如月の憂慮
佳子がパート勤めを終えて、家に帰っている途中で、如月に出会った。
先週の土曜日に出会ったのが最後だったので、ちょうど一週間ぶりである。
如月はいつものように見惚れるくらい素敵な笑顔を浮かべていた。
「お久しぶりだね、変わりはなかった?」
「あったわよ」
佳子が真面目な顔で答えると、如月の笑顔は瞬時に消えて、真剣なものへと早変わりした。
「どうしたの? もしかして、誰かに襲われた?」
如月が何故そのような質問をしたのか、佳子には心当たりがなくて意味不明だった。その言葉も気になったが、それよりも佳子には如月に会ったら逸早く伝えたいと思っていたことがあり、それを優先した。
「違うわよ。探していた物が見つかったの」
佳子の探索していた物を熟知している如月は、その言葉に反応した。
「本当? 一体どこにあったの?」
「家に帰ったら、詳しく話すわ」
自宅に着いた佳子は、居間で春人と見つけた父の日記を如月に見せて、それを発見した経緯を説明した。
そして、春人も復讐に協力してくれることも伝えた。
「俺はそいつが仲間に加わるのは反対だよ。彼はもともとお見合い相手で、互い利害が一致しただけの偽装の婚約者だったよね? そいつのことを、いまいち信用できない。何故他人のことにそこまで首を突っ込む必要があるのか理解できないよ」
難しい顔をして、如月が苦言を口にする。
如月は畳の上に座り込んで、佳子から渡された日記をぱらぱらと捲りながら、目を通していた。
「親切なのは、如月も一緒でしょ? それに春人さんは、とても優しくて誠実な人よ。今度会ってくれない?」
如月は顔を上げて、佳子を見た。
「会うのはいいよ。でも、俺は人ではないから、お前の魅力はよく分かっているけど、そいつは人間だろう? お前に近づくのは何か裏があるんじゃないかと、疑わずにはいられないよ」
如月に容易に受け入れてもらえないのは、仕方がないことかもしれない。復讐という難題を抱えている状態では、警戒を強めるのは当然のことだろう。しかし、佳子は大事な友人である如月に春人のことを理解して欲しかった。
「裏なんてないわよ。彼はその、私に好意を抱いてくれているのよ。だから、私にそこまで尽してくれるの」
自分で発言した内容が恥ずかしくて、佳子は自分の顔が熱くなるのを感じた。一方、如月は驚愕の表情を浮かべて、佳子を食い入る様に見つめて来た。
「もしかして、お前もそいつのことが好きだとか言わないよね?」
如月が何やら焦った様子で尋ねて来た。その彼の態度に、佳子は何か都合が悪いのかと不安がよぎる。
「えっ、好きじゃ駄目なの? 実はつい先日から付き合っているんだけど……」
如月は春人の人となりを知らない。そのため、如月は彼を警戒するのは当然であり、そんな人物と佳子が仲良くすることを良く思わないのは仕方がないことである。佳子はどうやって如月に理解してもらおうかと頭を悩ます。
佳子の思いとは余所に、如月は深刻そうな表情を浮かべて、持っていた日記を食卓の上に置くと、佳子に正面から向き直った。
「気を悪くしないで欲しいんだけど、お前って男にもてる方じゃないよね? 彼以外に告白されたことある?」
突然、今までの話の流れとは全く異なる質問を如月からされて、佳子は面食う。しかし、如月のことだから何か意図があるのかと思い、真面目に「ないわ」と答えた。
「そうだよね。お前は無意識に気配を消すし、存在感もないよね。顔は整ってはいるけど、特別美人って訳じゃない。それなのに、他の女にも人気がありそうな無駄に顔の良い男が、寄りに寄ってお前を好きだという状態が、何か奇怪しいと思わないのか?」
如月が佳子を案じて、わざと耳に痛い忠告を口にしてくれるのを有難く感じた。しかし、如月の憂慮は杞憂だ。春人から伝わった思慕の情は、佳子には嘘偽りない真実に感じていた。
「大丈夫よ。そもそも彼は里の人間で、一上家とは犬猿の仲なのよ。それなのに、私に親切にしてくれた上に、復讐も理解してくれたのよ。彼を疑うのは、彼の誠意を踏みにじるのと一緒だわ」
春人を信じて欲しい。そう願って、佳子は必死に言葉を重ねた。
如月は思案顔をしていたが、佳子の祈るような気持ちが通じたのか、「ごめん、言い過ぎた」と謝ってくれた。
彼が理解を示してくれたことを、佳子は嬉しく思ったが、如月は少し悲しそうな表情を浮かべているのに気付き、その彼の態度に戸惑いを覚えた。
「お前にそんな顔をされたら、俺は弱いんだよね」
そう呟いた如月は、とても苦しげに見えたので、佳子は驚いて「えっ」と声を漏らした。
しかし、次の瞬間には如月は、いつものように誰しもが虜になりそうな笑みを浮かべて、余裕の態度を見せた。
「お前がそこまで言うなら、これ以上口出ししないよ。ただ、相手は若くてお盛んなんだから、うっかり孕ませられないように気をつけてね」
「ちょ、ちょっと! そんな変なことを大っぴらに言わないでよ! それに、そんなことされる訳ないでしょ! 春人さんは、すごく真面目なんだから!」
普段の如月の調子に戻って、すぐに佳子を揶揄い始めたのに安堵する一方、言われた内容の過激さに、赤面しながら彼を咎めずにはいられなかった。
「いやいや、変な幻想抱くのは止めた方がいいよ? そのうち身をもって知ることになるよ」
如月からの追い打ちを受けて、佳子は顔から火が出そうだった。
「もう、如月ったら!」
佳子はプリプリと立腹して、勢いよく立ち上がると、居間から台所へと去って行った。
如月は微笑みながらその佳子の後ろ姿を眺めていたが、佳子が物影に隠れて見えなくなると、不意に恐ろしい顔つきになった。
「鳶に掻っ攫われるとは……、早急に駆除しないとね」
その如月の独り言は、冷蔵庫を開けてお茶を取り出していた佳子の耳には、幸か不幸か届いていなかった。