分家への訪問
軽い昼食を佳子は五月家で頂いた後、お見合いの時と同じ背広に身を包んだ春人と二人で二木家へ車で寄った。
それから皆で正の車に乗り込んで、三人は一上家の分家へと向かう。
分家の敷地は広大だ。
全体を堅固な壁で囲んでいて、不法な侵入から守っていた。
そのため、正門からしか車は出入り出来なかったので、そこにいる門番の許可を貰って通らなくてはならなかった。
佳子たちの車の前に、警備員の一人が棒状の誘導灯を提示して、停止するように促す。
もう一人の警備員が運転席に近づいてきたので、運転手の正は佳子から受け取っていた招待状を提示する。
警備員が名簿と照合するが、招待されていない春人の存在に、残念ながら気付いてしまった。
「すいません、そちらの男性はご遠慮いただけないでしょうか。招待状に記載されていない方は、当家に招き入れられません」
警備員は春人を真っ直ぐ見つめながら、そう言った。
口調は丁寧であったが、はっきりとした物言いは、融通が全くききそうになかった。
「招待状に載っていないのも当たり前です。彼は一上家当主である私の婚約者で、今日は一族の皆さまに彼を紹介する予定なんです」
「しかし、招待状に載っていない方をお通し出来ないのは決まりなので……」
「彼と一緒でなければ、私も引き返します。そうなれば、大事な集まりに当主不在ということになりますね。理由を問われれば、門番に追い払われたと答えますけれども、そうなれば貴方も立場がまずくなるのでは?」
佳子は自分の主張を通すために、わざと意地の悪い言い方を選んでいた。
門番は警備の上で大事な仕事だが、地位としては佳子の喧嘩を買うだけの立派なものではない。
佳子の想像通り、警備員は困った表情を浮かべて、「少々お待ち下さい」と上の者に相談するためか、少し離れたところで持っていた無線機で誰かと会話を始めた。
すぐに会話が終わると、警備員は「どうぞ、お通りください」と許可をこちらに与えて、車を停止させている相方に通過の合図を送った。
佳子たちを乗せた車は、一上家の屋敷に侵入して、駐車場へと進んで行った。
降車して荷物をトランクから降ろしていると、屋敷の方から下働きの男がやって来た。
慣れた手つきで荷物を代わりに持ってくれると、そのまま佳子が滞在する部屋まで案内してくれた。
佳子は如月から借りた盗聴器型イヤリングを身につけて、準備をする。
当の如月は今頃どこにいるのだろうかと、佳子は彼のことを考えていた。
「如月、聞こえている? 今、屋敷に入ったわ」
一方的に佳子の声を届けることしかできない。
きちんと受信可能な状態になっているのかどうか、確認が取れないため定かではない。しかし、彼は必ず敷地に侵入して、佳子を見守ってくれているはずである。
如月は今日会おうと言って最後に別れた。彼が口にした約束を違えるはずがないと、佳子は信頼していた。
着いたばかりで落ち着かないというのに、佳子の母が般若のような形相で現れた。
母は引き戸を行儀悪く物凄い勢いで開け放って、部屋の中に我が物顔で入ってきた。それから、春人と正の姿を目に留めて、真ん中の卓袱台の側で正座していた佳子を立ったまま見下した。今日の母は、見るからに立派な留袖を身に着けている。
「佳子さん、婚約者を連れて来たってどういうことですか!? 他所者を当家に入れるなんて、以ての外ですよ!」
「あら、お母様、こんにちは。もうこれ以上一族に勝手に婚約者を決められないように、私の方からきちんと話をつけようと思って、わざわざ春人さんにまで来ていただいたんですよ。高志さんも私との縁談を無かったことにしたいと言ってくれたんですが、お母様はご存知ですか?」
佳子の返事を聞いて、母の怒りはさらに膨れ上がったようで、眉間に深い皺が刻まれた。
「ええ、高志さんといえば、彼にはがっかりですよ! 真面目で実直な方だと思っていたのに、とんでもない美女に魅入られて、貴女みたいに他所者を屋敷に引き込む始末なんですよ。ですから彼との縁談が終わってくれて、結果的に良かったと思いますわ。貴女も彼が気に食わなくて抵抗していたんでしょう? もう次の婿候補は決まっていますし、今日はその話を皆の前でするつもりだったんですよ。 五月家の人間は、今すぐお引き取り頂いて頂戴!」
母の剣幕と淀みなく話す滑舌の良さに佳子は気圧されてしまったが、母に流されないように佳子はただ黙って首を横に振った。
色々と追及したい話の内容ではあったが、母とのこれ以上の話し合いは無意味だ。
結局どんなに言葉を尽そうとも、お互いに辿り着きたい結論には到着することはない。
(母とは決して分かりあえない――。)
そう諦めてしまえば、佳子は母に理解してもらおうと無駄に言い募る必要は無かった。
「お母様のお言葉に従うつもりはありません。私はお母様の理想通りの子供にはなれません。ですから、私をこれ以上どうこうしようとするのは諦めてください」
佳子は母を見つめながら静かに結論だけ伝えると、娘の調子がいつもと違うと母は察したのか、強張った顔が僅かに動いた。
「貴女、何をおっしゃっているの? 私が貴女を見放したら、今の貴女は一上家ではお終いですよ? 当主の座を、あの家を追われてしまっていいのですか!?」
切り札と言わんばかりに、母は佳子を追い詰めるような言葉を選んできた。佳子自身はもう既にそんな物に固執していないというのに、そんなことに母は気付いていない。
「全て覚悟の上で、逆らっています。お母様の庇護はもういりません。どうぞこのままお引き取りください」
佳子の頑なな拒絶に母は顔色を失った。母娘の関係に亀裂が入っているのをようやく感じたのかもしれない。母は何か言おうと口を開いたが、後に続く言葉を発することはなかった。
母はただ悲しみに顔を曇らせて、驚くことにその双眸から涙を流していた。
佳子は母の涙に動揺して胸に痛むものを感じたが、母の期待に応えられない以上、自分が母を慰めることはできなかった。母の嗚咽だけが、部屋の中にしばらく響き、その無言の重圧に佳子は耐えていた。
「誰が腹を痛めて貴女を産んだと思っているのですか……!」
母は泣きながら恨み事を語りだし、佳子はそれに返す言葉が無かった。。
「誰が貴女をここまで育てたと思っているの!」
母の佳子を見る目が、今まで以上に恐ろしいものだった。
「この、親不孝者! 貴女みたいな子供とは、もう縁切りです!」
母はそう言い捨てると、佳子たちのもとから逃げるように去って行った。
佳子はその母の背中を黙って見送り、湧き上がる感情を抑えるために唇を噛みしめた。
これでもう二度と母に煩わされることはないと思いながらも、終わってしまった親子関係に佳子は痛嘆せずにいられなかった。
本当にこれしか方法が無かったのか、佳子の中で悔いが無い訳ではない。母に自分を理解して欲しいと云う、誰しもが持っているであろう子供の望みが佳子にもあった。
しかし、親子の良好な関係を築くには、子供だけの努力ではどうしようもない。自分で切り捨てた母からの愛情は、歪んだ物だったと感じながらも、それでもそれを失ってしまうと、胸中には酷く喪失感と罪悪感が残っていて、それが佳子を苦しめていた。
(お母様、ごめんなさい――。)
傷心の母の側に恋人がいてくれてよかった。
自分の代わりに、母を支えて欲しいと、他人任せになってしまうが、佳子はそう思わずにいられなかった。