第二話
――大神町。
市の中心部から離れた、山間の平地に位置する、自然豊かで風光明媚な町。
肥沃な土地と豊富な水に恵まれた、米どころとして有名だが、近年、観光地としても注目が集まっている。一押しスポットは、町の北にそびえる、八城岳周辺の温泉街――。
うん、約束より三十分の遅刻か……。
流し読んでいた観光情報誌をテーブルに置いて、注文したアイスコーヒーを一口飲む。確認した腕時計の時刻は、午後一時を少し回ったところ。
駅前広場から少し離れた場所にある、小さな喫茶店。
その窓際の席で中々、姿を現さない友人を待つ。店内には自分の他、数人のお客さんがいるだけで、テーブル席を一人で使っていても、それほど気まずさはない。
ただ、暇を持て余しつつ、外の景色へ視線を向ける。
夏休みも僅かとなった、平日の午後の町は、様々な人達で賑わっていた。
自分と同年代くらいの子も見え、過ぎ行く夏を惜しむといった感じもなく、高らかに談笑しながら、ガラス越しの道を歩いていく。
それを横目にテーブルへ置いた、携帯の画面を確認したが、着信、メール共に無し。
連絡は、もう少し待ってみよう。何せ、まともに会うのは一年振りくらいだ。電話じゃ変わっていなくても、相手だって多少は気まずい部分もあるはず。
そう自身を納得させて、文明の利器を敢えてしまい、再び情報誌に目を通す。
この町に引越してから、約一週間。
部屋の整理は済んで新しい生活にも、少しずつ慣れてきていた。
とんでもない夢を見て、飛び起きた初日の朝以降は、至って平穏な日々が続いている。
結局なんだったのやら、わからないし。思い出すだけで、怖い以上に恥ずかしい。
――所詮は夢、の一言で片づけるには抵抗を感じる。
けれど、真面目に考えても仕方がない。気掛りと言えば、他に差し迫った件もあった。来週から通う学校……市立大神高等学校のことだ。
夏休み明けの二学期に現れた転校生。
私だったら、少なからず注目するとは思う。別にそれはいい。ただ、家のことなどで何か変な噂が立っていないか。それだけが心配だった。
とはいえ高校なら、お寺のことを知っている人なんて、ほとんどいないだろう。それに、一人であれこれ悩んでいるより、蛇の道は蛇に聞いた方が早い。
蛇にはまったく見えないけど、動物に例えるなら猫かな……?
そんな私の救世主になる、かも知れない人物。
大神高校に通う、生粋の地元っ子。目下絶賛遅刻中の幼馴染、畑中 望に思いを馳せて、再度、アイスコーヒーに口をつけた時。
「お待たせっ。ユーナ、ひっさしぶりっ!」
いきなり聞こえた声。
同時に、横合いから体を揺さぶられ、グラスの中身を氷ごと意図せず飲み込む。
ヒヤリとした咽喉を通過する感覚に目を見開き、直後、激しく咳き込んだ。
「あっ、ゴメン。ちょっと、タイミング悪かった?」
「……あんたっね。はき出さながったの、ケホッ。ぎせきよ」
ハンカチで口元を押さえ、どうにか呼吸を落ち着かせる。
狙ってやったことじゃないのは、しゅんとした表情で一応わかった。俄かに人目が集まる中、平謝りする相手をとにかく前の座席へ促す。
ツーサイドアップに纏めた亜麻色の髪が、座った動作と一緒に揺れる。
小柄な体。愛らしい顔立ちに、勝気なツリ目が印象的な望。身に着けた白のトップスと、チェック柄のスカートがよく似合っていた。
対する私は動き易いだけの、飾り気のないハーフパンツに、ボーダーのパーカーという格好。あまりオシャレには気を遣わない性質だけど、もう少し何とかなったかも知れないとひそかに反省した。
「ほんと、ゴメンってば。遅れちゃったから、ちょっとサプライズで驚かそうと……」
ころころと表情が変化する……裏を返せば考えていることが、すぐ顔や態度に現れる。なので、今は若干ふざけているのも、一目でわかった。
「ここ、奢ってくれたら許す」
「な、なんですとー! 久し振りに会った親友へ、たかろうっての?」
憤慨してみせた望だけど、その表情は楽しげだ。でも、その久し振りに会った親友へ、突然タックルまがいの抱擁をかますのはどうなの、と思いつつ口を開く。
「冗談だって。ったく、変わらないね、望は……」
「もー、いじわる。でも、うん……良かった。ユーナも相変わらずで」
お互い顔を見合わせて、自然と笑みがこぼれた。
近況は今日の約束をした時に話していたので、しばらく、取り留めのない会話が続く。
しかし途中、話題が私の家のことに及ぶと、望の表情が曇った。
「おじさんのお葬式、行けなくてゴメン。まだ、信じられないよ。あたし、何度もお世話になったのに。婆っちゃも、今年のお米は出来がいいから。送るの楽しみにしてて……」
相槌を打ちつつ、話に聞き入る。
毎年、秋になると、米農家の畑中家からは、決まって新米が届けられていた。
お寺の檀家さんで、赤野家とは祖父の代以前から、長いつき合いがあるらしい。同じ保育園に通っていた望と、町を離れてから連絡を取っていたのも、そんな家同士の古い縁あってのことだった。
また、望は自他共に認める、おばあちゃん子だ。口では色々言うものの、家の手伝いは欠かさないなど、実際はとても仲が良い。
「気にしないでよ。月並みだけど、その気持ちだけで、十分嬉しいから。それに望のお婆ちゃんも、元気そうでよかった。今度、挨拶に行かなきゃね」
私の言葉を耳にした途端、沈んだ顔を一変させ、小振りな唇を尖らせる。
「そー、それ! ちょっと聞いて。婆っちゃったらユーナの手土産に、米もっていけつってきかないの。それも五キロだよ、五キロ! なにが悲しくてこの暑い中、米しょって、電車乗らなきゃいけないのよ。まったくしつこいから、遅れたのも、そのせいで……」
一気に捲し立てると、私が飲んでいたアイスコーヒーを掴み、喉を鳴らして飲み干してしまった。
こいつ、真面目に奢らせてやろうか……。
久し振りに会った友人を、半ば本気で睨みつつ、昼下がりの一時が過ぎていった。
――携帯を切ってから、駅のホームの時計を見る。
時刻は丁度、午後四時を示していた。
歩きながら、軽く関節を伸ばし、つい先ほどの出来事を思い出す。
(お墓参り……、ユーナと会ったら、一緒に行きたいって、ずっと考えてたの。ほら、おじさんもさ、あたしがついてれば、ユーナは大丈夫だって安心するじゃん)
色々話をした後、喫茶店で、そう申し出た望。本人は隠しているつもりでも、無理に明るく振る舞っているのがバレバレで、思わず苦笑してしまった。
もっと、しっかりしなきゃね。望に、似合わない憂い顔なんてさせられない。
その相手を探していると、電車の到着を知らせる軽やかメロディーが流れた。
「ユーナ、こっちこっちぃ!」
甲高い電車のブレーキ音が響く中、手を振る望の後ろへ並んだ。まばらに降りる人を待ってから、冷房の効いた車内に乗り込む。
「うぅ、この瞬間は天国なんだけど、冷えすぎると結構キツいんだよね。あっ、画家先生とは連絡ついた?」
「うん。少し遅くなるかもって、言っておいた……画家先生ってなに?」
訊きながら空いてる席に腰を下ろし、ハンカチで軽く汗を拭う。隣へ座った望も手で顔を扇ぎ、手さげバッグから携帯を取り出した。
「谷本のおじさんのこと。画家の先生だから、画家先生。皆そう呼んでる、この辺じゃ結構有名人だよ」
「叔父さんが、有名人?」
これまで何度か、商店街などで個展を開いている。絵画の講師として、地元の学校に呼ばれたりもしている。何かの賞を取って、地元の新聞に記事が載ったことも……。
叔父さんについて語った望の言葉を聞いて、痛感する。私は叔父さんが絵を描いていること以外、何も知らなかった。家族なのに、この町のことだって……。
規則的な振動に揺られ、流れていく外の景色を見た。
高層ビルや、大型店舗の姿は既になく、代わって現れた川沿いの平地に、住宅地と田畑が延々と続いていく。少し町から離れただけで、以前住んでいた場所とは、まるで別世界のようだった。
不意に、孤立感を覚えた時。
「自分の知らない家族の一面を知り、生まれ故郷とはいえ、見知らぬ土地でちょっと孤独を感じてる……。今、ユーナが思ってんのは、そんなとこでしょ?」
「うッ!」
からかうような口調で言った望に、驚いて視線を向ける。
何時の間にか、携帯の操作も止めていて、目が合うと無邪気に微笑んだ。
「あたしだって、たまには相手の考えくらいわかるよ。ユーナのことなら、特にね」
得意気に言った望が、腕を組む。
侮っていた。とても一年振りに会った相手とは思えない……。
「ところで、ユーナさん。部活とかってどうするの?」
「ちょっと、何? 急に言われても……」
迫ってきた望に仰け反りつつ、学校から貰った、資料のことを思い出す。
沿革やら教育方針などが書かれた書類に混じって、部活動の紹介もあった。ちらっと見ただけで、あまり覚えていないけれど、確か強制入部ではなかったはずだ。
「そう、ね。良さそうなのがあれば、入りたいかな」
「ほほう。ユーナが興味あるのって、やっぱり運動部?」
質問に頷くと、相手が難しい顔で唸る。
「運動部以外は、もう眼中に無い? 見るのも聞くのも喋るのもダメ?」
「なにも、そこまで言ってないわよ」
さらに迫られ、内心首を傾げた。
私はスポーツなら大体好きで、中学校では陸上の短距離選手だった。望もそれは知っている。その上で何故こんなことを訊いてくるのか。そう問いかけてみたが……。
「うん。そんなスプリンターなユーナだけど、走りっぱなしじゃ疲れるよ。ここらで一度立ち止まって、他に目を向けてみない?」
「いや答えになってないし、どういう意味よ、それ?」
わざとらしく、咳払いをした望が何やら力説をはじめる。
曰く、大神高校では一部を除いて、運動系の部活が、あまり盛んではない。故に運動部自体の数も、それほど多くない。勧誘の時期すら終わっているので、女子となるさらに厳しい……。
「――という感じなの。よしんば入ったとしても、そこには先輩との嫁姑の如き、微妙な上下関係が。そこへ仲良しグループとの軋轢も加わって、それはもうっ!」
「わ、わかった。わかりましたから、落ち着いて」
見えない何かが出てそうな、望の言葉を掌で制する。
「まぁ、最後のは冗談として。せっかく新しい学校に来たんだし、頭から決めていかない方がいいのではないかという、以上、クラスメイトからの忠告でした」
体を引いた望が、片目を閉じて笑みを浮かべた。
熱弁をふるった割には、あっさりまとめたわね。
少し拍子抜けしつつ、以前に聞いた話を思い返して口を開く。
「そういう望は、部活なにやってるんだっけ? 中学の時と同じ、新聞部?」
「それが、なくってね。似たようなとこは入ったんだけど。ま、新聞部つっても、本日の運勢とか占いが好きでやってただけだし。ちなみにさ……」
再びにじり寄る顔を手で押さえた。
「近いのよ、あんた。答えるから普通に話しなさい」
「ああ、ゴメン。久し振りだから距離感が。えっと、ユーナはオカルトって興味ある?」
オカルトと呟いて一瞬、夢のことが脳裏をよぎり、すぐに考え直す。
――あれは違う。変に意識すると、また見ることになりかねない。
「無いとは言わないけど、それ部活と関係あるの?」
「さあ、どうでしょう? ふふ……、ただ覚えておくといい。大神町とオカルトは、あたしとユーナみたいに、切っても切れない縁で繋がってるんだよ」
質問へ似合わない低音で答えた望だが、怖いというより小憎らしい。
「なーんてね。冗談じょうだん。引かれる前に引きますか……」
一転、笑顔に戻ったが、何か小声で言ったような気がした。
ただ、学校のことも相談に乗ってくれたし。なんだかんだで、やっぱり心配かけちゃってる……あれ、クラスメイト?
「望のクラス。私の前に、誰か転校でもした?」
訊きながら首を傾げる。クラスの定員に空きがあれば、そこへ入るのが自然だろうが。ケロっとした顔で、誰もいないと言った望を訝しんだ。
「田舎の学校は都会と違うんだよ。どのクラスも常に二、三席は空いてるのが普通さ」
返答に、そんなものかと納得しかけたが、余計におかしいと気づく。
「ちょっと待って。なら何であんたと私、同じクラスになるみたく話してるの? そんなの、まだわからないじゃない」
「おおっと。それについては、こっちも少し複雑な痴情……もとい事情があってね。ホントにそうなったら、これはいよいよって感じなんだけど。とにかく、学校に行けばわかるさ。迷わず行けよ、踏み出す一歩が道になるっ!」
意味不明な掛け声を上げた望。
他に人がいれば、口を押さえてでも止めたけれど、車両には自分達しかいなかった。
「えへへ、ゴメンゴメン。友達とかもね、ユーナが来るの楽しみにしてるんだ。ユーナだって、きっと皆のこと気に入ると思う」
頭をかいた相手が、具体的に数人の名前を挙げて、人柄を語ってくる。
同じクラス云々の件は、何処かへいってしまっていた。
「友達か……」
聞きながら、小さく言葉を漏らす。
自分の中で、勝手に区切りをつけてしまったからか。これまでの生活全てが、今は遠い昔のように感じられた。前の高校で出来た友達なんて、尻切れトンボもいいところだ。
「――でね、その涼子ってのがすっごい人なの。まさに文武両道、才色兼備。同じ一年なのに剣道部じゃあ、もうエースとか呼ばれてるらしい……ってユーナ、聞いてる?」
「……うん。聞いてる、聞いてる」
曖昧に頷くと、望が不満気に頬を膨らませた。
そんな顔をしても、傍目には愛嬌が増して見えるだけで、全然怖くない。
それを伝えようか考えていると、目的の駅に到着した。