真吾との決別 1
佳子が苛立つ心を持て余しながら自宅に戻ると、郵便受けに一通の封筒が届いていた。
差出人は佳子の母だった。
嫌な予感がしながら、佳子が封を開けて中身を取り出すと、写真と手紙が入っていた。
その写真には、玄関から出てくる二人の男女が映っていた。一人は佳子が良く知る男性である、春人。もう一人は、少しふくよかな体型をした、春人と同じくらいの年頃の可愛らしい女性だった。
二人とも普段着のまま、家から出てくるところで、カメラに気付いていないのか、それぞれ違うところに視線があった。
家の表札も小さく映っていて、”五月”と読めた。
これは春人の実家の玄関から、二人が出てくる場面を隠し撮りしたものだ。
一体、母は何の目的でこの写真を送ってきたのだろうか――。佳子は母の行動を不審に感じて、手紙に目を通し始めた。
母からの手紙を読むと、こう書かれていた。
五月春人といる女性は大橋里香と云い、五月家の家族公認の恋人である。
二人きりで家の中で逢瀬していたのを、たまたま用事があって訪ねて行った母と鉢合わせたのだ。
彼女がストーカーなんて、真っ赤な嘘である。ストーカーが堂々と家を訪れて、さらに見送りもされるだろうか。
佳子は騙されているのだ。春人の本命は、この彼女である。
早く正気に戻って、母の言う通りになさい。
佳子のささくれ立った気分が、さらに嵐のように吹き荒れるのを感じた。
意図的に感じられるタイミングだった。事務所を荒らして、職場での佳子の立場を窮地に追い込み、辞めざる得ない状況にさせて、さらに春人に不信感を抱かせる情報を流すとは。
春人から予め情報を聞いていなければ、佳子は不安になっていたかもしれない。
大橋里香は春人の親戚なので、お世話になっている家族の手前、冷たい反応を出来ないと彼は言っていた。
親しい親戚なら家を訪ねることもあるだろう。それなのに、さも怪しいことのように騒ぎ立てて、二人を引き裂こうとする母の意図が見え見えで浅ましかった。
佳子は手紙をゴミ箱に投げ捨てた。
それから水曜日となり、真吾と会えることを楽しみにしていた佳子は、暗かった気持ちが少し浮上した気がした。
どの道、復讐の前に佳子は仕事を辞めるつもりだったので、それが少し早まっただけだと、自分を納得させていた。
仕事は内職のみとなり、そちらの方は妨害がなかったようで、斡旋してくれる人はいつものように仕事をまわしてくれた。
しかし、その収入は雀の涙だった。本職だったレジのパートの仕事が無くなって、来月の生活費をどうするかが心配ではあった。しかし、復讐した後に里からどのような処分が下されるのか、予測できないところがあり、何事もなかったように、今後もこの場所で暮らせるのかどうかも分からなかった。
先行きに不安があったが、佳子は復讐を止めるつもりは毛頭なかった。
前回と同じように、佳子は真吾と駅前で待ち合わせをしていた。
少し遅れて背広姿の真吾がやって来て、笑顔で佳子に挨拶をしてきた。その彼の表情に佳子は、気持ちが癒されるのを感じた。
亡き父と同じ顔、同じ声。全くの別人だと知ってはいても、まるで亡くなった父が目の前にいて、佳子に会いに来てくれたように錯覚してしまいそうだった。
激しい感情があっという間に溢れて、佳子は堪えることが出来ない。
「大丈夫ですか?」
真吾が心配そうな表情を浮かべて、佳子に優しく尋ねて来た。そして、彼は上着のポケットからハンカチを出すと、佳子へと差し出す。
佳子の目から涙が流れていたので、拭く物を率先して提供してくれたのだ。
「ありがとうございます……」
佳子は礼を言いつつ受け取ると、頬を伝う涙を拭かせてもらった。
真吾の顔を見た途端、最近起こった様々なことを思い出してしまい、辛かった気持ちを堰止めることが出来なかった。
真吾と父を重ねて見てしまったため、つい気持ちが緩んでしまったのだ。
「場所を移しましょう。そこで話を聞かせてください」
真吾は穏やかにそう提案すると、佳子の肩へ遠慮がちに手をまわして、歩くように促す。
佳子は安心して、彼に身を任せた。
今回入ったお店は、和食のお店だった。
この店も簡易的ではあったが、四方が遮られていて、個室のようだった。声を潜めて話せば、周りに聞こえる恐れはないだろう。
日替わりの定食がお勧めだと真吾が云うので、佳子はそれに決めて、店員に注文した。真吾ももう一つの日替わり定食を頼んでいた。
店員がいなくなって、再び二人きりになると、佳子は分家から受けた様々な妨害を真吾に話して、それが精神的に辛かったと告白した。
「とうとう手段を選ばないで、動き出したんですね。佳子さんの辛い気持ちはよく分かります。ですが、このまま逆らい続けて、貴女にメリットはあるんでしょうか?」
「……どういうことですか?」
「婚約者の五月君のことを大事に想っているならば、彼を危険な状態に置いたままで本当によろしいのですか? 無事結婚できたとしても、彼の身は狙われ続けて平穏はないのかもしれません。お互いを大事に想うからこそ、別々の道を歩むと言う選択もあるのではないでしょうか」
「それは、その……」
真吾の発言の意図を図りかねて、佳子は困惑した。まるで真吾が春人との別れを勧めているように感じたからだ。
「佳子さん、貴女では分家に到底敵わないでしょう。手と手を取って、五月君と何処か遠くへ逃げると云う手もありますが、親に見捨てられたのにも関わらず、ようやく受け入れてくれた今の家族を捨てて自分について来て欲しいと、貴女は彼に言えますか?」
佳子は何も答えられなかった。真吾がまさか自分に対して、暗に分家へ従うように説得してくるとは思ってもみなかったからだ。
「佳子さんも五月君も、まだ若いから一時の情熱に燃えることもあるでしょう。しかし、結婚とは家族から祝福されてするものだと思います。貴女たちが結婚しても、五月家は苦労が増えるだけですし、もちろん一上家は歓迎しないでしょう」
「真吾さんは私たちのことを良く思っていないのですか?」
佳子はやっと声に出して、質問を投げかけた。
佳子は真吾の真意が分からない。何故、今日になっていきなり佳子に対して、分家の下僕のように佳子の行いを否定するようなことを言うようになったのか、その気持ちの変化の理由を知りたかった。
「僕はですね、五月君が一上家の者だったら問題なかったのにと、残念に思っています」