろうが、正直関係ないそうだ。去年、部長に任命された義理と、趣味でやってるようなものだから、廃部になったって構わなかった」
「……そんなところに、二人はどうして?」
話を聞く限り、活動の内容はともかく、やる気と元気が代名詞みたいな、望の好む雰囲気の部活とは思えない。そして、木戸君は――。
佐々木さんになだめられ、どうにか落ち着いた様子の望。
同じくそれを眺める木戸君が、重そうに口を開く。
「大した理由なんてねえよ。望は探してた部活が無くて、オカルトや地元のこと調べるのがおもしろそうってだけで、よく考えもせず、入っちまったのがここだった」
廃部の可能性があるという佐々木さんの忠告も、望にとっては逆効果だったらしい。せっかく入ったのだから、意地でも部に再昇格してやろうと、決意を固めてしまった。
「先輩にしてみれば、ある意味災難だ。静かに活動したいって考えと、真逆の思考しか持たないやつが、廃れさせてなるものかって息巻いてよ」
「ああ。あの子お節介で、正義感強いから……」
そう言うと頷いた木戸君が、溜息をついた。
「俺は、あいつに引っ張られて入会させられたんだ。……それはいいんだが、今年入ったのは、結局二人だけでな。その後も、まあ、色々あって……」
廃部の危機は免れたものの、今度は人員確保に、東奔西走する日々が続いた。
佐々木さんも次第にやる気を出してきたが、現状は変わらず。幸いにも、部室を追い出されることは無かったので、今もこの部屋は使えているという。
「というか、ここ不気味だからって、どこも使いたがらねえんだ。あの扉の藁人形とか、卒業した先輩が貼りつけたそうだが、剥がそうとするとマジ不幸な目に遭うとかで、放置されてるらしい」
俄かに寒気を感じて上げた視線の先に、壁に掛けられた能面があった。
余計寒気が強まって、無理やり話題を変える。
顧問がいるのか訊くと、知らない先生の名前を言われた。それこそ本当に、名前だけの存在で、滅多に顔も出さないそうだ。
当たり前のことだけど、望だって高校に入学して、最初の一学期を過ごしていた。
そんな中で、私のことも気にかけていたのか。
「忙しかったんだね」
「あか、谷本が気にすることなんて何もないだろ。っ、悪い」
「えっ?」
「……谷本さんだった」
呟きに応じて、考えを読まれたことに加え、苗字を言い直した木戸君に少し驚く。
さっきも何か、もしかしたら……。
「えと、望と私のこと話す時、赤野って呼んだりしてた?」
疑問に相手が頷いたのを見て苦笑する。まったくの初対面なら、問題ないことなのに。
「谷本でいいよ。名前とかでも構わないけど?」
訊いた相手が僅かに躊躇ってから、谷本でいい、と短く返した。
「木戸君は、家のこと知ってるんだ」
「……まあ、な。ただ、クラスじゃ俺くらいだ。望も他のやつらには黙ってる」
気遣うような口調に感謝して、ありがとう、と声をかけた。
机を挟んだボードの前で、佐々木さんと何事か、小声で言い合う望を見つめる。
部活のことで思い返すのは、電車で話題になった時のこと。あの時、すでに白羽の矢が立っていたのか。
私にとっては、貧乏くじかもね。けど、それなら素直に、言えばいいじゃない。
続く木戸君の話によると今、言ったことなどを今日、望が案内でもしながら、自分で説明する予定だったらしい。その上で、私をここに連れてきて、入会を頼むつもりが……。
「涼子のこと?」
「ああ、委員長が変だったらしいな。俺はすぐ部室にきちまってよく知らないけど。あいつに言われたここの掃除なんかを、先輩とやって待ってたら、遅れるって連絡入ってよ。ところが、いくら経ってもきやしねえ。どうなってんだって訊くと事情は話したんだが、探すから待ってろの一点張りだ」
痺れを切らした木戸君が、涼子の向かいそうな屋上に行くと、運よく私達と出くわせたらしい。
「委員長のことは予想外だったにしても前から話しとけよ。時間はあったんだから……」
どこか耳が痛い木戸君の言葉。
ただ、望から聞いた素顔が、少し見えたような気がした。
「なんで、私達のこと見つけたって、望に言わなかったの?」
「教えて素直に喜ぶやつなら、そうしてる。何を言ってもあの場合、愚痴しか返ってこないんだから、進んで聞くのもバカらしいだろ」
嘆息した木戸君を、色んな意味で感心した。
「大体の事情はわかったけど。話したこと、後で望に怒られたりしない?」
「知らねえよ、んなもん。……俺は小芝居とか、好きじゃないんだ」
「小芝居?」
「――ユーナ! こっち来てよっ」
不意に響いた望の声に、お呼びだぞ、と言って木戸君が黙り込む。
最後の言葉を訝しむも、これ以上話す気はないようだ。諦めて再度、呼ぶ声に答えた。
ボードに日付を書いた望と、横の佐々木さんに声をかける。
すると、望が一つ咳払いをした。
「あー、ユーナ。ちょっと長くなるけど聞いてね。ここミス研も、去年までは……」
「部活だったって話なら、木戸君からもう聞いたわ」
ぐっと言葉に詰まった相手を見据える。
「望、さっき時間がないとか言ってたけど、どういうこと?」
「えっ? あっ、そう、それなんだよ。ほら、文化祭どうするんですか、先輩?」
ペンで指された佐々木さんが、わざとらしく首を傾げる。
「う、うーん。ミス研の人数は、現在三名。生徒会が規則で定めた、部として活動が認められる、最低限の人数は四名だ。僕達はどうしても、この四人という人数でもって、文化祭に参加したいなぁ」
「そうですねぇ。どこか、どこかに救世主はいないの? 部として稼働可能な人数で、確かな活動をしたという、実績が残せれば……。来年にはなっちゃうけど、ちゃんとした部と認めてもらえるのに……」
小学校の、学芸会を思わせる二人の演技に、あらゆる意味で言葉を失う。だが、小芝居云々はともかく、一応、話は見えてきた。
「佐々木さん。望の言ったことは、確かなんですか?」
訊いた途端、その表情が引き締まる。
「一度、降格した部が再昇格するには、それなりに厳しい審査があるから、確実とは言えない。僕は……」
尻すぼみになった、佐々木さんの台詞。
それを座ったまま聞いていた木戸君が、私に視線を向けた。
「谷本。望じゃあるまいし、同情とか……そんなのはいらねえぞ」
「何よそれ? あたしだって、そんなんで入ったんじゃない。ちゃんと自分で考えてっ」
不満も顕に、木戸君を睨んだ望へ確認する。
「私以外に、当てはないの?」
「……う、ない。ゴメン、あたし達も、色々やったんだけど」
がっくりと肩を落とした望が、無理やりな笑顔を作った。
「あのさ、ユーナ。こ、今年だけでも全然いいんだ。他と、掛け持ちとかでも……」
しどろもどろ喋る姿に、溜息が漏れた時。
「今の現状は、俺達にも責任がある。嫌なら、きっぱり断るのも、立派な友情だと思うぞ。お前ら、そんな程度で、気まずくなるような仲じゃねえんだろ」
「もう、うっさいなっ。将太は誰の味方なのよ?」
さあな、と達観したように言った木戸君へ、望が詰め寄った。
それを笑った佐々木さんが、私を見つめる。
大人しそうな顔……その瞳にはじめて、強い意志を感じた。
「――僕は、僕からも、改めてお願いします。谷本さん、ミス研の活動に、参加してくれませんか? これでも先輩なので、このままだと立つ瀬が……」
「そこは、言い切って下さいよっ」
望にダメ出しされ、頭をかいた佐々木さん。
木戸君が椅子の背に寄り掛かって、こちらを見る。
その傍で佇んでいた望も、真摯な眼差しを向けてきた。
「ユーナ……」
名前を呼んだ、震える声。
まったく、似合わないんだから、そんな顔しないでよ……。
「佐々木さんには、自己紹介がまだでした。望達と同じクラスの谷本 夕那です。新人ですがこれから、よろしくお願いします。先輩」
一言ずつ、しっかりと答えて頭を下げる。
「あ、こちらこそっ。ありが……」
「ユーナあぁ。あんた、いい子だ。ありがと、ほんっとにありがとねっ!」
先輩の声を掻き消した望が、ボードごと押し倒す勢いで、抱きついてきた。
それを、どうにか手で止めると、肩越しに安堵したような笑みを浮かべる、木戸君の姿が見えた。
――入会祝いに、ジュースを奢ってくれると言った先輩。
望がついて行ったので、残った木戸君としばらく部室で待つ。
見たことのない、戸棚に飾られた民芸品らしき人形を、手に取った時。
「やっぱお人好しだな、あんた。物好きってか……」
沈黙を破った声に、視線だけを向ける。
パソコンを操作していた手を止めて、表現し難い……バカなやつと、変なやつを足して二で割ったような顔で、木戸君が私を見ていた。
「別に、勘違いしないで。同情とか、そんなのじゃないから」
頭の片隅に引っ掛かるのは、鳴森の鬼のこと。
何故気になるのかは、わからなくて。けれど、その事実だけが確かに蟠っている。ただ、手掛かりがここで掴めるなんて、確証などは無い。
どころか、何か心当たりがあるかも程度の考えだし……。
「――ありがとよ」
小さく聞こえた声にはっとして、木戸君へ視線を戻す。
しかし、無表情になっていた顔と、黙した口からは何も読み取れず、キーを叩く静かな音だけが、部室の中に響いた。