復讐の時 1
ここからは途中予告なく残酷なシーンが入るかもしれないので、ご注意ください。
佳子の母が去った後、重い雰囲気が部屋を支配していた。
何とかそれを払拭しようと、佳子は無理にでも笑顔を作り、春人に辺りを散策して下見をしようと提案した。
正と佳子は分家に何度も来ているので、建物などの位置確認は問題ないが、春人は初めて訪れたのだ。地図が春人の頭の中に入っているとは思うが、実際に歩いてみて少しでも慣れた方がいいだろうと考えてのことだった。
春人も佳子と同じ考えだったのか、真面目な顔つきになって了承した。
建物の周りを歩きながら、佳子は春人に状況を説明していく。
今晩集会をする建物を示しながら、春人と小声で話していると、賑やかな男女の声が佳子たちのもとまで届いてきた。
佳子が声をした方を振り向くと、和服姿の大柄の男と髪の長い女が渡り廊下を歩いているのが見えた。男の方は知った顔の高志だった。
会うと気まずい相手だったので、佳子たちは彼らをやり過ごそうと物影に身を隠す。
幸いなことに、上機嫌な高志はその女に話しかけるのに夢中で、佳子たちに全く気付いていない様子だった。
こちらに背を向けている女は、高志の話を嬉しそうに相槌を打ちながら聞いていて、その度に艶の垂れていた長い髪が背中で揺れていた。
体格の大きい高志に負けないくらい、その隣に並ぶ女も、女性にしては背が大きい部類である。二人並んで見ると、大きさは似合いかと思われた。
先程、他所者の美女を屋敷に高志が連れ込んでいると、佳子は母が話していたのを思い出す。その女性が美人と聞いていたのに、佳子から彼女の顔が見えないのが残念である。
クリスマスイブに高志と会った時に、散々佳子は面食いだと罵しられていた。その非難した当人の高志といえば、鼻の下を伸ばして美人と思われる女性にご執心な様子。如月に彼以上の美貌の持ち主の女でも紹介してもらったのだろうか。佳子は呆れ返るしかなかった。
高志は自信満々に一族の栄華を女に語り、気を惹かせようと試みていた。
これ以上、佳子は高志たちを眺めている気になれず、春人と二人でその場を後にしようとした時、その彼女がこちらを振り返った。
佳子はその女性を見て、その器量の素晴らしさに驚く。如月と同等、いやそれ以上かもしれない美貌。佳子は純粋に感心した。が、しかし。その女性の顔をどこかで見た覚えがあると感じた佳子は、次の瞬間に声を上げそうになるのを必死に堪える破目になった。
化粧を施して、美しく着飾ったその女性は、如月本人だと気付いてしまったからだった。
佳子の驚愕の表情に気付いた如月は、佳子にウインクして、すぐに顔の向きを高志へと戻す。
今は他人のふりをしろと彼の仕草は語っていた。
一体、どういう風に如月が屋敷に侵入するのかと気にはしていたが、女装して高志を騙して、堂々と案内までされているとは、佳子の想像を上回る手段である。
正直、佳子は開いた口が塞がりそうになかった。
恐らく、如月に目の力を使われて高志は惑わされているのかもしれないが、過去に二度も自分を殴った男の女装に懸想するとは、佳子は高志が大変不憫で仕方がなかった。
一族の集まりの時間が近づき、部屋で待機していた佳子を女中が呼びに来た。
正は周囲の警備の様子を探ってくると言って出かけていたため、部屋には佳子と春人の二人きりだった。
佳子が春人を伴って移動しようとすると、女中が「お連れ様はご遠慮くださいませ」と口出ししてきた。
「貴女の指図は受けませんが」
この時ばかりは、一族の当主としての立場を盾に、佳子はせいぜい偉そうに反論してみた。
「ですが、お連れ様の席はご用意しておりません」
女中は弱腰ながら言い訳を続けて来たので、佳子は鋭い目線を投げつけた。
「結構です。彼を皆に婚約者として紹介するのが目的なので、もてなしを受ける予定ではありませんから」
それでも躊躇して先へ案内しようとしない女中を無視して、佳子は春人を連れてさっさと歩き出す。そうすると、 お待ちくださいと言いながら、女中は慌てて佳子たちを追い掛けてきて、本来の案内の仕事を務め出した。
毎年大広間で行われる集会の場所は、先程の下見の時と違って、裏の方では使用人たちの出入りが激しかった。集会の後に、宴が予定されていたので、その準備で忙しいのだろう。
佳子たちは女中の案内で正面の入口から入って行くと、木と畳の匂いが鼻をかすめた。
大広間は、畳が広い部屋に敷き詰められた和室であり、冬の時期の為にストーブが隅に所々置かれていた。既に一族のほとんどの者が、下座の席に左右縦一列に座っていて、佳子たちの出現に一斉に顔を向けてきた。そして、佳子の想像通り、他所者の春人の登場に非難する声が聞こえて来る。
佳子たちは、まだ誰もいない上座へと案内された。
一族の集まりの中では、上座の中央に分家の主である一上元が座り、そのすぐ脇に当主が並ぶ。
当主としての立場にいながら、実質的な権力は分家の主が握っていて、席の位置ですらそれを物語っていた。
佳子は自分の隣に春人に座って貰った。後は、分家の主の元が来るのを待つのみである。
その間に、佳子は今日集まった親族の顔ぶれに視線を送った。血縁順に席が決まっており、左右二列に前から並んでいた。左側の一番前に佳子の母とその婚約者が座っていて、母は佳子と目が合うと不愉快そうに視線を逸らした。
右側の手前の席には、元の嫡子たちが座っていた。
真吾の姿は見えない。庶子はこの集まりに出席する資格がないため、彼を見かけたことが一度も無かった。
その後ろの席には、さらに血縁者が続いてゆき、後ろの方に高志の姿が見えた。佳子のように慣わしを破ってまで、女装している如月を一族の大事な集まりに連れて来るような真似はしていないようだった。
どこかで如月が待機している。
妖怪での撹乱作戦が失敗に終わったので、手段に問題はあったが、如月の屋敷への侵入が上手く行ったのは、幸いだった。
そうして待っている間に、元の到来を告げる声が聞こえて来た。元は側仕えを数人引き連れて、堂々と大広間に入ってきた。