着実な準備
佳子は予想より早く仕事を辞めることになったため、空いた時間を利用して、殺害の犯行を目撃したきのこの妖怪を探す旅に出た。
真吾のことは残念な結果に終わってしまい、佳子の気分が沈んでいた。ところが、ちょうどその日の夜に春人から電話が掛かって来て、彼によって慰めてもらって、再び浮上することができた。自分を労わってくれる存在は、何よりも大事だと感じる。
佳子の移動手段は、具現化の能力で作成した、龍を模した飛行可能な妖怪である。数年前に家出をした時に、これを使って亡き父に会いに行ったことがあった。
これは日中だと目立つので目撃される恐れがあったため、移動は夜に限られた。佳子は懐中電灯などを持参して、風邪をひかないように厚着をして出かけた。
昨晩のうちに佳子は春人に里へ行く旨を電話で伝えていたため、それならば落ち合おうということになり、里に近いとある場所で待ち合わせをしていた。
佳子は春人と合流してから父の事故現場へと向かう。
きのこは前回会った時と同じ場所にいた。
佳子が恐る恐る話しかけると、柄の部分に顔が現れて返事をしてくれた。佳子は事情を説明して、証人になってくれるように依頼すると、きのこは快諾してくれた。
移動する時はどのようにすればいいのか尋ねると、他のきのこを採取するのと同じ方法で構わないと言われて驚いた。
佳子と話しているきのこは、全体の一部であるときのこの妖怪は説明してくれた。本体が森のあちこちに点在しているから、一つくらい採っても差し障りが無いのだという。
証言してもらうのはまだ先のことになるから、その時が来たら再び会いに行くと言い残して、佳子たちはその場を去った。
佳子は春人と一緒に龍の妖怪の上に乗り、里の周辺を一回りしてみた。
春人にとって上空を生身で飛ぶのは初めての経験だったようで、興奮気味に辺りの様子を眺めていた。
身を寄せ合って手を繋ぎ、小さく映る里の夜景を眼下におさめつつ、彼と他愛ない話をするのは楽しかった。
春人は無事に試験が終わったと教えてくれて、結構手ごたえがあったと自信を滲ませていた。
また日曜日に会いましょうと佳子は約束して、春人と別れた。
一人ぼっちになって、寂しい思いが後から忍び寄ってくる。
ここ最近の話だが、彼が以前みたいにキスをして来てくれないことが佳子は残念だった。
自分の方が年上なのだから、希望するならば自分からすれば良いのかもしれないが、初めての交際ということで慣れないこともあり、佳子は恥ずかしさが勝って実行に移せなかった。
こんな些細な事で悩むなんて、自分が情けない。しかも、佳子は深刻な問題を抱えているのだから、今は自分の浮ついた気持ちを控えるべきだろう。佳子はそう自分を内心叱る羽目になった。
日曜日となり、午前中から春人が会いに来てくれた。
襲撃に警戒しながら来たようだが、特に何も変わりはなかったと話してくれたので、佳子は安堵する。
今回も春人はシロと昼食当番を争い、お互い譲らずいがみ合っていたので、今度はくじで決めてみてはどうかと佳子は提案してみた。
くじならば運次第だろうと思ってのことだった。
それならば自分が用意すると、シロが紙を千切って二本の棒を作り、背中をこちらに向けて、持っていた赤いペンで何か書いていた。そして、シロはこちらを振り返り、棒の先が見えないように握りしめていた。
一つだけ先を赤く塗ったので、それを取った方が勝ちですと言って、シロは春人に先に引くように促す。
春人が迷いながら二つのうちの一つを選択したが、その棒の先は真っ白で、勝敗はあっさりと決まった。
ところが、佳子は見てしまった。
シロが春人に気付かれないように、残りのくじの棒をゴミ箱にこっそりと捨てるところを。
なんと、その棒も真っ白だったのだ。
佳子は春人にその絡繰りのことを黙っていようと決心した。炊事のことで、これ以上二人が諍う必要はない。
昼食後には、また先週と同じ面子が、先週と同じ場所で集まった。
居間で丸く円を組むように向き合って座り、お互いの顔を並べた。
まず始めに、如月の日記の調査結果の報告があった。
日記に記載されている場所に、人物は実在していた。ただし全て現在は故人である。
死亡原因はただの事故や自殺とされていたが、その死亡した状況は日記の内容と同じだったようだ。
父によって様々に偽装された殺人であったことが、これで証明された。
「如月さん、こんな短期間でこんなによく調べられましたね」
春人が感心したような口調で如月に話しかけていた。
「まあね、総力を上げたよ」
如月は得意げに呟き、ちらりと意味あり気な視線を隣に座っていた佳子へと向けた。
それに佳子は気付いたので、感謝を込めて如月に微笑むと、「ありがとう」と彼の尽力に対して誠心誠意お礼を述べた。
如月は嬉しそうに笑みを浮かべたが、それはいつものように悪戯心に溢れたもので、佳子は嫌な予感がした。
あっという間に肩へ如月の手を回されて、彼の方に引き寄せられたと思ったら、彼の顔が急に近づいてきた。
反射的に避けようとしたが、肩を押さえている彼の手がそれを阻んだ。小気味良いリップ音を響かせて、佳子の頬に何か柔らかいものが触れた気がした。
「な、何しているんですか!」
反対側の隣に座っていた春人の慌てた声がして、佳子の肩から如月の手が春人によって退かされると、今度は彼の方へと佳子は抱き寄せられた。
「何って、今回の報酬を貰っただけだけど。ほっぺにチューくらい可愛いものだよね?」
如月が意地の悪い笑みを浮かべて、挑発的に春人へ返事をした。
それに対して春人は不快になったのか、佳子に触れていた彼の腕に緊張が走ったのが分かった。
「如月、悪ふざけは止めて。今はそういうことをする時じゃないでしょ?」
如月の人柄をまだよく知らない春人には、こういう冗談は通用しなかったのだろう。佳子が困った顔をして咎めるように視線を送ると、如月は肩を竦めて惚けたふりをした。
わざわざ皆に集まって貰って、打ち合わせの最中なのだ。いつものように如月に人をからかって遊ばれては、無駄に時間が過ぎて、本題に触れられず肝心なことを伝えられなくなる。
如月の悪い癖がタイミング悪い時に出て来てしまったようだった。
佳子は気を取り直して、今度は佳子が用意した分家の屋敷内の見取り図を皆に配る。佳子が記憶を頼りに手書きで書いたものをコピーした物だった。
それをもとに、侵入方法や侵入経路について佳子は説明する。身を隠すのに適した場所も、幾つかその個所を記載していたので、それにも触れた。
「それにしても、予想していたとはいえ、分家の敷地は広大ですね。しかし、ここに書かれている建物は、全てではないですよね?」
「はい、使用人たちの住居スペースや裏方などは、私は足を運んだことがないので、申し訳ないけれども、その資料では不明瞭なところは多いと思います」
春人の指摘に佳子は苦しげに答えた。
当たり前だが、情報は確実な方が良い。しかし、実際に作ってみると、佳子は自分の記憶の曖昧さのせいで、大したものが作れなかったのだ。
作成中に正にも相談はしてみたものの、佳子と同じような箇所しか明るくなかった。用意すると言った手前、佳子は身の置き所のなさを感じていた。
「だからと言って、予め分家に行ってあちこち探っていたら、不審がられるだろうし、これ以上は仕方がないんじゃないのかな? 今のところ、親族が集会を行う場所も分かったんだから、そこまで気にすることは無いと思うよ?」
如月がフォローを入れてくれて、佳子は少し救われた気がした。
殺害現場を目撃したきのこの妖怪に、証人となってもらうことに了承してもらったことを報告して、復讐に関する話が終わった。
次に、真吾について残念な結果に終わったことを佳子は告げた。
「環境を変えると云うのは、大変難しいことだと思いますよ。分家が悪とはいえ、そこで暮らしている以上、それが普通になってしまっているでしょうし、命が脅かされない以上、わざわざ何もかも捨てては来られないでしょう」
正に言われてみて、佳子はその通りだと思った。
分家に距離を置いた物言いをしていたものの、真吾もあの異様な慣習に既に慣れてしまっていたのだ。
側女を妻にしていたと言っていた彼。
離れて暮らしていたとはいえ、分家出身の母のもとで暮らしていたのならば、真吾は幼い頃からあの家の考え方に染められていたのかもしれない。真吾自身が言っていた通り、”もう何もかも遅い”のだ。
父と瓜二つの彼に対して、抱いていた期待が大き過ぎて、佳子は冷静さを見失っていたのかもしれないと己の行動を省みた。
「そういえば、佳子さんも危ない目に遭ったんですよね。分家による仕業だとしたら、佳子さんの異母兄を当主として立てようとしている一派の仕業なんでしょうか?」
春人が深刻そうな顔をして、あの件について言及してきた。
直系の正統な当主である佳子が、後継ぎを産む可能性がある限り、分家によって始末される可能性はまだ低いと、佳子としては考えていたため、ただの不幸な事故なのではと片付けていた。
しかし、春人の発言から、以前母の政子が真吾を擁立したいと考えている輩がいると述べていたのを思い出した。
彼らが分家の主の目を盗んで、強硬な手段に出た可能性も考えられた。
「それって、どういうこと? 何も聞いていないんだけど?」
如月が訝しげな様子で問い質してきたので、佳子は順を追って状況を説明した。真吾の件についての母とのやり取りは、如月には話していなかったのだ。
全てを聞き終えた如月は、難しい表情を浮かべて、何か思索に耽っているようだった。
「分家も一枚岩って訳ではないのかな? 真吾を擁立すれば、得をする者がいるとなると、それって彼の嫁さん関係が怪しくなるけど、情報は何もないんだよね?」
真吾の母親は既に故人であるし、身分は低いと聞いていた。そのため、親族は権力者ではない。
如月の云う通り、真吾の妻の親類が考えられるが、それについて何も耳にしたことがなかったため、佳子は頷いてその通りだと返事をした。
真吾自身は現状のままを望み、変化を恐れているようだったので、もしあの事故が妻の親類による仕業だとしても、彼は関与していないはずだ。
分家に逆らわない方が良いと、彼は何度も口にしていた。
佳子が消えると喜ぶ者がいる。そして、あの事故が故意に起こされたものかもしれない。佳子はそう改めて考えて、身が竦む思いがした。
「あと、職場に嫌がらせもあって、仕事を辞めてきたの。集会が近づいてきたから、何としても私を追い詰めたいのね」
佳子がそう言うと、重苦しい沈黙が場を支配した。
「敵も本格的に活動をしてきたってことだね。こちらも負けないように警戒を怠らないようにしよう」
如月の言葉に、厳しい顔つきで一同は頷いた。
その後、春人は如月に手合わせを願い、如月も了承したため、男二人で外へと出かけて行った。
二人が再び屋敷に戻ってきたのは、日が暮れそうになるくらい時間がたっぷりと過ぎた頃だった。
「いやー、つい夢中になってこんな時間になっちゃったよ。遅くなってごめんね?」
如月と春人の二人は出かける前より、ずいぶん打ち解けているように見えた。
春人の様子を観察してみれば、彼の服装は土埃で汚れて、全体的に疲れている様子だったが、表情は明るかった。
それにわざわざ謝られると、佳子は何も文句は言えなくなる。
春人と過ごす時間が減ってしまったのは残念だけど、彼らが楽しそうなのが一番だ。
佳子は心の中の寂しさを誤魔化すように、彼らに笑いかけた。