交際の報告
春人は帰宅してすぐに、慶三郎たちのところへ報告に来た。
先に春人に夕飯を取ることを勧めたのだが、先に話をしたいと春人に言われ、居間に慶三郎と父と春人の三人が集まった。
父はソファーに座っており、慶三郎は絨毯の上で胡坐をかいていた。
春人は廊下側の入り口付近に正座している。
「佳子さんは私に日記の一部を託してくれました」
春人は慶三郎に数冊のノートを渡した。
慶三郎は古びて使い込まれたノートを開くと、日付と共に何か手書きで文章が書きこまれているのが読めた。
「彼女は殺された父親の仇を取るために、分家の、一族の罪状を告発するのが目的です。そのため、自分に何かあった時の為に、この日記を公表して欲しいと私に預けてくれたのです」
春人が齎した報告に、緊張が走る。父も顔を強張らせていた。
「佳子の父親は分家の人間に殺されたのか?」
慶三郎が尋ねると、春人は頷いた。
「状況的にそのようです。真吾の認知と離婚の話を呑ませるために、父親が一族の罪をネタに一上元を脅迫した結果、殺されてしまったようです。そのため、この日記を材料に、彼女は一上元を詰問して罪を自白させたいようです」
春人は佳子から聞いた話をさらに詳しく説明してくれた。
「ですから、義兄さんにお願いがあるんです。どうか、彼女の本懐を遂げさせてあげてください。彼女は年末にそれを実行する予定のようです。それまで捜査の手を待って欲しいんです」
春人は頭を下げて、懇願してきた。
「頭を上げてくれ。春人がお願いしなくても、彼女を見張る方が、捜査としては逆にやり易い」
慶三郎の言葉に、春人は頭をすぐに上げて、「それはどういう意味ですか?」と質問してきた。
「彼女が問い詰めた時に、修羅場になる確率が高い。告発しようとしている人物を一族の者が放っておく訳ないだろう? 父親の最期と同様に彼女も消されかねない。その現場を我々が押さえれば、現行犯で言い逃れはできないだろう?」
「彼女を囮に使う気ですか……?」
春人の声に怒気が混ざっているのに気付いたが、慶三郎は自分の態度を変えなかった。
「彼女は自分のもしもの時を考えて、お前に日記を預けたのだろう? そうなることは彼女も予想していたことだし、お前も納得済みのことではないのか? 後手に回る我々の行動は、彼女の意に反していないし、結果的に一族をお縄に出来た方が彼女も満足だろう?」
「それはそうですが……」
春人は不満そうに言い淀んだ。その様子を見て、慶三郎は言葉を続ける。
「最悪な結果にならないように、春人お前が彼女を傍で守ってやるんだな。一応、偽装とはいえ婚約者なんだし、堂々と一緒にいればいいだろう?」
慶三郎が春人の目を見つめていると、春人は自分の言わんとしていることをようやく悟ったようだ。引き締まった顔つきへと変化したのが分かった。
「そうですね。自分で何とかします」
「ああ。でも、何かあった時は、相談してくれると助かる。こちらも情報が多い方が、助かるからな」
「はい、分かりました」
春人が素直に頷き、一通り彼の報告は済んだように思えたが、「あと、まだ一つ報告が…」と春人は決まりが悪そうな顔をして、何か言いたそうにしていた。
「なんだ?」
慶三郎が改めて尋ねると、春人が父の顔色を窺いつつ、「佳子さんとお付き合いすることとなりました」と小声で話した。
それはめでたいと思い、慶三郎がおめでとうと言おうと口を開いた時に、「なんだと?」と父が身を乗り出して叫んでいた。
「お前、振られたんじゃなかったのか!?」
今まで口を挟まず黙って聞いていた父だったが、それに勢いよく食らいついていた。
「あの、復讐とか色々事情があって、佳子さんは告白を断っただけで、本当は私のことを……」
「振られた気持ちを整理するために、彼女の手伝いをするんじゃなかったのか!? それならばと、同情して春人の気持ちを汲もうかと思っていたが、一上家の女と付き合うとなると、また話は別だ!」
憤慨する父を見て、慶三郎はまたややこしい事態に陥ってしまったと、頭を抱えそうになった。
春人なんて青い顔をしている。
慶三郎が助け船を出そうかと思った時に、春人は父に向かって勢いよく頭を下げた。
「義父さん、お願いです。彼女との交際を認めてください!」
春人がはっきりと大きな声で許しを求する姿に、父は一瞬呆気に取られて固まっていた。
慶三郎も同様に動きを止めて、義弟のことを凝視してしまった。
春人が父に真っ向から反対の意見を述べるとは、今までの春人には無かった行為だったからだ。
父は一足早く硬直状態から立ち直ると、少しは興奮が収まったのか、先程よりは落ち着いた様子で口を開いた。
「一上家がクロなのは、調査で分かり切ったことだろう。これで里での立場もがた落ちだ。そんな女と付き合うお前の立場も悪くなるぞ?」
「自分の立場は別に今更どうでもいいんです。それよりも何故義父さんは一上家だということで佳子さんを貶めようとするのですか……?」
「どうせ付き合うなら、問題のない女の方がいいじゃないか。親として、お前が余計な苦労するところを見たくはない」
親心に訴えられては、春人も言い返すことが出来なくなったらしく、次の言葉が出てこないようだった。
「親父、それでも彼女が良いって春人が言っているんだから、もう諦めた方がいいんじゃないのか?」
見かねて慶三郎が口を挟む。
「もう何年も片思いしてきて、他に脇目も触れないんだから、俺たちが何を言っても無駄だって」
山神様を追い始めたのは、春人が中学に入ってからだったから、相当の年月を彼女に捧げていることになる。
それに、今まで家族に逆らいもしなかった春人が親父にここまで頭を下げているのだ。よほどの覚悟があった上だ。
これで春人にとって影響力の強い父の一言で破局になれば、春人の心理的な傷は計り知れない。
父の言いたい事も分かるが、春人の気持ちを優先させて、彼の好きなようにさせてやりたかった。
春人が自ら他人に対して深く関わるような行動を起こすようになったのだ。慶三郎はその行く末を見守りたかった。
「しかし……」
父はまだ渋っていた。
「親父、まだ春人は高校生なんだから、難しく考える必要はないと思うよ? 付き合うイコール結婚するってわけじゃないんだから」
「慶三郎、すでに偽装でなら婚約はしている。これで交際までしてみろ。春人の性格なら、責任とって結婚するとまで言いかねないぞ」
本当に父はしぶといと、慶三郎は苦笑する。そこで父に申し訳ないと思いながらも、慶三郎は切り札を使うことにした。
「まあ、春人は真面目だけどさ。そもそも親父もさ、人のこと言えないんじゃないの?」
慶三郎の言葉に、父は何か身に覚えがあるのか、一瞬たじろいだ。
「親父もさ、爺さん婆さんに聡美叔母さんと結婚して欲しいと思われていたのにも関わらず、うちのお袋に惚れちゃって、土下座して結婚の許しを得たんだろ?」
「な、なんでお前がそのことを知ってるんだ!?」
父は大いに取り乱して、慶三郎に追及してきた。
聡美とは、大橋家に嫁いだ里香の母で、もともとは五月家の実子の娘で、親父とは義兄妹になる。
父が五月家の跡を継ぐことは養子になった時点で決まっていたが、娘との結婚も密かに望まれていたのだ。ところが、お互いに年頃になった頃、親父はお袋に夢中で、聡美のことは妹としか思えなかったのだ。
結局、養父母の娘を家から追い出すことになったと、親父はそのことに罪悪感を抱いていて、姪の里香の想いを叶えることで、自分の罪滅ぼしをしようとしていたのだろうと慶三郎は密かに考えていた。
「昔、お袋に聞いたんだよ。だからさ、親父も春人の気持ちはよく分かるんじゃないの?」
「くっ……」
案の定、親父は何も言い返せず、気まずげに視線を逸らしていた。
親をこのように言い込めるのは、非常に心苦しいが、頑固者相手には仕方が無いと、慶三郎は思うしかなかった。
「義父さん、どうか許していただけないでしょうか……?」
今まで黙って事の成り行きを見守っていた春人が、謙虚な態度で再び願い出ると、父は戸惑った様子で春人を見つめた。
そして、大きく嘆息して俯くと、ソファーから立ち上がり、「春人の好きにするといい」と言い残して、後ろを振り返らずに居間から出て行った。
二人して、その様子を目で追って眺めていたが、慶三郎は父の説得に成功したことに気付いて、思わず笑みがこぼれた。
「良かったな、親父の許しが出たぞ」
「そうなんですか? 好きにするといいって、そういう意味だったんですか?」
春人は納得がいかない顔をしていた。
「決まりが悪かったから、ああいう素っ気ない態度でしか言えなかったんだと思うよ」
「そうでしたか……」
春人はそう呟くと、少し明るい表情を見せた。
 




