予想外のクリスマス 4
残酷シーンがあります。
「邪魔したかったって……、如月はまだ私たちのことを認めてくれてなかったのね」
以前、春人のことを疑い、忠告をしてきた如月だったが、もうその問題は解決しているものだと佳子は思っていた。
如月は春人と二人で楽しそうに修行していた。さらに、交際について特に話題にも触れて来なかったので、もう如月には何の蟠りもないものだと、佳子は勝手に決め付けていたようだ。
親しい友人に歓迎されず、佳子は悲しい気分になった。
「認めてないって云うか、そう云うんじゃないんだけど。俺は……」
如月は言いかけて、途中で口を閉ざしてしまった。
彼のいつもと変わった態度に佳子は気付き、どうしたものかと覗き込むように彼の顔を見る。
視線が絡まる様に合わさって、呼吸を飲みこんだ彼。その彼の瞳が、一瞬揺らいだ気がした。
如月に身体を掴まれたと思ったら、佳子の視界があっという間に転回して、背中に畳の冷たい感触がした。
佳子の顔へ間近に迫る、痛ましい表情をした如月の顔。
肩に重く圧し掛かる彼の手で、佳子は自分が彼によって床に倒されて、押さえつけられているのだと気付いた。
「俺はお前が欲しかったんだよ。そのためにお前に近づいて色々としてきたつもりだったのに。それなのに、他の男にまんまと奪われた時の衝撃と言ったら、お前には想像できる?」
話しながら彼は笑っていたが、その目は鋭く佳子を射抜いているようだった。冷酷にも感じられるその厳しさに、佳子は背筋が寒くなるのを感じた。
曖昧な言い訳を許さない、彼の内なる怒りがひしひしと伝わってくるようだった。
「如月……」
如月は佳子に名前を呼ばれると、薄く笑みを浮かべたまま、佳子の髪を梳いて一房掴んだ。
髪から伝わる彼の感覚に、神経が集中して、心臓の鼓動が跳ねた。
「ごめんなさい。知らなかったとはいえ、貴方を傷つけていたみたいで……」
佳子は激しく動揺して、謝るので精一杯だった。
いつも佳子をからかって遊んでいた如月が自分に特別な感情を抱いているなんて、思いも寄らなかった。
彼は人外の存在だから、その理由だけで他の妖怪のように佳子に近づくのかと考えていた。
(それに、彼は――。)
「俺が先に告白していれば、良かったのかな? そうすれば、今頃お前を抱いていたのは俺だった?」
髪に触れていた如月の指先が、佳子の頬をゆっくりと撫でるように動いて、唇に辿り着く。
その手を退かそうと、佳子が腕を動かしたが、如月にその動きすら抑え込まれた。
「止めて、如月……」
力づくで身体の自由を奪われて、佳子は恐怖すら感じるようになっていた。
これ以上、何か無理矢理されたら、今までの彼との関係は終わってしまう気がした。
どうか、正気に戻って欲しい。必死に訴えるように如月を直視すると、佳子を掴んでいた彼の手が少し震えた気がした。
そして、思い詰めていた彼の表情が崩れて、一瞬苦しそうに顔を歪めた気がした。
彼がすぐに佳子から顔を背けて、ゆっくりと佳子から離れて行ったため、彼が現在どんな心境でいるのか、佳子はよく分からなかった。
「ごめん、怖がらせたよね……」
謝罪を述べる如月の声は、穏やかなものに戻っていて、平静になっているようだった。
それに佳子は非常に安堵を覚えて、強張った身体から力が抜けるのを感じた。
佳子は上半身を起こしながら、「ううん、平気よ」と答えて、俯き加減の如月を見守った。
「今言ったことは冗談ではなくて、本気なんだ。だから、俺のことを改めて考えてほしい。それから、答えを聞かせて?」
如月は一方的にそう言うと、佳子の返事を待たずに「それじゃあ、例の日に会おう」と、佳子のもとから去っていった。
春人は酔っ払って寝てしまったが、やっと恋人と二人きりになれたのに、色々なことが起こり過ぎて、佳子はときめきとは程遠い心境だった。
恋人との甘い時間を予定していたのに、予想外のことが起こり過ぎていた。
佳子がふと窓から外の景色を眺めると、白い雪が空から舞い降りていた。
儚げなその雪は、地面に落ちても積もること無く、すぐに消えて闇に紛れていた。
翌朝、佳子が目を覚まして起きると、居間で暗い顔をした春人と対面した。
どうやら彼は朝までぐっすり眠ってしまっていたようだった。
「寝てしまって、すいませんでした……」
春人は大変申し訳なさそうにしていた。
いつも身嗜みの良い人なのに、寝ぐせがついた寝起き姿の春人が新鮮で、佳子は思わず笑みが零れた。
「昨日の雪を見損ねてしまいましたね」
「降ったんですか?」
春人はそう言って、視線を窓の外にある庭へと向けたが、濡れた地面が朝日の差し込みによって反射しているだけで、何も雪の名残が無かったため、佳子の言葉には信憑性が薄かった。
「ええ、ほんの少しだけ。大雪になって帰れなくなったらどうしようかと思って、心配だったんですけど、大丈夫だったみたいです。あの、隣に布団を用意した理由って、実はそれだったんですよ」
やっと本当の事情を春人に説明できて、佳子の胸の痞えが下りて、すっきりとした。
ところが、それを聞いた春人は、あからさまに動揺して、「そ、そうだったんですか」と上ずった声で返事をしていた。
それを見て、佳子は少し申し訳ない気分だったが、誤解をされたままだともっと困るので、仕方がないことだと思うことにした。
佳子はそんな彼へ用意していたプレゼントを渡した。事前に何も言っていなかったので、貰えると思っていなかったのだろう。春人はすごく驚いて、そして喜んでいた。
「すいません、私は何も用意していなくて」
「いいえ、いつも春人さんにはお世話になっているので、お礼です! 気に入ってもらえるといいんですが……」
春人に贈ったのは、ブランド物の五足の黒い靴下だった。春から社会人として働くのだから、スーツに合いそうなものを選んだ。ちなみに五足なのは、一週間分と思ってのことだった。これから無難に使ってもらえるだろうと佳子なりに考えた品物である。
機嫌がすこぶる良くなった春人と、佳子は一緒に朝食を取った。
その後、彼はすぐに帰宅すると言い出して、寂しい気持ちを抑えながら、佳子は彼を見送ることにした。
玄関へ向かう春人の背中を、佳子は切ない思いで見詰めた。お互い遠距離なため、仕方がないとはいえ、別れる瞬間は引き裂かれるような気持ちになってしまう。しかも、今回は折角会えたのに、佳子のせいでイブの予定は狂ったようなものだった。
全てが落ち着いたら、もっと彼と向き合う時間を増やそうと前向きに考えて、佳子は気持ちを切り替える。
帰り際に春人は佳子を胸の中に抱きしめてくれた。それだけで、佳子は幸せに包まれる。佳子は目を閉じて、彼の気配に全ての意識を向けた。
春人に触れられるだけで、心臓が締め付けられるように苦しいほど鼓動が激しくなる。佳子は大事な父を失ったけれども、愛しい恋人を得ることができた。彼の優しさにどんなに佳子が癒されただろう。人の温もりは、何物にも代えがたいものがあった。
春人は名残惜しそうに佳子を離すと、見つめながら口を開いた。
「いつまでも貴女と一緒にいることができればいいのですが、まだ私が学生なばっかりにすいません」
「い、いいえ! 仕方がないですよね。私が遠いところに住んでいるのもありますし!」
佳子は自分の気持ちが春人に駄々漏れだったのかと焦ったが、ただ単に彼もも同じ気持ちでいたのだと気付くと、そのことが非常に嬉しかった。
佳子の顔に自然に笑みが浮かんで、春人もつられるように微笑んだが、ふいに表情を消した。
「あの……、実は、全てが落ち着いたら、相談したい事があるんです」
春人が突然真剣に話し出した上に、重大な告白を予告するような言い回しに佳子は驚く。
「今では駄目なんですか?」
「はい、今は佳子さんが大変ですから。全て片付いたら、聞いていただけますか?」
「もちろんです!」
佳子はその内容が非常に気になったが、彼が自分を頼りにして相談したいことがあるということが、密かに嬉しかった。
それから数日が過ぎ、とうとう明日佳子が里へ行く日になった。正が車を出してくれるので、それに同乗させてもらう予定である。佳子は色々と準備を整えて、早めに就寝をした。しかし、佳子は興奮して眠つけない。
ようやく父の仇が取れるという気負いと、全ては佳子に懸かっているという、心配と不安が入り混じった感情がいつまでも胸の中で騒めいていた。
佳子はベッドの上で身体の向きを変えて、暗闇に覆われた自分の部屋を眺める。
家族と共に過ごした我が家で、心を温かくしてくれる思い出のほとんどは、父と過ごした時間だった。
佳子のどんなに些細な話にも父は耳を傾けて聞き入れて、一緒に何でも共感してくれた。
父は優しさで包んでくれて、佳子にとって自分の支えとなる人だった。しかし、あの父が亡くなったという一本の電話から、佳子の悪夢は始まった。
絶望からここまで這い上がって来られたのは、如月が佳子に目標を与えてくれたから。悲しみを憎しみに感情を変換させて、それを心の拠り所としてきた。
復讐を成し遂げた後に、佳子への風向きが悪くなるのは簡単に想像できた。里の人間からも、一族からも悪しざまに罵られる覚悟でいたが、それでも精神的に苦しいものに違いない。それでも佳子の味方となってくれた正には、感謝の言葉もない。
偶然の出会いから佳子に手を貸してくれるようになった如月の存在も、佳子にとっては大事なものだった。
そんな彼が、自分に特別な想いを寄せていたのを知った時は、仰天してしまったくらい、予想外のことだったが。
如月は自分のことを改めて考えてほしいと言っていた。
自分が漠然と感じた彼への所懐を、どのように言葉を選んで話せば、彼に誤解なく伝わるだろうか。何故、如月とは想いが通わなかったのか、彼にきちんと話さなくては、彼も気持ちの整理がつかないだろう。
今はそれに気持ちを割けるだけの余裕が佳子にはなかったため、後回しになっていたが、落ち着いたら彼とじっくり話し合いたいと考えていた。
そんなことを考えていたら、いつの間にか、佳子はうとうとと眠気を催していた。
真っ暗な佳子の部屋は、物音なく静まり返っていた。
ベッドには寝息を立てて、安らかに眠っている佳子の姿があった。
その部屋の閉められた窓の隙間から、薄っぺらくて細長い紙のようなものが入ってきたと思うと、鍵まで伸びてきて解錠した。
そのままそれは静かに窓を開けると、再び外へと戻っていった。
その後に、気配を殺して窓から入ってきたのは、黒いお面を被った和服の黒装束の人間だった。
大きさや体つきから男と思われ、佳子の父を殺した者と同じ格好をしていた。その侵入者は身動きしているのに、不気味なほど全く物音を立てなかった。
その男がベッドで身体を丸めて眠る佳子の側に立つと、襟元から手を入れて、服の中から一枚の紙を取り出した。
その紙から白い煙のような物が上がり、男の手元には一本の剣が握られていた。
研ぎ澄まされた刃は、何でも切り裂けそうな程に鋭く、その刃物の先端は細く尖っていて、それに刺されでもしたら相当の痛手を負うのは確実だった。
侵入者はその剣の柄を両手で持って、剣先を寝ていて無防備な佳子へと向けると、躊躇いも無く剣をその身体に突き刺した。




