二人の男
佳子の屋敷から出た如月と春人は、二人で歩いて移動していた。
屋敷より山を上ったところに、冬場で休耕している広めの開けた土地があると、正から聞いたのだ。
暴れるなら、障害物が少ない方が良かったため、そこを目指していた。
「如月さんも怪力なんですね」
横を歩いていた春人が話しかけたので、面白くない感情で如月は聞いていた。
如月が初めて春人と対面して、彼の左手の薬指に婚約指輪を見つけた時、腸が煮えくりかえる想いがした。
その怒りのまま、最初の挨拶で如月は春人と握手した際に、かなり力を入れて握りしめてやった。ところが、春人には全く動じた様子が無くて、如月にとっては拍子抜けに終わってしまった。
春人に苦痛を与えて焦らせて、間抜けな様子を佳子の前で晒させてやりたかったのに、彼には対して拷問攻撃は効かないようだった。
「まあね」
如月は無難に答えた。
春人の口から出た”如月さんも―”という言葉から、春人は身体的に特異的な能力を持っていると如月は察した。
如月は人外の存在となって、人並み外れた身体能力を手に入れた経緯があったので、彼と同じだと返事するのは正直なところ癪だった。
春人が肉体に相当な力を秘めていようとも、如月は数多くの修羅場を潜り抜けて来た経験がある。そのため、若造の春人に後れを取ることはないだろうと、如月は相手より優位だと認識していた。
目的地に着いた二人は、お互いに少し離れた場所で向き合う。
「地面に背中をつけた方が負けってことで、勝負しよう。お前が勝ったら、今回の件では文句はないよ」
「はい、分かりました」
如月の提案に、春人は素直に承諾した。
状況は如月の圧倒的な優勢だった。
しかし、如月は戸惑いを感じずにはいられなかった。なぜなら、春人がいつまで経っても、地面に倒れてくれないからである。
如月は速攻で攻めてゆき、強烈な一撃を何度も春人に急所に打ち込んでいた。
手ごたえはあるはずなのに、それほど春人に効いていない気がした。
目の前の人間から、経験に基づいた反応が返って来ないことに、如月は得体のしれない不気味な存在として春人を感じるようになっていた。
(一体、何がここまで彼を頑丈にさせているのだ――?)
強靭な肉体なだけでは、説明ができないものがあった。
一方で、春人の攻撃の全てを、如月は紙一重で避けていた。
春人の整って無駄のない型を見ると、どこかで正式に武術を習っているような印象を如月は受けていた。
余分な動きが無い分、狙いが正確だったため、次にどこへ攻撃が来るのか、経験豊富な如月には読みやすかった。
速度は常人より恐ろしく早いが、それは如月も負けてはいない。如月の予想通り、踏んできた場数が物を言っていた。
ただ、勝負の勝敗を決めるのに、どちらかが地面に背中をつかなくてはならない。
そう始めに決めた自分を、如月は今では恨めしく思っていた。時間が経つにつれて、もっと違った条件にしておけば良かったと後悔をする始末である。
相手もそれなりの腕を持っていることは、如月は少し手合わせをして感じた。通常ならば、合格が出る実力ではあった。
しかし、春人は知らぬとは云え、如月が狙っていた獲物を、横から掻っ攫って行った憎らしい相手である。彼女から春人を追い払うのが、今回の如月の目的でもあった。
如月は忌々しげに春人を見ると、自分の方を歓喜と尊敬を含んだ眼差しで見つめている視線とぶつかる。
一方的に攻撃を加えられているのにも関わらず、こちらに好意的な感情を向ける春人の意図が分からず、如月は戸惑いと気味の悪さを感じる。
「初めてです、手加減なしで対戦できる人に出会えたのは」
春人は感極まった声色で、話しかけて来た。
「いつも力を押さえて、怪我をさせないように気を遣いながらだったのに……、逆に手も足も出ないなんて。如月さんは凄いですね」
春人から手放しで称賛されて、如月は面食らい、何とも言えない微妙な気分を味わう。
排除対象と認識している相手から認められても、後味が悪くなるだけである。とは言え、心理的には春人に負けを認めさせることが出来たと、如月はひとまず溜飲が下がった。
瞬殺して実力の差を惨めにも見せつけて追い払うという方法を選択していたが、何度も打ち込んでも倒れない春人の不屈の体力に観念して、別の手段を取ることに決めた。
「そんなことはないよ。まあ、お前の力量は、一応合格点だね。改めてよろしく」
「本当ですか? ありがとうございます」
春人は姿勢を正して、お辞儀をしてきた。如月は礼儀正しい奴は嫌いではなかったので、それは好印象に映った。佳子が絡まなかったならば、如月は自分の下へとスカウトを試みたくなる素質と態度ではあった。
「ところで、一上佳子のことだけど、彼女と付き合っているって本当?」
如月は相手を油断させるために、仮面のように笑顔を貼りつかせて本題を持ちだした。
「はい、実は……」
答える春人は、照れ臭そうな表情を浮かべる。それは一見、到底演技とは思えない程、自然な振る舞いである。
如月には春人が何か裏があって佳子に近づいているのではないかと、疑いを持っていた。そのため、それを探るために二人きりになる機会が欲しかったというのもあった。
佳子の前で春人の醜い本性を晒してしまっては、傷つくのは彼女の方だ。如月は佳子の嘆く姿を見たくはなかった。
「彼女のことは遊びってことはないよね?」
「そんなことはありません! 真剣ですよ!」
「本当に? 今なら怒らないから、正直に言ってくれないか?」
如月は春人の目を見つめながら、暗示の力をそれと分からないように使う。春人の瞳が如月に吸い込まれるように釘づけになり、上手く作用したことが分かった。
「本当に彼女のことが好きなんです。ずっと前から……」
うわ言のように春人は答えた。意外な事に、春人の佳子を好きな気持ちは本気ということが伝わる。
尤もらしい理由をつけて、追い払うのが難しくなって来たのが分かり、如月は舌打ちしたい気分だった。当初の見込みとは違い、面倒な事になったと、思わずにはいられなかった。