祈るような気持ち
理性では母の言うことを信用してはいけないと、佳子は分かってはいた。
母は春人と佳子を別れさせたい一心で、事実を捩じ曲げて佳子に不信感を与えるように情報を伝えたのは、明白である。
それを理解していても、隠し撮りとは云え、里香と春人が親密にしている様子を見知ってしまうと、嫉妬心からなのか、佳子には不安な気持ちが芽生えてしまっていた。
それこそ母の思惑どおりなのかもしれない。しかし、佳子は自分よりずっと可愛い女の子たちと遊んでいる春人の姿を見て、どうして自分を好きになってくれたのか、愛されている自信すら無くなっていた。
最近の春人は、佳子より如月と一緒にいる方が楽しそうだった。キスもしてくれなくなっていた。
それは春人の佳子に対しての愛情が薄れてきている証拠かもしれない。もしかして、告白すら、一時の気の迷いだったのかもしれない――。悪い方へと考え方が傾いてしまって、佳子は泣きそうになっていた。
そんな最悪の心境の中、春人から電話が掛かってきた。
用件はクリスマスのことだった。
今年のイブは土曜日と重なっているので、その日に会えたらいいなと、彼からのお誘いだったのだ。
恋人同士の大事なイベントを気にかけてくれている――。佳子の胸中は、雲に隠された太陽が現れたか如く、一瞬にして心は晴れ渡り、明るい気持ちになった。
「ええ、私もお会いしたいです!」
春人と話すうちに、彼が佳子を裏切っているなんて嘘だと堂々と胸を張って思えるようになっていた。
まだ先のことだと云うのに、クリスマスが楽しみになってきて、仕方がなかった。
気持ちが落ち着いてきたので、佳子は母との一件を春人に話すことにした。隠し撮りされているということは、ずっと彼の行動が見張られているということなので、注意をしておかなくてはならないと気付いたからだった。
全てを話し終えた時、春人は誤解を与える様な行動をして申し訳ないと謝ってくれた。そして、その事情を丁寧に説明してくれる。
抱き合っている写真は、ただ単に大橋に無理矢理抱きつかれただけが真相だった。
ボーリングで大橋がストライクを出した時に、周囲はハイタッチをして盛り上がっていたので、春人のところにもハイテンションな彼女がやって来たらしい。春人も状況に合わせてお互いの手を軽く触れ合った時、彼女は突然奇声を上げて春人に抱きついて来たようだった。
予想外のことで、春人もどうすることが出来なかったと困った様子で教えてくれた。
次に腕を組まれている写真は、ただ単に春人は大橋の彼氏の振りをしただけだという。彼女が男にナンパされていたところ、たまたま通りかかった春人に、彼女の振りして春人の腕に纏わりついてきて、ナンパを追い払ったのだ。
面倒なことになるのを避けるために、春人は少しの間だけ我慢して腕を組んでいたと話してくれた。
春人が毎日大橋と家で会っていたのも、彼女の試験勉強を手伝わなければならない状況にあったからだ。
叔母さん直々に大橋のことを頼むと言われて、春人は断れなかったようだった。
それら全てに佳子は耳を傾けて、その彼の態度に裏や嘘があるように思えなかった。彼と直接話すことが出来れば、不安なんてすぐに霧散してしまう。やはり止む負えない理由があったのだと安心して、母の策略で春人を僅かでも疑ってしまった自分を佳子は恥じた。
「私の方こそ、母のせいで隠し撮りされてすいませんでした。こそこそ見張られるなんて、気持ち悪いですよね」
「いいえ、佳子さんと付き合える幸せに比べたら、そんなの全く気になりませんよ」
春人の揺るぎない愛情を佳子は感じることが出来て、電話が掛かってくる前の落ち込んだ状態は嘘のようだった。
また日曜日に会いましょうと、別れの挨拶で電話は終わった。
先週と同じように、日曜日に協力者たちが佳子の家に集まってくれて、打ち合わせを行った。
母から貰った招待状には、日時が十二月二十八日の十八時と書かれていた。
その日が決起となることを佳子は皆に伝えた。
如月が持って来てくれたイヤリング型の盗聴器を装着してみたり、必要と思われる品物を佳子は各々に配ったりした。
当日には分家に佳子と春人と正が訪ねることとなり、それからは連絡が取れなくなる。
如月は独自に分家に侵入して待機してもらい、事の成り行きを見守ってもらうしかない。
ぶっつけ本番の復讐がどのように進むのか、誰も予想がつかないため、それぞれの運と実力を信じるしかなかった。
「敵は何をしてくるか分からないから、みな用心を怠らないように。特にお前は妖怪たちにも頼んで、山に侵入してくる者にも警戒して当日まで過ごした方がいいよ」
如月は佳子を見つめながら、そう忠告してきた。
「そんなに警戒が必要かしら? 分家にいる母には、集会に出席すると連絡をしたし、それまでは安全だと思うんだけど」
わざわざ佳子が出向いて、分家の主に挨拶をするということは、恭順の意を示す気持ちがあるという風に普通は捉えるだろう。分家としても、佳子がそこへ参加することは歓迎のはずだ。
そこまで敵が追い詰められて行動してくるとは思えなかった。
「敵が分家の主ならそれで片付くと思うんだけどね……」
如月の不可解な台詞に、佳子は怪訝な表情を浮かべる。
「如月、一体何を言っているの?」
「あくまで俺の推測なんだけどね。今回の父親を殺した容疑者なんだけど、分家の主しかお前は思い浮かべなかったけれども、実際はもっといるんじゃないのかな?」
如月の質問に、佳子は衝撃を受けて言葉を失う。
「如月さん、いきなり何を言い出すんですか? 今頃になってそんなことを言い出しては、復讐の計画は中止になるじゃないですか!」
春人が理解できないといった様子で言い募った。まるでそれは佳子の気持ちを代弁してくれているかのようだった。
如月は春人の言葉を予想していたようで、落ち着いたままで言葉を続ける。
「佳子の父親は脅迫してまで、子供の認知と妻の離婚を要求した。その脅迫は一族の存続を危うくさせるもので、それ故に父親は殺されたと考えていた。しかし、その父親の要求は、子供と妻にとって、歓迎できるものではないだろう。それは殺害の動機にもなるんじゃないだろうか」
「真吾さんと母が……!?」
その二人が容疑者として浮上してきたのは、佳子にとっては寝耳に水だった。
真吾が関係するのは、認知の問題だけだ。血の繋がった親に戸籍が変わるだけ。心理的に抵抗があったとしても、実の親を殺害する動機としては疑問が残る。
さらに母にしても、離婚されたとなれば、名誉が傷つけられるかもしれないが、もともと仲が悪かったため、それがもとで殺害に至ったと考えるのには、いささか無理があるように思えた。
「子供にしてみれば、無一文の親より資産家の有力者の親の方が、同じ庶子であるなら後者の方がずっといいだろう。妻にしてみれば、長年連れ添った相手に突然裏切られて、憎しみのあまりに魔が差したのかもしれない」
「で、でも……」
佳子は如月の意見に同意しかねて、異論を口にしようとした。
「まあ、これらはあくまでも仮説ということだよ。頭の隅っこにでも置いてもらえればいいと思って。それとも、犯人が分家の主ではない可能性が出てきたら、復讐は辞めるつもりかい?」
如月に問われて、佳子はその答えを己の旨に探した。佳子の大事な父を殺した犯人は今でも憎い。しかし、佳子の目的は復讐だけではない。一族の悪習を止めるためでもあった。一族の外郭を一度崩壊させて、他者の手を入れないと、革新は起こせないと考えていた。
「如月が挙げた容疑者たちは、全て分家の人間。このまま復讐は継続するわ」
「分かった」
佳子の答えを聞いて、如月は満足そうに笑った。
犯人だと信じていた人物である佳子の祖父の一上元が、実は無実である可能性が出た時、彼と対峙する決意が揺らいでしまい、佳子自身はそれに動揺した。
しかし、如月に復讐を止めるかと尋ねられた時に、真っ先に感じたのは、犯人を捕えなくてはならない使命感だった。
犯人を野放しにしたままには出来ない――。それは如月と出会って復讐を誓った時に決意したことだった。
誰が犯人でも、佳子の意思は変わることはない。
何よりも大事だった父が、残酷な方法で殺されてしまった事実は、確かだったからだ。
それでも、如月が語った推測は、心に重く圧し掛かるように佳子をじわりと苦しめることとなった。
新たに浮上した容疑者たちが、本当の犯人だと判明したら、佳子の衝撃は計り知れなかった。
祈るような気持ちで、佳子は彼らの無実を信じるのだった。