捕縛 2
「行くぞ」
慶三郎が部下たちに声を掛けて、一上家の正門から大勢で向かおうとした時に、異変が起きた。
塀の周辺にいた妖怪たちが、一気にその障壁を乗り越えて、敷地内へと侵入し始めたのだ。
「結界はどうなったんだ?」
どういうことか、周囲にかけられていた邪魔な結界が無くなったようだった。
正門から行くのも、警備員がいて話をつけるのが面倒なので、手間を惜しんで堂々と塀をよじ登って不法潜入をすることにした。
敷地内に入って、慶三郎たちが集会の会場を目指して駆け付けると、目を疑う光景が広がっていた。
佳子と春人が何人もいて、庭や渡り廊下や周囲の建物内を、つまり目に入る場所のあちこちを所狭しと逃げ回っていた。
一体、あの中のどれが本物なのか、慶三郎でも分からなかった。
一上家の者たちが真偽に問わず捕まえようとしているが、どの人物を標的にしても、強敵過ぎて返り討に遭い、どうすることもできない。
さらに先程侵入していた妖怪たちが、「ご馳走はどこだ~」と叫びながらあちこち飛び回り、勝手に屋敷内に侵入して好き放題に動いている。
この場は収拾がつかない程、大混乱に陥っていた。
慶三郎は数人の部下に自分についてくるように言い、他の部下たちには親族の拘束を指示すると、慶三郎たちは集会の会場へと乗り込んで行った。
畳が敷かれた広間は、使われていた座布団があちこちに散乱している。さらに屋根の一部が破壊されて穴が開いていて、その周辺には建物の残骸が床に散らばっていた。
動揺した様子でこの場に残っていた一上家の人間たちは、それを避けるように壁際に寄って座り込んでいた。
彼らは足早に入ってきた慶三郎たちに気付き、何者かと胡乱な目を向けてきたが、五月家の人間だと分かった途端、恐ろしいものでも見たような反応をしてきた。
慶三郎はそれを目の端に入れながら、分家の主である一上元のもとへ、真っ直ぐに足を運んだ。
毅然と立っていた元は、慶三郎たちの姿に気付くと、顔を歪めて引き攣った笑みを浮かべた。慶三郎はそれに対応せずに無表情のまま、目的の人物と向き合った。
「一上分家当主、元殿に出頭命令だ。一上家には、里の掟を破り、暗殺業に手を染めた疑いがかけられている。三名瀬勝臣の命により、私が取調責任者として任命されたので、ご同行願いたい」
「やはり裏で五月家が動いていたか」
元はいつもとは違って、全く覇気がなかった。全てを諦めた目をした男が、そこにいた。
部下たちが元を捕縛して、彼を連行して会場から出て行こうとした時に、彼の親族たちの啜り泣く声が耳に届いた。
(一上家はお終いだ。彼らが密かにしでかした悪事の罪は重い、いや重すぎる。)
慶三郎たちが建物の外に出ると、すぐ近くの庭先に見知った人物が集まっているのに気付く。
佳子と春人が何人もあちこちにいるのは、先程と変わらなかった。ところが、その中の一人の佳子の前に、同じく和服を着た美女が、一上真吾の身柄を捕えて突き出していた。
「お前の親の仇だろう、さあ殺すといい」
美女の口から低い男の声が聞こえて来た。声から分かった美女の本当の性別に驚いたが、彼女いや彼によって仇として拘束されているのは、一上真吾だった。
彼が佳子の父親を殺したのか。彼は実の親を殺したというのか。慶三郎は真犯人を知り、驚愕する。
しかし、すぐに慶三郎は冷静になって状況を把握する。女装した男の言う通り、佳子がここで仇をとるためとはいえ人を殺めれば、慶三郎は彼女を庇うことはできなくなる。
何としても止めなくては――。そう慶三郎が焦った時、頭を横に振る佳子の姿を見て、足を止めた。
「彼を殺す気はないわ」
佳子が女装した男の申し出をきっぱりと断った時、慶三郎は心底安堵した。
「父親の顔に似ていて躊躇いがあるのなら、俺が代わりに殺ってもいいんだよ?」
「違うの、もとから殺す気はないのよ。彼の罪は明らかになったし、これ以上は里の裁量に任そうと思うの」
佳子がそう言うと、男は眉間に皺を寄せて、咎めるように彼女を見た。
「お前は犯人に相応の報復を望んでいたじゃないか。”死には死を”は当然だろう? それに、最初から裁きを他人に任すのならば、証拠を提出して訴えるだけで良かったじゃないか。何のためにわざわざ危険を冒してまで直接出向いたんだ? 自己満足のためか?」
「如月?」
責める男の気迫に気圧された佳子は、怯えた表情を見せて男の名前を呼んだ。それで、女装の男はあの如月だったのだと、慶三郎は気付く。
「俺に殺せと命じるんだ、一上佳子。そうすれば、お前の復讐は成し遂げられるんだ」
如月の言葉に、佳子は涙さえ浮かんでいそうなほど悲痛な目をして、彼を見据えた。
「私の目的は野放しのままの犯人を突き止めて、裁きを受けさせることなの。貴方の期待に応えられなくて申し訳ないけど、私は彼を殺さない」
はっきりと佳子は言い切り、その彼女の態度と言葉に、如月は面食らったように瞬きを数回して、やがて目を伏せた。
「そうか、そうなんだ。……お前には、正直がっかりだよ」
如月はそう言うと、捕えていた真吾を傍にいた春人に突き飛ばすように身柄を引き渡した。そして、彼女に何か渡すと、身を翻して去って行った。
慶三郎が部下に目配りして、如月も身柄を確保するように指示すると、如月の背を見送る佳子のもとへと足を運んだ。
「貴女が本物の佳子さん? すまないが、偽物たちをどうにかしてくれませんか?」
「え!? あ、はい、分かりました」
佳子は慶三郎の登場に驚いたようだったが、すぐに周囲にいた佳子と春人の偽物たちの姿を消してくれた。
真吾の身柄を押さえていた春人が本物で、義弟も如月も的確に本物の佳子を判断して、彼女の傍にいたことようだ。
仲間内でしか分からない、印でも付けてあったのだろうかと、慶三郎は不思議に感じながら口を開く。
「今回の騒動について、一上家当主である佳子さんにも、お話を伺いたいのでご同行願います」
周りには、部下たちに確保された親族たちが続々と集まっていた。佳子は慶三郎の言葉に素直に頷くと、春人に捕えれれている真吾に視線を送って、その表情を曇らせた。