復讐の時 4
白い毛が生えたように、不気味にも黒髪の上を白く覆われてしまった男がいた。
上座の一番近くに座っていた、元の側仕えのうちの一人。その男の傍に座っていた他の側仕えの男たちは、慌てて距離を置くように動き、何か話しながら異変が起きた男の頭を指差した。
それによって男は自分の異変に初めて気付いて、慌てて手で取り除き始めるが、もはやそれは手遅れだった。
周囲にいる者たちは、その男こそが父を殺した実行犯だと知ってしまったからだ。
「真吾さん、何故貴方が……」
佳子は目の前の人物を驚愕の思いで見つめ、やっと出た声は酷く掠れていた。
その声を合図に、忙しなく動かしていた真吾の手が止まり、顔を強張らせたまま首を下に垂れて、身動き一つしなくなった。
朝から考えていた、犯人についての推測。
今までの経緯と如月の話から、もしかしたら彼が犯人なのではないかと、佳子は思い始めていた。しかし、到底信じられなくて、その考えを頭から無理矢理追い出してしまった。
父と瓜二つの真吾が、あんな残酷なことをするなんて全く想像できなかったのだ。
優しく穏やかな物腰の彼は、亡くなった父を彷彿させて、佳子を傍にいるだけで慰めてくれた。だから、佳子は祖父の元が頑なに犯人だと思い込み、今でも真吾が今回の件に関わっているなんて、何かの間違いだと思いたかった。
「真吾、お前が今回の騒動の犯人だったのか! よくも勝手な真似をしてくれたな!」
元が真吾に向かって怒鳴った。その大声に驚いたように、真吾の両肩は微かに揺れた。
自分以外の者が犯人だと分かるや否や、いきなり強気の態度に戻った元を佳子は厭らしく思う。
「今まで目を掛けてやったのに、私に恥をかかせるとは! お前のせいで、こんな事態になったのだぞ!」
元の責め立てる声にも、真吾は顔を下に向けたままだった。彼の打ち拉がれている姿は、犯行が露見して素直に観念しているように見えた。
真吾は本当に殺害に関わってしまったのだろうか。彼の口から否定して欲しい。まだ僅かに希望を捨てきれない佳子は密かにそう願っていた。
その時、真吾の口から嗚咽の様な声が漏れ出してきた。彼が罪に苛まれて泣き出したのかと、佳子は彼の気持ちを認識していた。
ところが、泣き声かと思った真吾の声は段々と大きくなり、やがて肩を震わせながら、それは笑い声へと変化していく。
佳子の記憶を揺すぶられる、耳を突くような嘲るような笑い声。父の魂を消し去りながら、黒装束の男が嘲笑していた光景が、佳子の脳裏に一瞬で再現された。
(間違い無いわ、あの時と同じ声――!)
そう感じて、佳子の背筋に悪寒が走る。真吾が犯人だったと確信してしまったからだ。
如月が気まぐれに佳子の家に遊びに来ることも、春人が日曜日に訪問することも、佳子がスーパーで働いていることも、真吾は全て知っていた。
真吾に色々と尋ねられた時に、自分に関心を持ってくれたと、佳子自身が嬉々として正直に話したからだ。その情報をもとに、彼は佳子に対する妨害工作を行ったのだ。
さらに、真吾と食事して別れた後に、看板が佳子に落下してきたのも、近くにいた彼なら簡単に仕掛けられたに違いない。
優しく柔和な態度の裏に、真吾は一体どれほど恐ろしい考えを抱いていたのか。
皆が注意する中で、真吾は緩慢な動きで顔を上げて、元へと向き直った。元を見つめる真吾の表情は歪んでいて、まるでとても傷ついているようだった。
「元様、今回も私のことを庇ってはくれませんでしたね。犯人が貴方ではないとしたら、私しかいないと貴方なら察したでしょうに。あの時も……、あっさりと本家に私を売り渡して、守ってもくれませんでした。血筋ばかりの父親から私のことを守ってくれれば、今回のことは起きなかったのに」
「何を言う! 私は上に立つ者として、一族を守るために苦渋の選択をしたにすぎない。お前だって私がどれほどこの家のために腐心してきたか、知っているだろう!」
「ええ、よく存じていますとも。だから、私は貴方を尊敬して認められたかった。それなのに、結局のところ、貴方は私のことは都合の良い道具としか見てくれませんでしたね。隠し子というだけで、一族の中でも表立って存在することを許されず、日陰の身でしたが、それでも貴方を信じて従ってきたんですよ。いつかは、この家で貴方の子供として私の居場所が作られることを信じて!」
真吾の悲痛な告白から、彼の置かれた立場がいかに辛いものだったか、佳子は察することができた。
元もそんな彼に後ろめたく思うところがあったのか、怒りの表情が気まずげなものへと変化していった。
「しかし、身内を、しかも本家の人間を殺していい理由にならない……」
「ええ、確かに私がしたことは決して許されることではないでしょう。しかし、あの男のしたことは絶対に許せなかったんです。貴方が守ろうとしたこの家を盾に脅迫したことも、私の言い分を全く聞かずに、強引に認知を変更しようとしたやり方も!」
真吾の叫びが佳子の胸に突き刺さるようだった。
父は確かに強引な方法で我が子を得ようとした。愛した女性を隠された上に、実の子である真吾の存在すら知らされなかったことに父は憤怒して、一族と縁を切る覚悟で、あの交渉にあたった。
一族から真吾を引き離さなければ、自分と同じように彼もずっと汚れた仕事をやらされ続ける。それが分かっていた父は、あんな手段に出たのだ。
後できっと彼も分かってくれる。その思い上がりとも言える献身が、仇となって返されてしまった。
何故、こんな惨劇が生まれてしまったのか。佳子はこの現実を受け入れることが出来ずに、荒れ狂う感情の波を胸の中で押さえるので精いっぱいだった。
「先代の健一さんを殺したのは、恨みだったということか……」
「はい、そうです」
「しかし、佳子を襲ったのもお前か? 犯人は右腕に怪我をしていると聞いたが……」
元の言葉を切っ掛けに、真吾の右袖をすぐ横にいた他の側仕えがめくったところ、包帯が巻かれた腕が出て来た。
その腕を見て、佳子の心は絶望で染まる。佳子を襲撃した犯人も、真吾だったのだ。
まざまざと証拠を見せられて、あの冷酷な犯行が彼の手に寄るものだと判明したが、佳子はそこまで自分が恨まれていたのかと思うと、悲しさと苦しさで頭が真っ白になった。
「何故佳子まで殺そうとする必要があるのだ! 彼女が死んだら、直系の正統な血筋が失われてしまうのだぞ!」
真吾を責める元の声が再び厳しいものへと変化した。
「しかし、彼女は何か企んでいるようでした。まるで一族の存続を危ぶませるような、含んだ物言いをして! 父親と同じように私の認知についてまで言及してきたので、父親と同様に彼女も何か元様に対して脅迫をしようと考えていると思ったんです!」
真吾の台詞を受けて、元が佳子の方へと視線を向けてきた。
「真吾の言っていることは本当か? そういえば、この騒ぎの目的について、真実を知ることと復讐と言っていたな。復讐とは一体何をするつもりだったんだ!?」
急に話を振られた佳子は、真吾の件で混乱した思考回路の中、動揺を隠しきれないまま、答えを口にする破目になった。
「わ、私は掟破りを里に告発しようと……」
動揺していた佳子の声は覇気のない弱々しい口調ではあったが、一族にとっては恐ろしい内容であった。その佳子の台詞に、元の表情が恐ろしげに歪み、周りからは他の親族たちの動揺した声が広がる。
一族の反感が、敵意が、真吾ではなく佳子に変化して切り替わったことに、混乱の渦中にいた佳子は漠然と感じた。




