復讐の時 5
「告発だと? 一族の当主でありながら、そのようなことを考えているとは。先祖代々守ってきた、この一上家を潰す気か!?」
元が憎しみを込めて佳子を睨みつけて来た。佳子はその目を呆然と見つめ返すことしかできない。
憎しみの対象は、彼ではなかった。本当の仇は、元の後方に座っていて、こちらに鋭い視線を投げかけている真吾だった。
「まさか、この男と勝手に婚約したのも、五月家と密かに手を組んでいたからなのか……!?」
元からの尋問に佳子は返答する気力が失われていた。周りの声は騒音として耳を通り抜けて、思考は全く別のところを彷徨っていた。
露わになった真実に、佳子は心の支えがぐらつくほどの衝撃を受けていた。
父を殺した犯人に復讐したい。その目的は今まさに果たされようとしているのに、皮肉なことに父が全てを投げうってまで得ようとした人物が仇だった。
何のための復讐だったのか。父は一族の悪しき因習から守ろうとした我が子に殺されてしまったのだ。そして、父の意思を継いだ佳子までも、一歩間違えば父同様に亡き者にされていた。
自分の子供を、家族を守りたい。その想いは、殺意を相手に抱かせる程、酷いものだったのか――。
気付けば、佳子の双眸から涙が溢れて、頬を流れ落ちていった。
父や佳子は、一体どこで何を間違えてしまったのだろうか。父が我が子を取り戻そうとしたのが、いけなかったのか。元が身ごもった父の恋人を隠し、二人を引き裂いたせいなのか。それとも、閉鎖的な一族の因習や、裏の家業のせいなのか。
(ああ、きっと恐らく全部――。)
歪んだ過去の事実は、徐々に歯車を狂わせてゆき、真吾に簡単に父殺しの凶行へと走らせてしまった。そして、復讐を誓った佳子が、結果的に彼を追い詰めることとなった。
元は何も答えようとしない佳子に苛立ったのか、忌々しげに舌打ちをした。
「元様、恐らく五月家はまだ確証を掴んでいないのでは? あの家なら我々の尻尾を掴んでいたら、嬉々として直接当家に乗り込んでくるでしょう」
真吾の献言に元は納得がいったのか、彼を見つめながら深く頷いた。自分の意見が聞き入れられたのに乗じて、真吾は元に徐々に近づいていった。
「彼女は自分の意のままにならない我々を破滅に追い込んで消し去り、彼との結婚を邪魔されずにするつもりなんでしょう。どうか、あの二人の始末は私にお任せください。駆け落ちして里から逃げたということにしておきます」
佳子は真吾の口から出た言葉に、再び衝撃を受ける。もはや彼は自分の前で取り繕うことをせずに、残酷な本性を露わにしていた。
真吾の提案に元の目が揺らいで、彼の躊躇いが手に取るように佳子には分かった。元は暫しの逡巡の後に意を決したのか、残りの側仕えたちに視線を送りながら、重そうに口を開く。
「二人を捕えて、牢座敷に閉じ込めろ。また、本家筋の家来もいたはずだ。同じように探して捕えろ」
元は手短にそう命じた。
その次の瞬間、春人が素早く立ち上がり、命令を受けて立ち上がろうとした側仕えたちに飛ぶように近づく。春人の手が目にも留まらぬ速さで、側仕えたちに何かしたと思ったら、あっという間に彼らの身体が床に崩れて倒れた。
「佳子さんには、手出しはさせません」
春人の真剣な表情は、射抜く様に元と真吾の二人の方へと注がれていた。春人の体躯からは、研ぎ澄まされた気合が発せられていて、それだけで彼の実力が垣間見られた。
「流石は奉納試合の優勝者というわけか。しかし、ここには当家でも優れた血筋の者たちが集まっているのだぞ。 多勢に無勢とはこのことだぞ」
下座にいた親族の男たちが一斉に立ち上がっていて、何か手に紙を持っている。
一斉にその紙から白い煙が上がると、妖怪のような異形の化け物が作りだされていた。何体もの異形が瞬く間に現れると、春人の逃げ場がないように取り囲む。
春人がそれらに気を取られている間に、真吾が素早く動いて佳子に近づいてきた。そして、彼は佳子が手にしていたきのこを強引に奪って、それを床に投げ捨てると、自分の足で踏み潰して、原型すら分からない程、ぐちゃぐちゃにしてしまう。
「きのこさん!」
流れるような真吾の動きに、茫然自失だった佳子は為す術もなく、ただ叫ぶことしかできなかった。そこで、自分の失態にやっと佳子は気付いて、正気を取り戻した。
佳子のために親切にも一緒に来てくれた妖怪を、全く守ることもできずに殺されてしまうなんて、自分の不手際に目を覆いたくなるほどだった。
悪しき因習や血塗られた家業を全て失くして、その因果に囚われている人を開放したいと、自分は願っていたではないか。自分の傷心にばかりに目を向けて悲しんでいては、全ては台無しになってしまう。今は自分のやるべきことをしなくては――。佳子は過去の決意を思い出して、気力を奮い立たせた。
「これで事件の証人も消えました。後は貴方がたの始末だけですよ」
父と同じ顔をした真吾が、冷笑を浮かべながら、佳子を見下ろして話していた。佳子が混乱していた中、真吾は着実に自分の目的を果たそうとしていた。
佳子の目の端に映る春人は、次から次へと作られる異形を相手に戦う破目になり、佳子の護衛にまで手が回らないようだった。
佳子たちを捕えて亡き者にすれば、真吾の悪事は全て闇に葬られる。最悪な真実を知った親族たちは、一族を裏切った佳子ではなく、一族を守ろうとして罪を犯した真吾の味方についた。一族が里により裁かれれば、自分たちもお終いだと分かっているからだ。
佳子は慌てて立ち上がると、目の前に立つ真吾から距離を取るように、後ずさった。
「今日は驚きましたよ。まさか反撃されるとは思わなかったものですから。貴女の能力を甘く見ていましたね。先代からの評価が悪くても、流石は当主という訳ですか」
真吾が悪びれもせず佳子に平然と話しかけて来たので、佳子は何か言わずにはいられなかった。
「真吾さん、貴方は何故こんな残酷なことを平気で行うのですか!? 父が貴方を大事にしたかった気持ちは、全く伝わらなかったのですか?」
佳子の言葉を聞いた途端、真吾は口の端を持ち上げて、嘲るような笑いを見せた。
「本当に、こちらが必死に断っているのに、人の話を全く聞かない思い込みの激しい方でしたね。あの無一文の男に、誰がついていくというんですか。思いつきの無計画な反乱に巻き込まれて、本当にいい迷惑でしたよ。まあ、貴女もあの男に似て、人を掻き回すのは得意みたいですが」
言われた台詞に、佳子は絶句した。一族のために父を殺したと表向きは言っていたが、本当は金銭の問題もあったのだと、彼の言葉から推測されてしまった。
ただ単に自分の利益のためだけに殺害を計画したのか。分家の資産管理を手伝っていると言っていた真吾は、認知上の父である元の資産も大体掴んでいた可能性が高い。高齢の元はこの先あまり長くはないだろう。だから、放っておいても実子よりは少ないとはいえ、遺産が転がり込んでくる目算だったが、認知が変更になれば全てはご破算になる。もしかして、そのためだけに父は殺されてしまったのだろうか。
会話していた真吾の手には、いつの間にか一本の紐が握られていた。それは生き物のように自由自在に動き出すと、素早い動きで佳子の上半身に巻きついて、両腕の動きを阻んだ。
「手が使えなければ、技も使えないですよね。このまま、大人しく捕まってくれませんか、佳子さん」
真吾が浮かべた一見優しげな笑みは、この時は背筋が凍りつくほど冷たく感じられた。彼は袖の袂から、いくつもの小さな紙が結び付けられた紐の輪を取り出した。まるで首輪のようだと思ったそれを、彼は佳子の頭を通して首にかけた。
さらに彼は懐から紙を取り出して、具現化の力を使いだすと、佳子の周りに檻のようなものが作りだされた。
「妖怪避けの呪いを首に掛けたので、使鬼は使えませんよ。とりあえず、今はこの中にいてください」
佳子の抵抗する術を奪い取ったと思っている真吾は、春人の方へと顔を向けた。
「五月君、君の婚約者は見ての通りです。君も無駄な抵抗を止めた方がいいのでは?」
真吾はそう言いながら、具現化の力で剣を創り出して、佳子に剣先を向けた。
倒しても次々と創り出される化け物を相手にしていた春人が佳子の方を振り返り、囚われの姿を見て戸惑った表情を浮かべた。
「春人さん、私に構わず逃げてください!」
「しかし……!」
春人が何か言葉を続けようとしたが、佳子の母が突然「佳子さん!」と叫びながら上座へと乱入して来たので、佳子の注意がそちらに奪われた。
母が真吾を押しのけて、佳子のすぐ側にまでやってきた。
「佳子さん、早くお父様に謝りなさい! 今ならまだ間に合うはずです! 一族に逆らおうなんて馬鹿な真似はお止めなさい! 貴女、このままでは殺されてしまいますよ!?」
必死の形相の母が、佳子とは縁切りだと言っていた母が、自分の命を惜しんでくれている。絶望のどん底にいたけれども、母の自分への愛情を、最後の救いのように見出すことが出来て良かった。
佳子はそれだけで嬉しかった。
「お母様、ありがとうございます。でも、私なら大丈夫です」
佳子は母にそう言って微笑みかける。そして、次の瞬間には佳子の身体を白い靄のような煙が包み込んだ。