とりあえず乾杯
不機嫌な佳子とは対称的に如月は楽しげに笑みを浮かべている。
居間にいる二人はそれぞれ食卓に向き合うように座っている。
正面にいる如月から目線をずらして、俯き加減で正座姿の佳子。
一方、あぐらをかいて肘を食卓の上に置いて頬杖をついている如月は、非常に寛ぎながら佳子の顔を観察していた。
シロが用意した夕飯を先ほど二人は食べ終えていた。
佳子に声を掛けられたシロがやってきて、二人が使った食器を台所へ下げたばかりだ。
居間と台所を繋ぐ戸がきちんと閉められている。その戸の向こうから聞こえてくるのは、複数の怪しげな気配。
食器をいじる音とペチャペチャと何かを舐める音。ケケケと楽しげに笑う声もする。
「ご飯って、いつもあいつらに作らせているの?」
台所から聞こえてくる音に聞き耳を立てつつ、如月が尋ねてきた。
「作っているのはシロ一人よ。他のモノは人間が食べられるような物は作れなかったの」
「ふーん」
シロ以外は虫とか雑草とか自分たちが食べる物を悪気なく平気で入れてくる。
ゲテモノスープを思い出して、眉間に皺が寄った。
母が家を出たのは良いが、家事をしてくれていた女中も一緒にいなくなったので、全ての家の事を佳子が一人でしなくてはならなかった。
隣に住む正夫婦が何かと気を掛けてくれるが、あちらには就学前の男の子がいて何かと手がかかる時期だった。
自分の都合でこういう状況に陥ったのだから、彼らの手をあまり煩わせるのは申し訳ない。
当然のことながら、学校の掃除や授業以外に家事は一切教えられたことがなかったため、全部手探りでやり始めたのだが――。
食器を割るのはもちろんのこと、レンジ内で食べ物を爆発させたり、鍋を焦がしたりと失敗は徹底的にしてしまった。
そんな悲惨な状況を陰で様子を見ていたモノたちが、突っ込みをしつつ腹を抱えて自分を笑い物にしていたくらいだ。
腹が立った佳子だったが「お前たちなら出来ると言うわけ?」と挑発してやらせてみたところ、自分より上手かったという結末に。
かえって傷口に塩を塗る結末になってしまったが、それで佳子は気付いたのだ。
(彼らにやらせればいいじゃない!)
良いことを思いついた佳子の行動は早かった。
彼らの中で誰が一番料理上手か調べてみた。
その結果、人間が食べられる物を作ることができたのはシロのみ。
もともとシロは台所で使われていた布巾が年を経て妖怪になったモノだった。
掃除と洗濯については料理よりは簡単だったので、他のモノでもできそうだった。
彼らが何でも食べることを知っていた佳子は、報酬に残飯を提示したところ上手い具合に交渉が成立した。
お陰で生ゴミも出なくなり、一石二鳥である。
「相変わらず、好かれているよね」
「ん?」
「術の類は使わないで、あいつらを従えているんだよね?」
「餌で釣って働いてもらっているだけよ?」
「それだけで言う事をきかせているんだから、すごいよね」
「……そうなの?」
佳子は感心される意味が分からなかった。
佳子にとってみれば物心ついた時から彼らと付き合っていて、当たり前のやりとりになっていたのだ。
彼らは佳子に概ね親切であった。
餌をあげれば、喜んで手伝いをしてくれる。
佳子に話しかける妖怪が人間に好意的なだけかと思っていたが、如月の話を聞くとそうでもないらしいことが分かった。
母は妖怪を害虫のように毛嫌いしていたので論外だが、父も自分と同じように妖怪と仲が良さそうだったので、如月に指摘されるまで疑問に思ったことが無かった。
「料理だけじゃなくて、部屋の片付けも頼めばいいんじゃない?」
如月が意地の悪い顔をして言う。
それに対して、佳子は困った表情を浮かべる。
片付けだけは彼らに任せられないので、自分でやるしかなかった。
基本的に収納や片付けが特に苦手だった佳子は、使った物をすぐに仕舞うことができずにいた。
以前は整然としていた屋敷の中が、物が出しっぱなしで散らかり始めて、所帯染みた家へと変貌を遂げていた。
普段いる自室は特に酷い有様になっている。
先ほど着替えを如月に見られてしまった佳子だったが、そのことで文句を言った時に彼にこう言い返されてしまった。
「下着姿にはびっくりしたけど、部屋の汚さにはもっとびっくりした」と。
佳子の機嫌が再び急降下したのは言うまでもなく、冒頭のようにご飯を食べ終わった後でも仏頂面をしていたのだ。
「いるものでも捨てられたりしたら大変だから、任せたくないのよ」
どこに仕舞われたか分からなくなったりしても嫌だし、と付け足す。
そうは言いつつも、きちんと出来ない自分が悲しいが。
「まあ、それは置いておいて。如月は何か用があって私に会いに来たんじゃないの?」
居心地の悪さに耐えきれず、佳子は自分から話題を変えた。
「まあ、そうだけど。それよりも何か飲み物ないの?」
如月は台所の方へ首を向ける。
そのあからさまなしぐさは、冷蔵庫から何か持って来て欲しいと語っていた。
「はいはい。ちょっと待ってて」
佳子はマイペースな如月に振り回されていると自覚しつつも、彼の為に立ちあがって台所にある冷蔵庫へと向かった。
そこからビールを二つ取って居間へと戻る。
「悪いけど直で飲んで」
グラスを出して注いで飲む方がいいのかもしれないが、後で洗うのがとても億劫だった。
基本、佳子は面倒くさがり屋である。
再び座り込むと、缶のプルタブを開ける。
お酒なんて一週間ぶりだ。
「乾杯しようよ」
如月が缶を開けてこちらに向かって持ち上げていた。
佳子も真似をする。
「何について乾杯するのよ?」
「とりあえず、再会を祝って?」
「それじゃ、かんぱーい」
コツンと軽く缶同士を当てる。そして、自分の口元へ缶を引き寄せて飲み始めた。
彼と初めて会ったのは、家出したあの日の夜中。
制服姿で街を彷徨っていた佳子に声を掛けて来たのだ。
過去に思いが触れた矢先、如月が口を開いた。
「お前が探していた男について、色々分かったよ」
言われた内容に息を飲んで佳子が如月に視線を送ると、彼はすでに佳子の目を見据えていた。
その双眸は佳子の心情の変化を一つも逃さず捕えているようだった。
緊張が体の中を駆け巡る。
「本当? すごいわね」
内心の動揺を抑えつつも思わず出た感嘆の声は、いつもより興奮気味だったと思う。
如月は口の端を持ち上げて笑い、目を細めた。
「まあね」
「どうやったの?」
「まあ、情報収集の賜物ってことで」
如月はたいしたことのないように言うが、佳子には到底できない芸当である。
「もしかして、色仕掛けでも使ったの?」
いつもからかわれている仕返しとばかりに冗談を言ってみた。
「んー、まあ、違わなくはないけど、今回はこの目の力を使ったし、そんなにあくどいことはしてないよ?」
如月は片眼を瞑ってウインクした。
「そうなんだ……」
色仕掛けを完全に否定しないあたり、色男たる所以か。
佳子はぎこちない笑みを浮かべるしかなかった。
如月の目は、不思議な力があるらしい。
相手の目を見つめて強く念じながら命令すると、見つめられた人は思わず如月の言う通りに行動するらしい。
簡単な命令しかできないらしいが、軽い催眠状態にできるようなので、使い方によってはとても怖いものである。
「そいつの名前は、一上真吾。ええと、お前のお祖父さんの愛人の子らしいよ」
愛人という言葉に、佳子は思わず眉をひそめる。
そんな佳子の顔を見て、如月は苦笑して肩を竦めた。
「一上家の遠縁の女が産んだ子供らしい。血縁的には、お前の母親の弟? つまり叔父さんになるよな」
言いながら、如月は一枚の写真をズボンのポケットから取り出す。
食卓の上に写真を置いて佳子の方へと差しだす。
佳子が覗き見ると、写真の中には一人の男がメインで写されていた。カメラに全く気付いていないようで、これは隠し撮りされたような感じである。
父によく似た男。
年は佳子より一回りくらい上に見える。
生き写しともいえるその顔は、他人とは言い難い血縁を匂わせる。
彼の名前が、一上真吾。
父との最後の電話で自分に会わせたいと言っていた人かもしれない男性。
「彼と話すことが出来て、今度会う約束したんだよ」
「本当?」
「ああ、お前も一緒に行くだろう?」
「もちろんよ」
佳子は真剣な表情で大きく頷いた。
(一歩ずつ、前へ動き出す。――全ては亡き父の為に。)